不完全であることはリアルであることと同義だ

完全というのは概念上の言葉に過ぎない

「不完全であることは悪いことなのか?」ということを最近よく考える。

もちろん完全であることは素晴らしいことである。

ただ、「完全」ということは現実的には起こり得ないある種概念上の言葉に過ぎない、とも僕は思っている。

それを追い求めたとて、実現することはないのだ。

僕たち人間はそういった理想状態を言葉として定義するけれど(類語として「永遠」というのもそうだろう)、それは空想上の物事であって、それがリアルに起こることはない。

そう、完全な状態などないのだ。

これは別に開き直っている訳ではなく、僕らはその「一歩手前」のところにいつもいる、という現実的なことを言っているだけである。

まだ考えが纏まっていない部分もあるし、「だから何なの?」と言われてしまうかもしれないけれど、今日はそんなことを書いていこうと思う。

完璧な状態が本当に存在すると心から信じている人達

チームマネジメントにおいて、よく僕は「完全な状態」を求められる。

いや、チームマネジメントだけでなくて、仕事全般において「完璧」を求められることが多い。

もちろんそこに含まれている意味は僕にだってわかる。

言葉遊びをしている訳ではないし、厳密な言葉の定義に拘泥している訳でもないことはわかっている。

ただ、ある種の人達においては、本当に完璧な状態が存在すると心から信じているように感じられることがあることも事実だ。

ビジネスというのは静的(硬直的)なものであって、そこに到達すべきである、そしてそれを固定化すべきである、というような感覚を持ちながら仕事をしているのではないか、と思われる人がたくさんいる。

今日は不完全な昨日の延長線上に過ぎない

僕も「そうだったらいいな」とは思う。

そういう素晴らしい状態が実現できて、それがずっと続くならいいな、と本当に心から思う。

ただ、残念ながら現実はそうではない

不完全で継ぎはぎだらけの単調な日常がそこにはある。

完璧主義者たちはそれを見て、「欠点だらけじゃないか!」と罵るけれど、僕からしたらそれは当たり前のことであるし、むしろそれはリアルであるとすら思うのだ。

僕たちはそのリアルな現実を前にして、あり合わせのもので、勝負していくしかない。

今日は不完全な昨日の延長線上であって、いきなり素晴らしく生まれ変わるなんてことは起きない。

もちろん改善する努力はすべきだけれど、それでブランニューな明日が来る、ということはないのだ。

少しだけマシになった明日がくるだけ。

それも何とか自己満足ができるかできないかくらいの差でしかないくらいの。

でも別に悲観している訳ではないのだ。

そのような動的で進化途上な現実を僕はリアルであると思う。

そこにこそマネジメント(仕事もきっとそうだ)の面白さがあると僕は思っている。

もう少し詳しく書いてみる。

市場(しじょう)と市場(いちば)

巻き込んでいく、という概念が現代には求められていると僕は考えている。

何かの完成物を市場に出すのではなく、過程も含めてポンっと差し出しながら、アップデートを繰り返していく。

そこには市場(しじょう)というよりは、市場(いちば・古代のマーケット)みたいなガヤガヤ感があって、僕らは静的な消費者であると同時に動的な生産者である。

そのような混濁と立場の入れ替わりを繰り返しながら、人々を巻き込みながら、物事が進んでいくのだ。

台風のように。

渦巻のように。

フェイクじゃないもの

完全なものというのは、どこか偽物の臭いがする。

それは上に書いたように、完全なものなどはないと僕らが知っているからだ。

それはフェイクに過ぎない

そして僕らはフェイクじゃないものを求めている。

不完全でも、いびつでもいいから、本物を求めている。

それを色々な人や事象を巻き込みながらリアルに作っていくことが、僕は重要なのだと考えている。

ビジネスにおいても、もちろんチームマネジメントにおいても。

完璧なチームなどない。

それは砂上の楼閣に過ぎない。

清潔であるけれど、脆く壊れやすい。

僕が作りたいのは、もっとドロドロとした流動的なものだ。

人間の感情が混在した(もちろん負の感情も含む)、不完全で不満足だらけのチーム。

でもそこには動的なエネルギーがある。

僕はそういう状態を愛したいと思う。

完全とは停滞と同義だ

ある種の飢餓感みたいなもの、志向性みたいなものを持ちながら、現状に満足せず、更に高いものを目指していくようなイメージ。

でもだからといって、それが宙に浮いている訳じゃないし、そうじゃない人がいてもいいし、そういう気分じゃない時があってもいいような感じ。

完全というある種の空想を実現すべく、重箱の隅をつつくようなことばかりやっている人達を横目に、僕は猥雑ながらパワーのあるチームを作っていきたいと思っている。

欠点を探すのではなく、長所を活かしていく、そして欠点すらも飲み込んでいく、そういう生物の貪欲さみたいなものを大切にしていきたいと考えている。

綺麗な言葉は不要だ。

スローガンは不要だ。

完全とは停滞と同義である。

不完全で十分だ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

完全という言葉に、無菌状態とか、精神病棟の白い壁、みたいなイメージを僕は持ってしまいます。

残念ながら、僕たち人間というのは、もっと汚いし、ゆらゆらとしている。

でもそれは悪いことじゃなくて、愛すべき要素である、と僕は考えています。

チーム運営においても、モチベーション満載で、全員がポジティブである状態が望ましいとは全く思いません。

それぞれがグダグダと不平不満を言いながらも、「まあ、いっちょやりますか!」みたいな職人集団、海賊や山賊のようなチームこそが、平時だけでなく戦時にも強いのではないかと僕は考えています。

欠点だらけの人達とこれからも働いていくつもりです。

賛同頂けたら幸いです。