舞台を作る

舞台がないから自発的に動けないのでは?
「部下が自発的に行動しない」
そういう悩みを聞くことがとても多い。
そしてその気持ちは僕もよくわかる。
大抵の部下は受動的であり、仕事というものは与えられるものだと思っている。
というか、そんなことを意識さえしていない。
それは当たり前のものであり、疑問に思うことすらない。
そんな状況において、部下が自発的に動くなんてことは起こるはずがない。
でも、成果を飛躍的に向上させる為には、部下が自発的に動くことが不可欠である。
この難問をどのように解いたらいいのだろうか、というのがここ数年の僕の悩みである。
そして、最近思うのは、「舞台がないから自発的に動けない」ということもあるのではないか、ということである。
これは根本的な解決からは離れているかもしれない。
ただ、はじめの一歩としては悪くない気もしている。
今日の話はそのような「場を作る」ことについてである。
それでは始めていこう。
リスクとリターン
「踊ってみろよ」
僕が時々部下に対して思うことである。
「好きに踊ればいいのに」
そう思うことがマネージャーになってから幾度となくある。
でも、彼(彼女)らは踊ることをしない。
その理由はたくさんあるだろうし、僕だってそれについては重々承知している。
日本社会がそうしているのか、僕たち管理職がその雰囲気を作ってしまっているのか、それはわからないけれど、「自分がやりたいことをやる」「それを表明する」というのは、とてもリスクが高い行為である、と彼(彼女)らは考えているように思う。
それなら淡々と働いていた方がいい。
というか、そのリスクを冒したとしても、リターンなんて得られないでしょ?
そのような雰囲気を感じる。
そして、その気持ちは痛いほどよくわかる。
「出る杭は打たれる」なんて言葉を掲げなくても、群れからはみ出ようとする者には容赦をしないのが我々の社会であるから。
そこで目立つなんてことは愚の骨頂であるから。
「でも、それでいいの?」と僕は思う。
やりたいことやろうぜ
いつの頃からか、僕は他者に認められたいという気持ちが急速に減少していった。
それは年齢のこともあるのかもしれないけれど、元々持っていた本質のようなものが露出しただけかもしれないとも思っている。
また、認める側の他者が実は大したことがないということがわかってしまったからかもしれない。
そのような経験を経て、僕は好きなことをやろうと段々と自分の仕事内容をシフトしていった。
もちろん、大っぴらにやっている訳ではない。
管理職という制約の中で、それでもできることをやろう、というのが現在の僕のスタンスである。
ただそれでも、他の人から見ると、僕の動きは少しはみ出ているように映るようで、そこに加わってくる人は殆どいない、というのが現状である。
ただ、変化の兆しもあるのも事実で、そのきっかけというか、はじめの一歩が、今日のテーマでもある「舞台を作る」ということである。
リスクを取らせる為の装置
ここで言う「舞台」というのは、「お膳立て」と言い換えてもいいのかもしれない。
リスクのある仕事、当たればデカいけれど外れる可能性が非常に高い仕事、それをやるにはとても勇気がいる。
でも、それなくして成長は見込めないのも事実で、日常の活動の中に、一発狙いに行く動きを織り交ぜていく必要がある(ひと頃話題になったグーグルの20%ルールみたいなものだ)。
しかしながら、このような動きは見方を変えれば「無駄な動き」ともなりがちで、リソースを使う以上、それが失敗した時の手当を事前にしておく必要があるのも事実である。
というのも、それをやっておかないと、部下たちが思い切ってそのリスクを冒そうとしないからである。
今のままの仕事をしていれば大失敗することはないから。
そうやって中程度の成果を出していこうとするのが本流の動きであるから。
そこにメスを入れる。
ネゴりと環境構築
上長や本社、そのような人たちに掛け合って、リスクを取る社員をきちんと奨励するよう事前にネゴっておくこと。
結果いかんに関わらず、そのような動きを取ったこと自体をきちんと評価するようコミットさせること。
それが僕の言う「舞台を作る」という意味である。
そして、このような「環境構築」がマネジメントなのではないか、と最近の僕は考えている。
まずはオレが踊るぜ
「好きに踊れよ」と言っても、「そこで踊ったら批判を浴びるんでしょ?」と考えている部下達。
でも、本当はこのままではジリ貧だよね、と彼(彼女)らだってわかっているし、少しは自分らしく踊る必要があると思っている。
ただ、事前に安全が約束されないまま踊るのはリスクが高すぎる。
そこでマネージャーの出番だ。
それを担保すべく、関係各部と話を付ける。
簡単に梯子を外すことがないよう、言質を取り、何なら書面にすら落とさせる。
そうやって、リスクを取ることを奨励していく流れを作る。
そして、やりながら思うのは、僕がそのような動きをしていること自体が、社内の空気を少しだけダイナミックに変えることに貢献している、ということである。
たぶん変わるべきは我々管理職なのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
踊ることにはリスクが伴う。
それも自分らしいフリで踊るのには。
予め決められた盆踊りのような踊りでは、心は躍らない。
多少外れても、ステップが乱れても、心を開放する楽しさ。
やりたいことをやるのは悪なのか?
快の感情で仕事したっていいんじゃない?
僕が考えているのはそんなことです。
組織には全く馴染まない考え方ですが、ジリ貧の日本社会を変える為に必要なことだと僕は思っています。
訳知り顔の人達はただ沈んでいくだけでは?
成果の出ないその踊り方をいつまでやっているんだい?
微細なフリの違いを指摘し合っている間に、僕らはもう最後尾だよ?
煙たがられながら、僕は僕のゲリラ戦を続けていくつもりです。
ご賛同いただけたら幸いです。