話を聞くことの費用と対価

お悩み相談室

コロナの影響か、労働環境の変化か、部下のメンタルヘルスが不安定になっていると感じることが増えている。

直接的な原因はわからないのだけれど、「漠然とした不安感」みたいなものが彼ら(彼女ら)にはあって、それを1on1で聞く割合が増えてきているように感じている。

そこには僕が務めている会社の環境変化も大きく影響しているのかもしれない。

でもとにかく、僕の1日の大きな割合はそのような「お悩み相談」みたいなものに費やされていて、僕自身の仕事の内容も大きく変わってきているのは事実である。

マネジメント業務をそのように分けるのが適切かはわからないけれど、仮に「本業」と「それ以外」と分けた時に、「それ以外」の割合が増えてきているのだ。

僕はカウンセラーのように話を聞き、悩みを共有する。

別に有効な解決策はない。

ただ話を聞き、一緒にうんうん唸るだけである。

でもそれって実はとても重要なことなのではないか?

目には見えないけれど、その貢献度たるやとても大きいのではないか?

今日は自分を慰める意味合いも込めて、そんなことを書いてみようと思う。

臨時の1on1

僕はとっつき易いマネージャーではないと自分でも思っている。

気さくに気軽に話しかけられるようなタイプではないということは自覚している。

本当はそうなりたいし、そのように努力はしているつもりだけれど、元々の性格や器の小ささによって、それはまだ実現できていない。

でも、一方でそこまで悪い人間でもないので、仕事中に「課長、ちょっといいですか?」と話しかけられることは多い。

もちろんこちらにも仕事があるし、忙しくないと言えば嘘にはなるのだけれど、「課長は暇そうでいい」と言っている僕が忙しぶるのも違うと思うので、声を掛けられた際にはできるだけ話を聞くことにしている。

かくして、定例の1on1とは別に、臨時の1on1とでも言えるようなものが始まる。

遠回りしなければ本題へ辿り着かない

そこでの話は本当に様々である。

同僚との諍い、仕事上の問題、家庭の話、今後のキャリア、まあ本当に多岐にわたる。

そしてそういう話というのは直線的に進むのではなく、迂遠的に進む。

いきなり本題に入るのではなく、聞いていると「ああ、本当はその話がしたかったのね」というところに行き着くような感じである。

そういう意味ではある程度じっくり話を聞かなければ、そこまで辿り着かない。

結果として時間がかかることになる。

だからと言って、何か形に見えるアウトプットが生み出される訳ではない。

人によっては「時間の無駄」と思うかもしれない。

でも本当にそうなのだろうか?

それこそが生産性を上げる為に、実は重要なことなのではないか?

そんな風に考えることが増えた。

人間関係は面倒だ

「心理的安全性」については以前もこのブログ内で書いたことがあるけれど(詳しくは「心理的安全性を醸成する」)、職場の生産性を上げる為には、「職場で何を言っても大丈夫」という信頼関係(土台)が必要不可欠である。

これがなければ、どんなに綺麗なことを言っても、素晴らしい建物を建てようとしても、ガラガラと崩れてしまう。

でも同時に、「じゃあ、心理的安全性を醸成しましょう!」と言ったところで、それがすぐに作られる訳でもない。

地味で地道な面談の繰り返しによって、牛歩のように進んでいくだけである。

人間関係は面倒くさい。

というか、職場の問題というのは人間関係しかないと言っても言い過ぎではないくらい、人と人が一緒に働くと、様々な軋轢が生じる。

それを丁寧に聞く。

ひたすら聞く。

それが僕のチームの生産性の高さの秘訣である。

ちょっと話を盛っている部分がないとは言えないけれど、チームマネジメントというのはそういうものなのだろうな、と思っている。

目に見えない部分が実は勝敗を分ける、みたいな。

外資系企業みたいなモノは出ないけど

それは「コーチング」みたいな格好良いことでは全くない。

どちらかというと「カウンセリング」みたいな地味な感じである。

「今日はどうしましたか?」というようなトーンで、僕はただダラダラと話を聞く。

そこには「バリュー」だとか「アウトプット」だとか「成果物」だとか、そんな気の利いたものはない。

ただ「だべっている」だけ。

ぬるま湯だと思う人もいるだろう。

時間の浪費だと蔑む人もいるだろう。

でもヨーイドンで成果を比べた時に、恒常的に高い成果を出すことができるのは(たぶん)僕のチームだと思う。

データはデータでしかない

KPIであるとか、コストパフォーマンスであるとか、様々な指標によって、チームの生産性を図ろうとするアプローチは、間違いとは言えないまでも、若干論点がズレているように僕は感じている。

指標はあくまでも指標である。

データはそれをどのように解釈するかによって、有効性が大きく変わる。

その微妙なニュアンスを理解している人はそんなに多くないような気がしている。

残念ながら、多くの人は指標を出すだけで満足している

でもそれだけではチームの健康状態を測ることはできないのだ。

たぶん医者も同じで、バイタルデータだけで判断するだけでは名医とは呼べないだろう。

今日も僕はまた話を聞く。

それは何も生み出さない

でもそれでいいのだと思う。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

目に見えない地味な仕事が社会を支えている。

そんなことを時折思うことがあります。

アンサング・ヒーローたちは、今日もどこかで「いい仕事」を続けている。

毎日の同じ通勤電車に乗り合わせる人達が年末年始も変わらずに働いているのを見ると、「お疲れ様です」と互いに言いながら、ささやかな乾杯をしてみたい衝動に駆られます。

誰にも認められなくても、大事な仕事はあります。

たゆまず努力していきましょう。