マネジメントを続ける為に

マネージャーに必要な資質とは?
マネジメントという仕事を10年ほどやっている。
その間たくさんの人達がマネージャー失格の烙印を押され、去っていった。
でも、僕は未だにマネジメントという仕事を続けている。
自分自身マネージャーに向いているとは思わないし、特段マネジメントという仕事が好きな訳でもない。
上昇志向もとうに失せたし、違う仕事をしろと言われればそれで構わないとも思っている。
そんな僕がマネージャーという仕事をし続けている。
不思議なものである。
ただ、周りを見ると、確かにこの人はマネージャーに向いていないよなという人はたくさんいて、そういう人は暫くするとマネージャーではなくなっていたりするので、マネジメントを続ける為には何らかの資質のようなものが必要なのだろうなとは思っている。
今日はそれを書いてみようという試みだ。
それでは始めていこう。
たくさんのマネージャーになる人と外れていく人
毎年たくさんの人がマネージャーに昇格する。
そして、たくさんの人がマネージャーという仕事から外されていく。
それを10年ほど間近で見てきた。
そういう意味では、人事部の見る目はそこまで間違ってはいないのだろうなと思うことになる。
もちろん、僕からすればその判断は遅すぎではあるが、「もう少し様子を見てみよう」という考え方もわからなくはないので、ある程度中長期的に見れば、妥当なところに落ち着いている、それが実態なのだろう。
当事者意識と視座
では、マネージャーを続けられる人とそうでない人の違いとは何なのだろうか?
といっても、そこにはたくさんのパラメーターがあって、「総体としての話なんだよなあ…」と思いながらも、それを分かりやすく纏めようというのがここからの話である。
僕が思うのは2点で、1つは「当事者意識」、もう1つは「視座」である。
以下、自分のことは棚に上げながら、書いていこうと思っている。
正対していること
まず1つ目の当事者意識について。
これはマネージャーという仕事には責任が付いて回るけれど、そこに正対できる人とそうではない人がいる、というのが僕がたくさんのマネージャーを見てきた感想である。
ここで大事なのは、「正対している」ということである。
責任の対象となっている事象に対して、真正面から向かい合うことができるか否か。
それがマネージャーとしての1つの分かれ道となる。
ちょっとした違い
では、「正対している」とはどういう意味か?
これはサッカーをしている人なら理解がしやすいと思うのだけれど、相手(という問題)に対して正面から向かって行くことを指す。
横でも斜めでもなく、真っすぐに向かって行くこと。
これが「正対」である。
問題に対して、そっぽを向いていたり、逃げてしまっているマネージャーがその仕事に向いていないというのは誰が見たってわかる話であるが、正対しているか否かというのはよくよく見てみないとわからない部分であると僕は思っている。
でも、このようなちょっとした体の向きの違いが、その人のマネージャーとしての適性を如実に表していると僕は考えているのだ。
上からはわかりづらい違い
これは上司からはマネージャーに向いていると思われているが、部下からは向いていないと思われている人によく見られる態度である。
そういう意味では、上司側からはあまりよくわからない部分であるとも言える。
正対できないマネージャーは自分の上司に対しては、きちんと問題に向き合っているように見せるが、それはあくまでも見栄えだけの問題であって、実際には正対できていないので、部下からすると「無責任なマネージャー」という評価になってしまうのである。
それが積もると、部下からの不満の表明という形で上司に暴露されることになる。
結果、マネージャーから外されていく。
客観性と多角さ
2つ目は「視座」についてである。
これは物事を客観的かつ多角的に見られるかどうかを指す。
マネージャーという仕事は、ややもすると、自分のチームだけに責任を持ちがちになってしまう仕事である。
ここには1つ目に挙げた当事者意識が捻じ曲がった状態で出てきてしまうことも含まれる。
マネージャーは当然ながらチームの長ではあるのだけれど、そこだけ良ければ良いという行動が露骨に出てしまうと、それはそれでマネジメントとしては厳しいという評価になってしまう。
例えば、成果というのはマネージャーにとってとても大事な指標であるが、自分のチームの成果目標をクリアすることだけを考えているマネージャーは、やっぱりマネジメントという仕事を続けるのは難しいと言わざるを得ないのである。
もちろん、その当事者意識は大事だし、責任感は必要である。
ただ、それが変に露出してしまうと、全体のバランスが崩れてしまうことになる。
自分のチームだけが良ければいいのか、という視点は、特に経験が浅いマネージャーにはわかりづらい観点であるようで、この呪縛から早めに抜けられないと、マネージャーという仕事を続けることは難しくなる。
言い換えれば、この2軸さえしっかりしていれば、マネジメントという仕事を続けていくことはそこまで難しいことではないのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
書いた後で、マネジメントという仕事を続けたい人なんていないのかもしれない、ということに気づき、「何だか意味のない話になってしまったなあ…」と思っているところです。
罰ゲームであるマネジメントという仕事。
離れられるならそれに越したことはないのかもしれません。
でも、もし続けたいという奇特な人がいるなら、今日の話は参考になるかもしれません。
当事者意識と適切な客観性。
それがあればマネジメントという仕事を続けていくことはできます。
バランス感を大事にしていきましょう。