戦略はモノの見方を変えることでもある

UnsplashAnika Huizingaが撮影した写真

戦略とは世界観の提示なのでは?

戦略が蔑ろにされている。

そのような趣旨のことをこのブログの中ではずっと書いているような気がしている。

そしてその理由について考えてみると、「戦略なんてものは誰だって考えることができる」「忙しくて(orその他様々な理由で)、たまたま思いつかなかっただけだ」と捉えられているのではないかということを思い当たったので、今日はそれを文章化してみようと思う。

もう少し詳しく言うなら、「アイディアはタダだ」と考えている人が多いな、というのが僕の印象である。

他人のアイディアを借用することに、何の良心の呵責も感じない種類の人。

この種の人に戦略を策定することはできない。

なぜなら、戦略とはモノの見方を変えることでもあるからだ。

世界観を提示できない人(モノの見方を変えることができない人)に、戦略策定はできない。

僕はそう考えている。

意味が分からないかもしれないけれど、とりあえず話を始めていこうと思う。

考えない葦

仕事をしていて、それもマネージャーという仕事をしていて、僕が感じるのは、「人は考えない生き物である」ということである。

人間は考える葦ではなかったのか?

僕はパスカルにそう文句を言いたくなる。

でも、これが現実なのだ。

そして、考えていない人は考えていないということを自覚しておらず、他人が考えたものを流用すればいいと捉えているように僕には思われる(というかそれすら考えていない?)。

まあ確かに、自分で考えるよりその方が簡単だし。

でもね、と僕は思うのだ。

それではモノの見方を変えることはできない。

モノの見方を変えることができなければ、チームが本質的になることはない。

世界観の統一

戦略が大事なのは、それによってマネージャーが伝えたいこと(例えばチームにおけるコンセプト)を明確にすることができるようになるからである。

それは大げさな言い方をするなら、「世界の見方の提示」とも言える。

現実にある事象をどのように捉えるのか?

どのような解釈をするべきなのか?

それをある程度統一する為の方法(の1つ)が戦略の策定なのである。

部下が判断する為の拠り所

これは「チームにおいて何を大事なものと考えるのか」と言い換えてもいい。

そのチームにおける大切な価値観は何なのか?

それを具現化する為にはどのような行動を取ればいいのか?

これをマネージャーが直接指示するのではなく、部下自身が判断し、行動できるようになる為の指針(拠り所)が戦略なのである。

それは分かり易いものであると同時に、深みがなくてはならない。

視座の提示。

世界観の付与。

それが戦略策定なのである。

なぜあなたの部下は自発的でないのか?

もちろん、戦略には「事象に対する有効な打ち手」という意味が含まれている。

多くの場合、それは「戦術」と呼ばれることになるが、戦略と戦術を僕自身も混同して使ってしまっているのも事実である。

ただ最近は、戦略にはビジョンの提示と、その判断基準が内包されていることが重要なのではないかと考えている。

部下が自発的でないのは、もちろん部下自身のパーソナリティの要素が大きいけれど、それだけではなく、判断を行う為の指針が示されていなかったり、その奥にある世界観が提示されていないことも関係しているのではないか?

そのように思うのだ。

重箱の隅をつつくことは優秀さの証明にはならない(当然だ)

これは「重箱の隅をつつくタイプの部下」を育成しない、ということにも繋がるかもしれない。

どうも現代の日本社会では、細かいルールの粗のようなものを探して、そこを突くことが優秀さの証明方法だと勘違いしている人が多いような気がする。

そんなものは優秀さの証明にはならない。

大事なことは、そこに含まれているビジョンや大義のようなものを理解し、自分の言動や行動がそれに即したものであるかどうかを判断できることである。

それもルールから多少外れていても、大義には適っているのであればOKと考えられるような人材を作ることが大切なのである。

そしてそれはチェックリストを作ったり、ルールブックを分厚くすることでは実現できない。

ではどのように実現したらいいのか?

ちょっとしたアイディアの提示を

僕が考えているのは、冒頭にも書いたように、「ちょっとしたアイディア」を提示することである。

その「ちょっとしたアイディア」は、後から振り返れば当たり前の話なのだけれど、その時点では盲点になっているような、ちょっとした視座の違いの提示である。

世界は変わっていなくても、物事の捉え方を変えることはできる。

物事の捉え方が変われば、行動が変わってくる。

でも、その為には、マネジメントを仕事にする人が、そのちょっとしたアイディアを提示できるように考えなければならない。

それは一見簡単そうに見えるけれど、そんなこともない。

世界観の提示。

それも誰もがハッとするような。

でも、そこに自分なりの信念が含まれているような。

だから、誰かの借り物ではいけないのだ。

仮にそれをさも自分のものだとして使ったとしても、それでは意味をなさない。

その人自身の視座が含まれていないから。

その人自身の視座が含まれてない言動や行動に、チームが腹落ちすることはない。

腹落ちすることがなければ、チームの行動は変わらない。

後は言わずもがなだろう?

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

クリティカル・ポイント。

秘孔を突くみたいな感じに、物事には本質的なポイントがあります。

それをできるだけ簡単な形で提示できること。

それが知性なのではないか?

僕はそのように考えています。

衒学的な言い回しや、妄執的な拘りのひけらかしは、知性とは最もかけ離れた行為です。

でも、そういう奴が多すぎる。

オッカムの剃刀。

シンプルで、でも深さもあるもの。

戦略を提示し、世界観を変えてきましょう。