簡単そうな奥深いもの

UnsplashFelipe Bastiasが撮影した写真

実力の可視化の困難性

社会人になってからずっと営業の仕事をしている(今はマネージャーという形ではあるが)。

そして、時々「差異」のようなものについて考えることがある。

新人とベテランの違いとは何か?

これだとまあ違いはわかるかもしれない。

では、経験年数が同じ二人の人間の実力の差はどのように表現したらいいのか、という問いはどうか?

もちろん、それは厳然たる差としてそこにあるとする。

ただ、それを言語化したり数値化したりするのは結構難しいことであるように思うのだ。

僕の会社では、そのような営業マンの能力をどのように表現するかに未だに難儀しているように思える。

もちろん、そこに僕も含まれている。

でも、違いがわからないかと言われると、全くそんなことはない。

違いはわかる。

とても明瞭に。

ただ、それを他者に理解させるのは、それも畑違いの人間(例えば人事部など)に理解させるのはなかなかの困難を伴う。

もっと言えば、同じ営業経験のある人間であっても、売るモノが違う場合、その微妙な差異を伝えるのは余計に困難だったりもする(なまじ営業経験があるので)。

今日はそんなよくわからない話をしていこうと思っている。

それでは始めていこう。

センスや才能の領域

まず僕なりに実力のある営業マンの定義(言語化)をしてみようと思う。

それは「言語コミュニケーションにおいて、言語そのものだけでなく、そこに含まれたニュアンスや感情、言語として話されていないいわゆる行間についても包摂的に理解を示すことができ、それに対して適切な言語を返すことができる人」である。

また、「非言語コミュニケーションにおいて、その場にある空気感を適切に捉え、ある種その場を支配できる人」であることも求められる。

これは訓練によって多少は改善できるものではあるが、実際のところ後天的に身に付けられるものではないところがミソである。

もちろん、知識やスキルのようなコンサルテーション能力が不要だとは思わない。

ただ、それは後からどうにでもできる。

でも、上記したようなものは、どうやったってわからない人にはわからないし、わかったとしても実践できるものでもない。

そして、それを他者に伝えるのは至難の業でもあるのだ。

実力と評価

冒頭に、新人とベテランの違いとは何か、ということを書いた。

ここでちゃぶ台返しをするようで恐縮であるが、このような書きぶりをすると、暗黙的に後者が優れていると皆が考えると思うのだけれど、営業においてはそんなことはないと僕は思っている。

新人だろうが、上記したような資質を備えたものは存在する。

もちろん、それを存分に表現する為には、多少の訓練は必要だろう。

でも、それを経れば、経験年数の差なんてものは全く関係がなくなる。

そういう意味では、営業の世界というのは非常に実力主義的な要素が強い世界であるとも言える。

しかしながら、これを伝えるのはとても難しいとも思う。

また、仮に伝えられたとして、理解して貰うところまで行くのはどうやったって無理な話である。

ただ、会社組織においては「評価」というものが付いて回る。

それもそのようなことを理解していない人が評価者として他者を評価することが往々にして起こる。

ここに僕は更なる困難さを覚える。

手を合わせればわかるもの

このような時に僕の頭に浮かぶのは「武道」である。

手を合わせれば、確実に相手の実力がわかる世界。

ただ、評価者と手を合わせる訳にもいかない。

ましてや、競技が違う場合だってある。

となると、「どのようにすればいいのだ?」と僕は途方に暮れてしまう。

制度の根幹に関わるはずなのに、簡単に済まそうとし過ぎでは?

「話をすればわかるでしょ?」というのが、僕の偽らざる感想である。

でも、話をしてもその実力がわからない人はたくさんいる。

そして、その手間すらを惜しむ人は山ほどいる。

ただ、そのようなある種面倒な作業を経なければ、成果主義や実力主義というのは砂上の楼閣になってしまうのではないか、とも思うのだ。

制度の根幹に関わる部分であるはずなのに、何だか簡単に済まそうとしてしまっているように僕は思える。

公平さはつまらなさにも繋がり得る

評価制度の公平性。

それを担保することに意識が向きすぎるあまり、評価自体が平板化してしまっているような気がしている。

例えばチェックリストやペーパーテストで実力を測ろうとすること。

僕には訳が分からない。

確かに、効率的だし、ある意味公平だと言えるのかもしれない。

でも、そこで仮に満点だったとして、そいつが優秀な営業マンだとは到底僕には思えない。

そろそろ記憶力が優れていることを優秀だと捉えるのはやめません?

計量不能なものの中にこそ、本質は宿る。

試験エリートが考える「能力」の概念。

それって記憶力が優れているだけじゃね?

だったらAIが最優秀ってことなんじゃね?

僕はそのように考えてしまう。

生成AIの養分ならいらない

言語化できないもの。

ネットに乗らず、生成AIの養分とならないもの。

それこそがこれからの時代においては求められていくのではないか?

わかり易く比較可能であったり、考量可能であるものにどれだけの意味があるのだろうか?

やっぱり何だかわからない話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

記憶力が優れていることを優秀さの尺度にすることからそろそろ卒業する必要があるのでは?

そんなことを時々思います。

それはWeb上にあるから。

となると、Web上にないものを提供できることが今後益々重要になってくるはずです。

Webとは言語です。

言語化が難しいものを突き詰めていきましょう。