文化をどのように作るか?

マネージャーがいなくてもいい仕事をするという文化を作る

部下の行動は全ては管理できない

では、そのマネージャーからは見えない大部分の時間をどのように「管理」するか?

これがマネジメントには重要である。

1つのアプローチがマイクロマネジメント。

これは不可能だと前回書いた。

複数の部下を同時かつ完全にマネジメントするのは現実的でない。

ではどうするのか?

見えない部下の行動を効率化するしかない。

「でも部下は管理しないとサボったり怠けたりするでしょう?」

何もしなければ、これはYesだ。

ではどうするのか?

「文化」を作るしかない。

「マネージャーがいなくてもいい仕事をする」という文化を作るしかない。

「そんな曖昧なものどうやって作るんですか?」

それをこれから書いていく。

結果で評価することを表明する

まずは前回も書いた性善説に基づいてマネジメントチームを効果的に動かすには性善説であたるしかない参照)を行う

基本的に部下は真面目に仕事をするものだ、という価値観に基づいて彼らと接する。

行動管理を極小化して、部下に任せる。

「そんなことしたら部下は何もしなくなりますよ?」

そうだろうか?

大前提として、結果で評価する、ということを明確にする。

これはやり方は問わない、というスタンスの表明だ。

「プロとして仕事をしている以上、給料を貰っている以上、それ相応の仕事はするものだ、そうでなければ評価できない」

サラリーマンだからこの部分が不明瞭になっている人が多いのだけれど、僕は基本的にこう考えている。

仕事をしなくても給料が貰えた時代は残念ながら過去のものになりつつある。

今はまだ何とか残っているかもしれないけれど、これだけたくさんのフリーランスがいれば簡単に外注できるし、もう少しすればAIに簡単に代わられる。

ただそれだけのことだ。

仕事をすれば報いる、ただそれだけのこと

そういう意味では僕は非情だと思う。

もう少し感情的な話をすると、「仕事しろ!」「仕事しろ!」と上から言われて真面目かつ前向きに仕事をする人なんているのだろうか?

できるだけ最小限の労力で、最低限の仕事をするようになるだけではないだろうか?

コスパをできるだけ上げようとするのではないだろうか?

人というのは天邪鬼な生き物だ。

母親から「勉強しろ」と言われた子供が勉強しない反面、主体性を持たされた子供は勝手に勉強する。

マネージャーは母親ではないし、仕事として部下を管理しているだけだ。

冷たい言い方をすれば、仕事をすれば報いるし、仕事をしなければ冷遇する、それだけのことだ。

なので、文化を作る為には、まずこの部分を明確にする。

原則として成果で評価する、ということを表明する。

成果主義は自分の評価をカネという数値で可視化するものだ

では、成果が全てなのか?

そうではない。

成果は必要条件だけれど十分条件ではない。

成果主義の根幹にあるのは「仕事は苦役だ」という労働観だと思う。

ワークライフバランスという言葉にもあるように、「ワーク」と「ライフ」は対立概念として、トレードオフのものとして扱われる。

成果主義は往々にして非人間性を帯びる

マシンのように成果を上げることに注力し、それ以外の部分は切り捨てていく。

結果として職場は殺伐とする

短期的には成果主義は成功するが、長期的にはうまくいかない。

それは働いている人たちが疲弊するからだ。

成果主義が疲弊する要因は肉体的・精神的なものももちろんあるが、一番は「仕事の対価がカネである」ということが直接的に示されるからだと思う。

「いい仕事=カネを稼げる仕事」という価値観は一時的にはよくても、長期的には確実に体を蝕む。

つらく苦しい仕事をして得る成果がカネとなり、それが自分の能力の尺度となる。

カネが人間を図る目安になり、自分が数値化される。

そしてその数値は上を見ればキリがない。自分の立ち位置が可視化される。直面させられる。

それではパフォーマンスに限界がある。

成果だけ求めている奴はダサい

ではどうするのか?

「成果は当然求めるが、成果だけにこだわるのはダサい」ということをマネージャーが表明するのが次の段階だ。

これは例えが適切ではないかもしれないが、学生時代のガリ勉がバカにされる、という感覚に近いと思う。

もちろんテストで良い点を取ることは素晴らしいけれど、そこだけにフォーカスすると、勉強はとても下らないものになる。

だからと言って、テストを度外視して好きなことだけやっていればいい、ということではなくて、勉強というのはテストの点数だけではないということに自覚があるかどうか、が重要だと思う。

翻って仕事も同様だ。

成果だけを求めている奴はダサい。

青臭い話だけれど、社会やお客さんに貢献してはじめて仕事には意義が生じる。

成果を最低限として、それ以上に何ができたかをマネージャーが評価する。

それが文化の醸成に繋がる。

「ダサいことはやらない」という覚悟を持つ

正直に言うと、これはなかなか難しいことだ。

そんなことができるような優秀な部下は殆どいないからだ。

でも評価軸としてこういった概念を持っていると、部下と接する時の対応が変わってくる。

「それは儲かるのか?」ということばかりマネージャーが言っていると、そういうチームになる。

「それは面白いのか?」「お客さんは喜ぶのか?」ということをマネージャーが言っていると、そういうチームになる。

これがどちらの方向に向かうかは、マネージャーとして判断を求められる局面で決まってくる。

大きな成果を上げられる局面で、そこに大義がない場合にそれを諦められるか、それによってマネージャーが叱責されてもよいという覚悟を持っているか、そういう積み重ねが文化を作っていく。

「間違ったことはやらない」ということを、目の前にニンジンがぶら下がっていても貫き通せるか、そういう行動が文化を作っていく。

そしてそういう文化が部下の目に見えない部分の行動の判断軸となる。

すぐに効果は現れない。

でもそういうことを積み重ねていくと、文化が浸透していく。

そしてそういう文化の中で仕事をしている部下達の成果は確実に上がっていく。

とても不思議なことだ。

でも昔から言われているように「三方よし」でなければ、驚くようなパフォーマンスなんて出ないのだ。

目先の誘惑に負けずにマネージャーがそれを信じること。

言行を一致させて、信念を貫くこと。

それが文化を作る。

それでは。

いい仕事をしましょう。


編集後記

そこが良いチームなのか悪いチームなのかというのはすぐにわかります。

文化があるかないか、がその判断軸となるからです。

上に書いた「ダサい」というのはかなり抽象的な表現ですが、徳とか品性とか誠実さとかそういったものがないチームは持続的に成果を上げることはできません。

やや精神論めいていて少し嫌になるのですが、マネージャーなりリーダーがこういった価値観を持っていると、部下に仕事を任せても、本当にひどい事態にはなりません。

僕が盛んに言っている「いい仕事」というのは「いい文化」から生まれます。

襟を正し、背筋を伸ばし、今日も働いていきましょう。