響くかどうかは受信機の問題(でもある)

電波と周波数

突然ですが、皆さんはラジオは聞きますか?

僕はラジオが好きで、何かを別な作業をやっている時にちょうどいいので(この文章もラジオを聞きながら書いている)、よく聞く方ではあると思う。

専門的なことは僕にはわからないし、今のラジオはチューニングする必要すらないので(radikoなど)、イメージが湧きづらい人(特に若い人)もいるかもしれないけれど、ラジオというのは、放送局が電波を飛ばして、それに受信機が周波数を合わせることで、放送が実現する仕組みとなっている(まあ知っていますよね)。

それをマネジメントに例えると、放送局がマネージャー、受信機がメンバー、とある種置き換えられるわけで、いくらマネージャーが色々なことを言ったとしても、それが受け入れられるかどうかというのは受信機がその周波数を合わせようとするかどうかにかかっている、ということになる。

そしてマネージャーはその受信率(聴取率)を気にする必要はない、ということを言い添えておく。

今日はそんな話だ。

どこで言葉が芽吹くかを知ることはできない

言葉が力を持つのは、効力を発揮するのは、タイミングが重要である。

タイムラグもあったりする。

それでも(めげずに)言葉を発し続けなければならない。

響くかどうかは(気になるけれど)気にしなくていい。

僕はマネージャーを6年以上やって、今そんなことを思う。

過去の僕が発した言葉が、時を超えて、(よくわからないタイミングで)担当者の胸に刺さり出したりする。

狙いも打算もなく、ただその時の雰囲気で言った言葉が、思いもかけない効力を発揮したりする。

僕はその言葉の力や生命力に、驚きと畏敬の念みたいなものを持たざるを得ないのだ。

迂闊なことは言えない。

言葉に責任を持たなければならない。

それと同時に期待しすぎてもいけないのだ。

最大限の努力はするが…

散弾銃のように、僕は毎日色々なことを話し続けている。

でもそれがきちんとした文意で伝わるかどうかは、僕の責任ではない。

もちろん、文意を文意の通りに、僕の思った意図通りに伝えるべく、最大限の努力はするけれど、一旦僕の口から離れた言葉については、僕が制御できないのだ。

そこから先は受信機であるメンバーを信頼するしかない

投げやりになっているように聞こえるかもしれないけれど、僕はそんな風に思っている。

偏った人間の偏った言葉

僕はどこまで行ってもこの僕でしかない。

それは現状維持でOKということではないし、もっと素晴らしいマネージャーになるべく努力を続けるべきではあるけれど、でも人間の根本みたいなものは簡単に変わらなくて、結局のところ僕はどうしようもないこの僕でしかないわけである。

価値観も思想も偏った不完全な人間。

そんな奴がマネージャーをやっているわけだ。

僕はいま最善だと思うことを言い続ける。

でもそうではないと思う人もたくさんいる。

それは当たり前のことだし、仕方のないことである。

だからと言って、自分の信念を曲げてまでメンバーに刺さるであろうことを言うことはまた違うのだと僕は思っている。

もちろん意固地になる必要はない。

バランスはいつだって大事なのは変わりはない。

それでも、僕は僕を信じて言葉を発するしかないのだ。

ごく少数の賛同者の声に勇気を貰いながら

他人はいつだって好き勝手なことを言う。

無責任に。

ガン無視する必要はないけれど、話半分に聞いていればいいと思う。

反対者の声はいつも大きく、賛同者の声はいつも小さい。

でもその賛同者の声はいつまでも反響し続ける。

僕はその微かな声を頼りに、その残響に勇気を貰い、仕事を続けていく。

それ以上でもそれ以下でもない。

もちろん「願い」として、僕の発する電波が多くの人に届いて欲しいとは思う。

でも一方で、僕の発する電波が多くの人に届くはずなんてないよな、とも思う。

こんな変な人間の、変な言葉達が、万人受けするはずがないのだ。

僕はいつだってアウトサイダー。

そこに愉悦を覚えて、自己陶酔しているわけではなく、本当に純粋にそう思うのだ。

そしてだからこそ、電波が届いた時に、それをとてもありがたいと思うわけだ。

心にポケット・ヒーターを

ヘンテコな僕の、ヘンテコな言葉を、分不相応にありがたがってくれる変な奴が世の中にはいる。

僕はその人に向けて放送を続ける。

もちろん多くの人に聞いてもらえるような努力は続けながら。

6年以上マネージャーをやっていて思うのは、迷ったり悩んだりしながらも、勇気を持って決断したことは、その意図も含めて(思いのほか)理解してもらえる、ということだ。

他人はそれほど馬鹿ではない。

僕はそれにようやく気付くことができた。

僕はメンバーを信頼している。

というか、信頼して言葉を発するしかない。

その先のことは僕の範疇ではない。

程よい諦めと、乾いた信頼。

期待し過ぎずに、絶望し過ぎずに。

ただ淡々と自分が信じる「いい仕事」を続けること。

評価も称賛も欲しいけれど、それだけではないのだ。

煩悩は捨てきれないけれど、それだけではないのだ。

自己満足と折り合いをつけて。

ささやかな拍手と歓待を胸に。

ポケット・ヒーター。

それはいつまでもあなたを暖め続けてくれるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

1on1を続けると、必然的にメンバーとたくさんの言葉を交わすことになります。

でも、その1回1回に力を込める必要はなくて、ただ言葉を交わしているという行為自体が大事なのである、と最近は思っています。

というのは、会話は会話それ自体で凄い力を持っているからです(この話はまたどこかで)。

狙った発言は不要ですし、案外届きません。

それよりも、本心から思っていることをただ喋ること。

あとは相手を信頼するしかありません。

期待せず気長にやっていきましょう。

組織論

前の記事

忖度と粛清
組織論

次の記事

大物と小物