リモート時代のマネジメントとは?

コロナ時代にマネージャーは必要か?

コロナウイルスによって働き方は大きく変わるだろう。

当然ながらマネージャーの仕事も大きく変わる。

1つの場所に大勢の人が集まって仕事をするというスタイルは過去のものになる可能性が高い。

その場合にもマネージャーは必要なのだろうか?

それを今回は書いてみたい。

リモートワークはとても効率的だ。しかし…

結論から言うと、必要だ、というのが僕の回答だ。

それはなぜか?

リモートワークが「従」でなく「主」となった今回の事態で、明らかになったのはリモートワークは「とても効率的」ということだ。

ストレスフルな通勤時間もないし、うるさい上司もいないし、面倒な電話も少ないし、途中でコーヒーも自由に飲めるし、食事時間に気をつかわなくてもいいし、成果をしっかりと出すことができれば、こんなに便利なことはない。

でも一方で、これを長期間続けた時の弊害というか不安というか、そういったものを実感したのも事実だ。

仕事を任される側、発注される側としては、成果物の要件がしっかりと定義されていればとても仕事がしやすい。

しかしながら、成果物の要件は言語的に定義するのが難しいというのも今回よくわかった。

もう少し詳しく説明する。

僕たちは普段口語的コミュニケーションを多く使って、仕事上求められる成果物の水準(輪郭)を定めているのだな、ということを今回実感した。

同時にその場にいることによって、あまり負荷のかからないような簡単な言葉のやり取りで、細部を定めていく。

もう少しこんな感じとか、もう少し細かくとか。

しかしながら、非対面でのやり取りでは、文語的コミュニケーションが主となるので、その要件の細部をさっと詰めることがとても難しい。

もちろん仕事を依頼する人の頭の中に「はっきりとした成果物の姿」が描かれているのであれば、それを言語化すればよいのでそんなに難しくはないのだろう。

でも僕らが普段取ることが多い道は、曖昧な成果物のイメージを創発的に組み上げながら「成果物」に辿り着くことだ。

それは言語化しづらい領域のものであることが多い。

リモート時代におけるマネージャーの仕事は成果物の精緻な言語化だ

定型的な仕事であればリモートワークは効率的だろう。

それを否定するつもりは全くない。

でもイノベーションというか偶然というか、面白いアイディアは出づらいのだろうなということを今回実感した。

それはリモートワークが突然「主」になったということも関係しているのだろう。

もう少し「こなれて」くればまた違う結論になるのかもしれない。

でも現時点で僕が考えているのはこういうことだ。

リモートワークにおけるマネージャーの仕事は「成果物の要件定義(精緻な言語化)」だと。

口語的コミュニケーションが限られる環境下では、成果物の質はマネージャーの文語化能力の限界に左右される。

どこまでその微妙なニュアンスを言葉(文語)にできるのか、が成果物の質を左右する。

もちろん、ZoomとかFacetimeとか、そういったツールを使ってコミュニケーションを口語で行うことはできる。

でも、何というか、それは双方向になりづらいのだな、というのも今回感じることになった。

5Gが当たり前になって、対面コミュニケーションと勘違いするくらいのレベルになればこの問題は解決するのかもしれないけれど、僕が今回感じたのは、あくまでもこういった非対面デジタルツールというのは、「主」にはならない(あくまでも補完物)のだなということだ。

一方なメッセージを口語的に伝えるのには便利だけれど、双方向で言葉をやり取りして、そこから偶発的に新しいアイディアが生まれてくるという可能性は低いというのを実感した。

それはあの微妙な「間」によるものなのかもしれないし、表情や感情の機微が読み取りづらいからかもしれないし、もっと体温とか匂いとかフェロモンとか動物的なものによるのかもしれない。

その理由はわからないけれど、とにかく会話が「面白くなりづらい」のだ。

ある程度のコミュニケーションスキルを持った人同士であればその乖離を乗り越えられるのだろうが、上司部下というような仕事上の関係性ではそれはとても難しいと感じた。

そして当たり前のことだけれど、こういった非対面デジタルツールは相手の時間も同時に拘束することになり、その意味でリモートワークのメリットを一部損なうことになる。

業態にもよるのかもしれないけれど、こういったリモート環境下では個人事業主的な働き方は向いているが、チーム的な働き方はもう少し改善が必要になると思う。

そのチーム的な働き方を効率化するためにはやっぱりマネージャーは必要となるというのがこの話の結論になる。

デジタルと非デジタルを架橋する

それは「監視」や「定例報告」という、今回随所で見られることになったクソみたいな行為のことを指すのではない

そんなことをするのであればマネージャーは不要だ。

そうではなく、そういった「個」で働いている環境下でチームとしての実感をもたらすこと、その為に文語的表現を駆使してそれを適切に伝えていくこと、そしてできればそこにクリエイティビティをもたらすこと、それがマネージャーの仕事だ。

決して「工程管理」ではなく、簡易的な相談に応えたり、Q&Aを適切に行ったり、そういう普段職場でなにげなくやっているような行為を、できるだけ負荷のかからないような形で実現することが必要なのだと思う。

なんというか「とりあえず課長に電話してみっか」とか「チャットしてみようか」とか、「何人かと会議が必要だから、課長も入れとくか」とか、そういう敷居の低い状態、レスポンスの早い体制でいることが大事なような気がしている。

日常業務の部分は部下達に任せて(それは僕が普段から言っていることでもある)、それ以外のチームとしてのプラスαを生む部分を代行(補助)する、そういったことができるマネージャーがより求められてくるのではないか。

口語より文語は面倒くさいし、非対面デジタルツールは粒度が低い。

それを埋め合わせる(架橋する)のがマネージャーの仕事だと言ったら言い過ぎだろうか。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

基本的に「マネージャーなんていらない」と僕は考えています。

自分がいてもいなくてもチームは回っていくし、メンバーに比べれば給料も高いので、コスパも低いし、自分の存在意義を疑いながら日々仕事をしています。

でも今回の事態を通じて実感したのは、マネージャーはチームを賦活する為にはいた方がいいんじゃないか、ということです。

リモート環境下では、仕事の工程を管理したり、オーソライズを取ったり、間を埋めたりすることが思ったよりも難しい。

そしてその微妙なニュアンスを言葉を通して伝えていくことで、リモートにおける齟齬を解消していくことができる。

それができるのはマネージャーしかいない。

そんなことを思いました。

それが過大な自惚れであることを十分自覚しながらも、まだまだオレの仕事はなくならないぜ、と一人ほくそ笑んでいます。

どうぞ笑ってください。