風通しの良い職場とは?

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良いチームを作る為には風通しの良さが必要だ

「風通しの良い職場」という言葉を聞いて、悪い印象を持つ人はいないだろう。

そういう意味では、この言葉は良い職場を作る際に恒常的に求められるものであると言える。

良いチームを作る為には、風通しの良さが必要だ。

異論はない。

では、もう少し踏み込んで考えてみよう。

「風通しの良い職場」というのは具体的にどんな職場のことを指すのだろうか?

それぞれの人にイメージはあると思う。

でも、何となく漠然としてはいないだろうか?

今日はその言葉を再定義してみようと思う。

知りたいことを知ることができるのが風通しの良い職場である

結論から言うと、僕は「風通しの良い職場」=「開放度が高い職場」と考えている。

ただ風通しを開放度と言い換えただけのように聞こえるかもしれない(実際にそうだ)。

なので、もう少し詳しく定義しよう。

開放度というのは具体的に何を指すのか?

「知りたいと思った情報にメンバーがアクセスできる度合い」であると僕は考えている。

この知りたいと思った情報には様々なものが含まれる。

会社の方針、戦略の真意、上司の価値観、同僚の給与水準、人事情報、まあ何でもいい。

これを知りたいと思った時に、何の躊躇いもなく、知ることができるか。

知りたいということを表現することによって、マイナスの評価を受けることはないか。

「透明性」「心理的安全性」みたいな言葉も関係してくるだろう。

それを今回は風通しの良い職場と定義する。

情報を囲っておく必要はあるのだろうか?

マネージャーになってから、社内の情報にアクセスできる権限が上がった人も少なからずいると思う。

今まではアクセスできなかった情報にアクセスできることに、人は(悲しいかな)喜びを感じる生き物である。

それこそ僕自身、マネージャーになりたての頃には、少しだけ興奮を覚えたものである。

ただ、ちょっと待って欲しい。

それは本当にメンバーに隠しておいた方が良い情報なのだろうか?

「お上」と「下々」

日本社会は「ムラ社会」的で、内輪の集団で決定をすることを良しとするような風潮があると僕は思っている。

そしてメンバーも「そういうものだよね」と自然と受け入れている節がある。

「お上」と「下々」みたいなイメージが、令和の時代にも連綿と続いている。

指示や命令というものは、「上から」降ってくるもので、僕たちはそれに抗う術を持たない。

ただ淡々と遂行することを仕事と呼ぶ。

それが僕たちの無意識に底流する仕事観である。

日本には風通しの良い職場なんて存在しない。そうだろう?

その構造自体を変えることは不可能だと思っているし、変えようとすること自体が子供っぽい振る舞いのように捉えられる。

そういう意味では、日本社会において、「風通しの良い職場」というものが存在するのか、僕は怪しいと考えている。

というか、そんなものはきっと存在しないだろう。

メンバーシップみたいなもの、アクセスパスみたいなものがないと、「内側」には入れないのだ。

それを僕たちは当然だと思っているのだ。

でも果たして本当にそうなのだろうか?

僕らが知ることができる程度の情報など開放してしまえ

もちろん全社的な秘匿情報を、ミドルマネージャーごときがどうこうするというのは非現実的である。

ただ、我々がアクセスできる程度の情報なんてものは、メンバーに開示してしまっても良いのではないか?

それもマネージャー自身の価値観や考え方を添えて提示してしまっても良いのではないか?

それこそが開放性を高め、恒常的に高い成果を出せるチーム作りに繋がるのではないか?

僕はそんな風に考えている。

情報の非対称性を利用して権力構造を維持しているだけでは?

これは自己開示とも関係してくる。

社内の情報を開示することによって、マネージャーとメンバーの情報の非対称性はなくなる。

以前であれば、それによって権力構造が維持できていたものが、できなくなる。

その時に重要となるのが、マネージャー個人の考え方なり価値観である。

要は、その人がどのような考え方をしていて、どのような判断を行うのか、をまっさらな状態で見られるようになる、ということである。

自信がない人は困る事態と言えるかもしれない。

何か後ろに大きな力があるという前提のもとに話をする上位者というのはとても多いから。

でも、それすらも白日の下に晒そう。

全てを曝け出そう。

そうすれば、あなたのチームの風通しは確実によくなるはずだ。

角が丸くない言葉を

上記したように、隠すべき情報などないのだ。

でも、メンバーの方はあると思っている。

この「疑い」が心理的安全性を低下させるのである。

マネージャーは何か隠しているのではないか、という疑念は、チーム内での発言にベールを被せてしまう。

遠慮や忖度のような「一呼吸」置いたもの一旦考えた後の言葉になってしまう。

そのような状態で出てくる言葉は、当たり障りのない、凡庸なものになってしまう。

角が取れてはいるけれど、何のドライブも生まない言葉たち。

それらをやり取りすることはコミュニケーションとは呼ばないのだ。

インスピレーションのまま、尖りがあるままの言葉を出しても大丈夫だと言えるような環境。

それがメンバーから自然と出てくるようになるためには、開放度を上げるしかない。

全ては無理でも、できることはあるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

情報の非対称性を利用して権力構造を維持したい人はとても多いです。

というか、それがなければ権力構造を維持できないのだと僕は思っています。

情報が透明化されると、マネージャーの素の部分が露わになります。

本来の人間性を開示して、それでもマネージャーとして扱って貰えるかどうか?

その覚悟が風通しの良い職場には必要な気がしています。

裸で戦っていきましょう。