任せきれない管理職?

UnsplashChris Liveraniが撮影した写真

なぜプレイングマネージャーはプレイしてしまうのか?

プレイングマネージャーから脱する為に必要なことは部下に仕事を任せることである。

でも、多くのマネージャー達は、部下に仕事を任せることができない。

それは部下に任せると、仕事が進まなかったり、成果物の水準が低かったり、顧客とトラブルになる可能性があったりするからである。

それなら自分でやってしまった方がいい(というかやるしかない)。

それが多くのプレイングマネージャーたちの現状である。

たぶん彼(彼女)ら自身も、「このままではいけない」「部下に仕事を任せなければ」と考えているのだとは思う。

でも、できない。

というか、たぶん任せてはいるのだけれど、「任せきれて」はいない。

では、部下に仕事を任せきるにはどうしたらいいのか?

「実際にトラブってから考える」

だいぶ暴論のように聞こえるかもしれないけれど(というか実際に暴論だ)、今日はそんなことを書いていく。

プレマネとマイマネ

プレイングマネージャーマイクロマネージャーは似ている。

いや、正しく言えば、プレイングマネージャーが部下に仕事を任せようとした時にクラスチェンジするのがマイクロマネージャーである。

その思考回路はこうだ。

「マネージャーなのにプレイングの割合が高いし、全然戦略立案に時間が割けない」

「何とかプレイングの時間を減らしたい」

「となると、部下に仕事を任せるしかない」

「でも、アイツらがきちんと仕事をできるとは思えない」

「だったら、まずはその仕事の進捗を管理して、できるまでガイド(アシスト)しなければならない」

「それも週に1回くらいじゃ全然仕事が進んでいない可能性が高いから、できるだけこまめに確認しよう」

こうやってマイクロマネージャーが誕生する。

顧客に罵倒されてしまえばいい

僕がマイクロマネージャーを見て思うのは、「不安なのだろうな」ということである。

まあ気持ちはわかる。

部下はとんでもないことを、とんでもない角度でやりだすから。

でも、放っておいたらいいのだ。

実際にトラブルに直面し、顧客などに罵倒されればいいのである。

僕はそのくらいの覚悟で部下に仕事を任せている。

部下に仕事を任せられないのは、マネージャーに力がないから

プレイングマネージャーは自分の力の誇示、マイクロマネージャーは部下の為を思った(風を装った)事前の爆弾処理、に力を注ぎ過ぎている。

僕は最近そんなことを思う。

どちらもマネージャーとしては3流である。

厳しい言い方にはなるけれど、部下に仕事を任せきれないのは、(部下の能力が関係ないとは言わないまでも)マネージャーに力がないからである。

「何が起きても対処できる」とマネージャーが思っていれば、部下に仕事を任せきることができる。

暴論ではある。

でも、たぶんこれが真実なのだ。

ケツを拭くマネージャーは絶滅してしまった

付け加えるなら、部下のことを信頼していないから、仕事を任せきれないのだ。

昭和時代を引きずるマネジメントには腹が立つことばかりだけれど、1つ良かったことを挙げるなら、「ケツを拭く」マネージャーが一定数存在したことである。

「オレが責任を取るから、好きにやれよ」という言葉が、本当の意味を持って通用していた。

親分みたいな上司が存在していた。

マネージャーが責任を取らないから、部下の仕事の精度が下がる

翻って現在。

そんなマネージャーは存在しなくなった。

言葉では格好いいことを言っていても、実際に責任を取る人なんて存在しないのだ。

ケツの穴の小さなマネージャーばかり。

それを部下はわかっている。

だから、彼(彼女)らはビクビクしながら仕事をしている。

「間違っていたらどうしよう」「怒られたらどうしよう」と、その度に手が止まる。

結果仕事が進まない。

それを見てマイクロマネージャーが仕事に介入する。

その一連の流れが繰り返される。

すると、部下も「最後はマネージャーがやってくれるからテキトーでいいや」と思うようになる。

仕事の精度が下がることが定常化する。

こういう仕組みなのだ。

惨敗からがスタート

僕の場合は違う。

僕は仕事を任せると言ったら本当に任せる。

僕が介入することはない。

すると、部下は不安になる。

納期は確実に迫っているのに、マネージャーが全然関与してこないから。

結果、そのままの状態で、顧客にぶつけることになる。

惨敗する。

怒鳴られたり、取引が解消になったりする。

そこからがスタートでは?

僕はそんな風に考えている。

部下の身を守りたいのではなく、自分の身を守りたいだけだろ?

部下の不始末は、上司の不始末である。

それを被りたくないから、マネージャーは部下の仕事を自分で引き取っていく。

気持ちはよくわかる。

でも、それを続けていると、いつまでも部下は成長しないし、自分もマネージャーとして成長していかない。

事前に災いの芽を摘んであげることは、一見優しいように見えるけれど、甘いだけなのではないか、と僕は思う。

その部下が今後社会人として仕事をしていく為には、1人である程度の水準までの仕事ができるようになる必要があるのに、その機会を奪っているだけなのでは?

というか、「部下の為を思って」というお題目を掲げて、ただ自分の身を守っているだけなのでは?

厳しいけれど、僕はそんな風に思うのだ。

罵倒の後の帰り道

顧客に罵倒された後の帰り道、僕は部下に話をする。

そこでの会話が部下育成のスタートとなる。

仕事というものをナメている若い世代に対する憤りは僕にだってある。

でも、それをわからせるには、これくらいの覚悟が必要なのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「やってみなはれ」

鳥井信治郎の言葉としてよく引用されるものです。

それは殆どの人がこれができないからです。

部下に仕事を任せるというのは口で言うのは簡単で、実際にはそう簡単にできるものではありません。

ましてや「任せきる」なんてことは。

僕が常日頃から「腕を磨け」と言っているのは、罵倒されるような事態からでもリカバリーできるくらいの力があれば、部下に仕事を任せきることができるからです。

最後はオレがどうにかすりゃいいや。

そのくらいの胆力がなければ、部下に仕事を任せることはできません。

筋トレと場数。

自身を鍛え抜いていきましょう。