PDCAっている?

Photo by Firmbee.com on Unsplash

方向性は否定しないけれど…

マネジメントにはフレームワークが有効である、と考えている人は多い。

人間の行動・集団の動きをある一定の枠組みに嵌めて、わかり易く理解しようとするスタンスというのは、事象を科学的に捉えるということと同義であって、その方向性自体は否定されるものではないと思う。

ただ、それが「有効なのかどうか」は検証した方がいい。

何年もマネージャーを経験してきた僕から言わせれば、フレームワークというのはあくまでも抽象概念に過ぎなくて、それで人間や集団を理解できる、というのはおこがましい考えである(安易すぎる)、そんな風に思っている。

今日はその中の1つの例としてPDCAを取り上げる。

結論としては、PDCAはいらない、ということになる。

それでは書いていこう。

PDCAとは?

敢えて書くまでもないのかもしれないけれど、PDCAというのは、「P(Plan:計画)→D(Do:実行)→C(Check:評価)→A(Action:改善)」という工程を繰り返すことで、継続的に業務改善を行っていく考え方のことを言う。

僕は会社に入ってから、本当に耳にタコができるくらいこの言葉を聞いてきているし、実際に上司から「やれ!」と言われ続けてきた。

営業畑である僕は、対象顧客を「計画(リストアップ)」し、「実行(営業)」し、「評価(振り返り)」を行い、「改善(次回に活かす)」すれば、そしてそれを繰り返せば、成果が上がると、それこそ洗脳されるかのように指導され続けてきた。

その度にこう思ったものだ。

「これって意味ある?」と。

当たり前のことでは…?

もちろん、基本概念自体はその通りだと僕も思っている。

あらゆる活動というのは、事前準備があり、それを実行し、反省し、改善して次回に活かしていく、そういうものだからだ。

ただ僕が今一つ腹落ちしなかったのは、この過程をペーパーに落として、現在がどの地点であるのかを上司と日々共有するということに対してであった。

「PDCA表」というようなタイトルのフォーマットがあって、その決算期に何をやるのかをまず書かされる(Plan)。

それを期中に実行する(Do)。

途中経過を逐次上司に報告する(Check)。

反省点を書く(Action)。

そんなことをずっとやらされてきた。

PDCA=マネジメントごっこツール

営業の人間であればわかると思うのだけれど、こんなことをしなくても成果というものは上がるのだ(少なくとも営業のできる人間でPDCAが効果的であるという人に僕は会ったことがない)。

もっと言うと、それは自分の中で(自然と)行うべきもので、わざわざ上司と共有する必要なんてないのだ。

それは上司の自己満足に過ぎない。

結論が出た。

改めて言おう。

PDCAの欠点を端的に言うと、それは「マネージャーが仕事をしている振りをする為のツールに過ぎない」ということである。

これを使って部下と話をしていれば、マネジメントをしている「雰囲気が出せる」。

これは本当のことだ。

マネージャー諸氏はそれを肝に銘じて欲しい。

Doを蔑ろにしているのがPDCAの弱点である

身も蓋もない言い方をすると、優秀な部下にPDCAは不要だし、それ以外の部下にPDCAを使っても数字が上がらない。

それはただの管理ツールだ。

「マネジメントごっこ」に過ぎない。

それはなぜか?

それは「Do(実行)」に具体性がない(蔑ろにしている)からだ。

もう少し詳しく書いていく。

Doが主役。他は脇役。

P・D・C・Aの中で一番大事なことは、D(実行)だ。

なぜなら、それが成果を表す(成果に直結する)からだ。

それ以外のものは付帯物(Doを効果的にするための脇役)に過ぎない。

大抵の人はこれが本当の意味でわかっていない。

むしろPとCとAがマネジメントであると思っている。

そしてDは部下の独力(裁量)で行うと思っている。

ナンセンスだ。

Doの質を高めるのがマネジメントの仕事

計画も評価も改善も、そんなものは成果には関係ない(もしくは殆ど関係ない)。

大事なのは実行だ。

その質を如何に高められるかがマネジメントなのだ。

ターゲティングが大事であるとか、定量的に計測するべきであるとか、改善点に具体性を持たせるべきであるとか、そんなものは戯言に過ぎない。

そしてそう言う人に限って、Doをどのようにすべきであるのか、ということを部下に説明できない。

自分で見せることもできない。

これがPDCAの欠陥である。

Just Do It.

少なくとも僕はマネジメントにおいて、PもCもAもやらない。

それは時間の無駄であると考えるからだ。

その分をDにフォーカスする。

どのように部下が話を進めるのか、どんな話をしているのか、その時にどんなことを考えているのか、それはなぜなのか、これを徹底的に話していく。

僕の1on1にはPもCもAもない。

あるのはDのみだ。

それはDはとても奥が深いからだし、一朝一夕で身に付くものではないからだ。

そして成果に直結するからだ。

Doの本質を磨く

多くのマネージャーはDは部下がするものであると考えている。

その報告は「何件アポを取りました」とか「何件訪問しました」とかであると考えているし、そこにマネージャーが関与できるとは思っていない(ように見受けられる)。

そうではないのだ。

マネージャーから見えない部分において、部下がどのような話をするべきなのか、その質を高めるにはどうするべきなのか、がDoの本質である。

そしてそれはPDCA表を突き合せた表面的なやり取りだけで身に付くものではないのだ。

それは日々の地道な対話の中で磨いていくしかない、近道のないものなのだ。

やっているフリ、マネジメントごっこ、で出来るほど簡単なものではないのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

本文中ではうまく書けませんでしたが、「計画とか評価とか改善とかそういうものは付帯物に過ぎないよ」「それを大袈裟にするのってどうなの?」というのが今回言いたかったことです。

とかくマネジメントというと振りかぶる人が多いので、僕は面食らってしまいます。

同じことを言っているように聞こえるかもしれませんが、大事なのは行動の質を上げることです。

そして行動の質を上げるのはとても大変である、ということです。

表面的なPDCAで成果が上がるほど簡単な世界ではありません。

地道に愚直に部下と向き合っていきましょう。