迷子になる

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「既知のスタンス」と「未知のスタンス」

先が見えない現代という時代において、重要となる概念が「迷子になる」ということなのではないか、と最近考えている。

ここで言う「迷子になる」というのは、「教え導く」とか、「先導する」とか、そう言った言葉の対義語であると捉えて頂くとわかり易いかもしれない。

「共に悩む」というか、「途方に暮れる」というか、そんな感じで僕はこの「迷子になる」という言葉を表現しようとしている。

要はよくわからない出来事に対して、「知っている」とか「わかっている」とかそういう「既知のスタンス」で臨むのではなく、「わからない」「どうしよう」という「未知のスタンス」で臨むことが大事なのではないか、というのが今日の話の主旨となる。

出口に辿り着けるか自信はないけれど、取り敢えず書いていく。

最短距離を最短時間で?

マネージャーは兎角、「わかっている」という立場を取りがちである。

当然ながらマネージャーはメンバーよりも経験もあるので、最短距離をどのように進めばいいのかであるとか、何が最も効率の良いやり方であるか、といったようなことを教え諭したくなるものである。

そしてそれは善意でもあるのだ。

僕たちは良かれと思って、様々な方法をメンバーに示そうとする。

ただ、それは効果的であるのだろうか?

かつては適合的であったスキルや経験が必ずしも効果的であるとは限らないのではないか?

そんなことを最近思っている。

若手をレベルアップさせる為には

もう少し言うと、仮にそれが効果的であったとしても、迷いながら一緒になってそこまで辿り着くようなイメージ(前から手を引っ張ってくるのではなく)が大事なのではないか、そんな風に考えている。

ある年齢以下の世代の若手と話をしていて思うのは、彼らは思っている以上に「上から目線的指導」に対する抵抗感がある(強い)ということだ。

そして天邪鬼的でもある。

どんなに効率的な手法であったとしても、その表現方法を間違えてしまうと、その表現方法自体に注意が向いてしまって、受け入れられなくなってしまう。

そこには彼らの「検索脳的欠点(何でも検索によってわかった風に思えてしまう)」があるし、それはそれでどうかとも思うのだけれど、現実問題として彼らの能力アップがなければ、マネージャーとして成果を出すことが危うくなるので、どうやったらすんなりと受け入れてもらえるのか、と考えた末に出てきたのが今回の話となる。

旧世代への抵抗感

そもそもの前提として、彼らは旧世代のやり方に対して「時代遅れである」「古臭い」と思っている。

それを押し付けようとする上の世代に対する不信感を根強く持っている。

そこには多分に「頭でっかち」な部分があるのだけれど、一方で、本当にそういう人も一定数(かなりの数)いるのも事実で、間に挟まれた世代の僕としては、「どっちもどっちだよな…」と思うわけだ。

上の世代は上の世代で、若手に対して不満があるし、若手は若手で上の世代に不満がある。

そんな状況を眺めながら、僕は「迷子になる」という手段を取ることで、若手たちのスキルアップに努めている。

課題をテーブルに載せて、一緒にうんうん唸る

それでは本題に入ろう。

上の世代は「先輩の技を盗め」と思っているし、下の世代は「教えてもらっていない」と言う。

これが僕の(本当に大雑把な)世代認識だ。

その間を架橋する為には、(不本意な思いがないとは言い切れないけれど)「一緒に悩む」ということが大事なのではないか、と思っている。

僕は必ずしも上の世代の言う「技」みたいなものが必ずしも現代において有効ではないとも思うし、下の世代が採りがちな「待ちの姿勢」みたいなものに対する違和感もある。

一方で、共感もする。

そこで僕がやっているのは「課題をテーブルに載せて、一緒にうんうん唸る」ということだ。

これには手間と時間がかかる。

ただ、その分腹落ちさせるのには有効な手法である。

答えを持たない状態で話すことが大事

1on1がメインになるのだけれど、僕は前提条件を置くことなく、フラットな状態で物事を俎上に載せる。

そこで「ああでもないこうでもない」と話す。

僕も答えを持っていないし、相手も答えを持っていない。

ただ、問題がそこにあって、それに対して一緒に悩んでいるだけだ。

それを僕は「迷子になる」と表現している。

同じ方向を向いて思い悩む(その時間を共有する)

ここで大事なのは、必ずしも「答えを出す」ことがゴールなのではない、というイメージだ。

コーチング、という概念もそうであるが、ゴールに辿り着くことが良いことだ、というイメージを持ってこれを行うと、どうしても「教師と生徒」みたいな関係性になってしまうし、話題に広がりがなくなってしまう。

僕が大事だと思うのは、問題に対して「対面する」のではなく、「同じ方向を向く」ということなのだ。

向かい合うのではなく、同じ方向を向いて、思い悩む。

この時間の共有が、凄く大事なのだと僕は考えている。

Lostという概念

それは答えのない現代においては必要不可欠なスタンスである。

未知のものに対して「わからない」と表明できること。

仮に最短距離が見えていたとしても、それに対する自己懐疑を行いながら、前方向に進んでいこうとすること。

この態度の表明が若い世代からの信認を得るには重要だし、実際に未知のものに対する物事の検討における柔軟性に繋がるのだと思う。

僕は手ぶらで物事に向き合い、道に迷いながら、ただ対話をしているだけだ。

でもそれこそがきっとこの混迷の時代には大事なのだと思っている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

今回の概念の連想として、「プロトタイプ」とか「リーンスタートアップ」とかがあります。

要は何かを作り上げる時に、取り敢えず手持ちの武器を持って、あり合わせの状態で迷路に入っていくしかないじゃないか、という姿勢がマネジメントにおいても大事なのではないか、と僕は考えています。

正解を探すのではなく、共に迷うこと。

その迷路の中での様々な感情を共有すること。

そういうことができる人(心理的柔軟性がある人)がこれからのマネージャーには必要です。

共に迷っていきましょう。