大事なのは行動変容を促すこと(言って気持ちよくなるのではなく)

UnsplashEdward Howellが撮影した写真

部下の行動を変えることを第1義にする

マネージャーを何年もやってわかったことの1つに、「部下の行動を変えさせること」を第1義に置いている人は多くないし、それが第1義とする意味すらも分かっていない人が大半である、ということがある。

裏を返せば、「自分が言いたいことを言う」もしくは「言って気持ち良くなる」ことを優先順位の最上位に置いている人が多数である、ということになる。

マネージャーからメッセージは部下の行動変容を促す為に発せられるべきであり、決してマネージャー自身のストレスの捌け口として利用してはならない。

こうやって書くと「何を当たり前のことを」と思われる人もいるかもしれないけれど、実際に現場で何人(何十人)ものマネージャーと接してきた経験から言うなら、これを当たり前のようにできている人は殆どいないのが現状である。

もう少し嫌らしい言い方を許して頂けるなら、マネージャー自身のメンタル状況は関係ない。

マネージャーがどういう気持ちになっているとか、どういう思いで言っているのかとか、そういったものはどうでもいい(二の次でいい)。

大事なのは、そのメッセージが部下の行動を実際に変えるか否か、ということである。

意味が分からないかもしれないけれど、今日はそんなことを書いていく。

想いはいらない

マネージャーから部下宛のメッセージに、マネージャー自身の感情を載せた方が部下の行動が変わるのではないか?

そう思っている人は多い。

もちろん否定はしない。

それが有効であることは事実だろう。

でも、今日の話の要点は、「優先順位」である。

自らの想いが載ってはいるけれどそれが部下の行動変容を促すかどうかはわからない言葉と、想いは載らないけれど行動を変えさせる言葉を天秤にかけるなら、後者の方を優先させるべきである、と僕は思っている。

もちろん実際には、この両者が適度にミックスされたものになることが多い。

ただ、敢えて今日言いたいのは、想いの部分が過剰である人が多すぎるので、それを一切捨象してみることをやってみたらいかがでしょうか、ということである。

権威だけでは人は動かなくなってしまった

自分の想いの部分に頼らずに、論理や数理だけで、部下の行動を実際に変えることができるのか?

それだけの強度をあなたのメッセージは持っているのだろうか?

そういうことを言いたいのである。

というのも、これは部下の「腹落ち」に関係してくるからである。

部下が腹落ちしてなければ行動は変わらないし、行動が変わらなければ成果は変わらない。

でも、昨今のような状況においては、マネージャー自身の想いだけで部下が腹落ちする訳ではない。

もう少し正確に言うなら、以前(例えば昭和時代)だって腹落ちしていた訳ではなく、上司部下という擬制が強力に働いていたので、マネージャーの想いだけで作用していた(ように見えていた)ということになるのだろう。

それはもう通用しない。

「なぜそれをやらなければならないのか?」という質問に正面から答える

「なぜそれをしなければならないのか?」という言葉は、若者(特にZ世代)からの代表的なセリフとしておじさんの間で話題になったりするけれど、僕はそのおじさん達のように「黙ってやれよ! 仕事なんだから」というように切り捨てることはできない。

僕だってそう思うから。

そう思って仕事をしてきたから。

世の中にはムダな仕事がたくさんあって、それもその多くはブルシットですらあって、それをなぜやらなければならないのか、という問いは別に若者の世間知らず加減のせいではなく、当然考えて然るべき話である、と僕は思っている。

むしろ、それを考えずに盲目的に働いている人たちに不信感すら抱いてしまうくらいだ。

そういう意味では、「なぜそれをやらなければならないのか?」という言説に対して、自分の想いなどの感情論やべき論で立ち向かうのはお門違いとも言える。

正面からその質問に答える必要がある。

それをやらなければ、その経路を経なければ、部下の行動変容は促せないのである。

本当に変わるのと、面倒だから変えるのは違う

もちろん、形式上(表面上)上司や会社の言うことを聞いてみせるということはあると思う。

あなたが言った言葉、感情を載せた言葉によって、部下の行動が変わったように見えることはあるだろう。

でも、それが本当に腹落ちして変わったのか、そうでなくこれ以上言われると面倒くさいから取り敢えず変えたのか、というのは見極めが必要だ。

そして、今回の話は前者の話なのである。

優先順位が大事

このブログの初期から書いていることだけれど、実際に部下の行動を変えるような具体的な方策を示すことができるマネージャーは本当に少ない。

繰り返すが、そこにモチベーター的な要素がいらないとまでは言わない。

でも、エッセンスというか、感情を削ぎ落した状態でも部下を動かすような戦略なり戦術というものは構築が可能なのである。

しっかりと考え抜かれた戦略には、論理性が担保される。

論理性が担保されれば、その土台が崩れることはない。

その上に、感情なり想いなりを載せればいいのだ(優先順位の話だ)。

マネージャーとは?

「四の五の言わずやれよ!」というのは簡単。

でも、実際にやらせるのはそんなに簡単じゃない。

ただ、それができる人をマネージャーと呼びたいのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

今日の話は、裏を返せば「全く心にもない言葉であったとしても、部下の行動を変えるなら意味がある」ということになるのかもしれません。

もちろん、それが良いとは流石の僕だって思いません。

でも、振れ過ぎた針を戻すなら、そういう方法もアリなのかも、とは思ってしまいます。

それくらい、感情を最終兵器にしてしまっているマネージャーは多い。

マネージャーの感情なんて関係ないぜ?

大事なのは、それがどのような作用をもたらすかだ。

それが当たり前になる日を願って、僕はまた今日も無機質なマネジメントを続けていきます。

引き続きご愛顧頂けたら幸いです。