キャラクターに沿ったマネージャー像

僕の理想のマネージャーはクロップだ

自分のキャラクターに合ったマネージャーでいることが結果を出すためにも有用だ、ということを最近思う。

これはセルフ・ブランディングに通ずるものだと思うけれど、どちらかというと、演じる、というよりは、自己認識に近い感覚だ(もちろんセルフ・ブランディングも演じているだけではうまくいかないが…)。

誰しも理想のマネージャー像があると思う。

僕もそうだったし、今でもそうだ。

サッカーが好きな人であればわかるかもしれないが、僕はクロップ(現リヴァプール監督)のようになりたかったし、今でも憧れている。

実際のところはわからないけれど、本を見たりインタヴューとかで知りうる限りでは、非常に人間味のある人物であるようだ。

それに結果も出している。

ドルトムント時代には、あのバイエルンを上回り、優勝を成し遂げた。

人間性も良くて、結果も出している。

そして若手を育てるのもうまい。

他チームでくすぶっていた人間を上手に蘇らせることもできる。

スーパー・マネージャーだ。

クロップ? 冗談だろ? という現実

翻って自分。

圧倒的に違う卑小な存在としての自分。

どんなに楽観的に考えても、僕にそんな懐の深さはない。

結果も大したことない。

人望もない。

選手時代の実績も遠く及ばない。

でもマネージャーになりたての僕はそうなろうとしていた。

若手も育てるし、適切なアドバイスもできるし、結果も出すし、もちろんユーモアも人間性もあって…

しばらくすると、どうやら自分はそうはなれないということに気付いた。

すぐに腹が立つし、それが顔に出るし、うまく褒めることもできないし、部下とのコミュニケーションもギクシャクしているし、業績もパッとしないし。

理想は理想。等身大の情けない自分を受け入れて勝負するしかない

もちろん5年経った現在でもそうなりたいとは思っている。

でもそれを追い求めすぎると無理が生じるし、結果も出ない、ということが薄々わかってきた。

僕は上に書いたような自分を受け止めて、そんな自分でも結果を出すためにはどうすればよいのか、ということを考え始めた。

明日目が覚めたら素晴らしい人間に生まれ変わっているというような夢想は捨てて、現実的に今の等身大の情けない自分でどう戦えばよいのかを真剣に考えた。

僕は正直な人間なので間違ったことが許せないし、それを口に出してしまう。

部下を守るためなら他課とも対立するし、上司にたてついたりする。

お世辞も言えない。

それは上司からもよく指摘される僕の欠点だし、何度も改めよう、直そうと思ってきた。

でも治らない。

欠点は欠点のまま、何とか取り繕おうとしていた。

等身大の自分を活かす

完全に諦めた訳ではないけれど、今の僕はこの状態で勝負しようと思っている。

人はそれを開き直りと呼ぶのかもしれない。

僕も他の人がそう言っていたら、そう指摘すると思う。

でももう無理なのだ。

無理やり褒めるとするのなら、僕の良い所は首尾一貫しているところと、贔屓をしないことだ。

誰に対しても媚びないし、フェアであるところだ。

それを無理やり活かそうと考えた。

「当たり前のことしか言わないマネージャー」である自分を前向きにとらえる

マネージャーになると、担当者時代と比べて発言を求められることが増える。

オフィシャルなものもそうだし、日々の部下からの相談でもそうだ。

そこで小さな判断を何百何千としなければならない。

日々その繰り返しだ。

僕の長所はそこでの判断が変わらないところだ。

同じようなことを聞かれれば、同じようなことを答える。

それが誰からであっても、どんなにピンチな状況でも。

僕は部下からよく「課長はわかりやすい」だとか、「そう言うと思った」とか言われる。

今までの僕であればこれは欠点とは言わないまでも、あまり良いとは考えてなかった部分だ。

マネージャーはマネージャーらしく、部下とは違う視点で、素晴らしい判断をすべきだと考えていた。

予想もつかないような、スペシャルな仕事をすべきだと考えていた。

もちろん今でも本当はそうすべきなのだろうけれど、僕は白旗を上げてしまったので、こういう「当たり前のことしか言わないマネージャー」で妥協することにした。

そう、まさに妥協だ。

自分のキャラクターと仕事の仕方の歩調を合わせる

でも、そうすると、不思議なことに、部下からの信頼感が増した。

僕自身はあまり変わっていないし、大人になったわけでもない。

ただ、今までよりも本心を晒すようになっただけだ。

オレはこう思う、ということを正直に伝えるようになっただけだ。

それはたぶん僕のキャラに合っていたのだと思う。

結果的にセルフ・ブランディングになったのだと思うのだけれど、「あの人はああいう人だから」ということが部下に浸透していった。

良い解釈をするのなら、「口は悪いけれど、そんなに悪い人じゃないよ」ということがわかっていったのだと思う。

こうなると俄然仕事はやりやすくなる。

身の丈に合っているので、無理もないし、自分の信念も曲げることもない(部下達はやや冷めているような気がするけれど…)

そしてポツポツと「課長の言う通りやったら上手くいきましたよ」とか、「課長が言ってたようにお客さんも言いました」とか、そういう言葉が増えていく。

そんな小さな信頼を積み上げていく。

言行が一致していれば部下は付いてくるし、結果も出てくる

気がつけば、半年とか1年とかが経っていて、以前の立ち位置とは違う位置にチームがいるようになる。

僕は自分自身に厳しいとは思うけれど、私語を慎め、とか、もっと働け、とかを他人に思うことはない。

本当のところは部下に聞いてみなければわからないけれど、1年前と比べて、激務になったという実感はないと思う。

部下達はデスクで冗談を言い合っているし、夕方にはお客さんからもらってきたお菓子をいつまでも食べているし、課の雰囲気は変わっていないと思う。

でもパフォーマンスは大きく違う。明らかに数字が伸びている。

自分の上司にも「何が変わったのかわからないが、全体的にすごく良くなった」と言われることが増えた。

正直なところ、僕もそのエッセンスを探しているところだ。

だから、このブログを始めたのだし。

汎用性のあるマネジメント手法がもしあるとして、それがパワハラちっくにならないのであればそれを探したい。

僕が探しているのはそういうものだ。

みんなが楽しく下らないことを言いながらも、やる時はやる、そういうチームを僕は作りたいと思っている。

そのために大事なことはマネージャーがフェアでいることだと思う。

課員にもそうだし、自分自身にも。

もちろんマネージャー毎にパフォーマンスを上げやすい形は違うと思う。

人によってその根本にあるものは異なるだろう。

でもそれを見つけること、信じ続けることが大事だ。

無理は続かないし、嘘臭さは課員にバレる。

他人は勝手なことばかり言う。

そういう雑音に負けてはいけない。

今のところ僕が見つけたのはフェアネスだ。

もちろん、もっと上に行くためには、もっと非情にならないといけなのかもしれない。

でも僕はこの自分でいることが心地良いし、いい仕事ができている実感がある。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


編集後記

営業にも通じるものだとは思いますが、自分のキャラクターを理解し、それに合った行動をとることは非常に重要です。

同じ手法であっても、「人となり」によって効果は様々ですし、時に逆効果になったりもします。

僕は万人に好かれるマネージャーを目指していましたが、そもそも僕みたいな人間が万人に好かれるはずもなく、そんな当たり前のことに気付くのに大きく遠回りをしてしまいました。

「僕は僕でしかない」というのはある種の開き直りと言えないこともないですが、その自己認識が羞恥や内省を含んでいるものであれば、それは強みにもなります。

理想から離れた自己嫌悪にまみれた自分でも、いい仕事をする方法はあるはずです。

僕はまだそれを探している途中ですが、最近はそんなことを考えています。