フェアであること

マネージャーにも当然好き嫌いはあるけれど…

マネージャーはフェアであることが求められる。

ここで言うフェアとはどういうことか?

僕はこう考えている。

フェア…1.人物ではなく事象で判断をする。

    2.機会を平等にする。その上で結果で評価する。

まず1から。

言いにくいことだけれど、マネージャーにも好き嫌いがある。合う合わないがある。

ある部下からの相談は、いつも自分の判断軸と似ているので、大体その部下の意見通りにする。この部下を①合う部下とする。

一方別の部下からの相談は、いつも自分の判断軸と違うので、大体その部下の意見を修正する。この部下を②合わない部下とする。

こうしたことが日々繰り返されていくと、①合う部下には何でもかんでも賛成で、②合わない部下には何でもかんでも反対、と他の部下からは見られるようになる。

簡単に言うと、「マネージャーは、①合う部下を贔屓している」と言われるようになる。

そのうちに、①の合う部下も勘違いをし出すようになる。調子に乗ってくる。

そしてある時、①の合う部下から相談が来る。「自分でもちょっと違うかなと思っているけれど、まあ課長はオレのことを気に入っているし、大丈夫だろ」みたいな球が来る。

人物でなく事象で判断をする

ここでどうするか?

僕は単純にその意見を修正する。

当たり前のことだと思うだろうか?

確かにその通りなのだが、これが現場ではなかなか難しい。

そして、その部下が課内で1番の数字を上げている社員だったりすると、話はややこしくなる。

もっと言うと、マネージャーが男性で、その部下が女性だったりすると、話はさらにややこしくなる。

部下は部下で「このくらいは許されるだろう」と思っているので、急にNOと言うと、虚を突かれたような反応になる。

逆も然りだ。

普段意見を修正しているばかりの部下からの相談に対して、全面的にOKする。その部下は部下で驚く。

もう少し嫌らしい言い方をするなら、これを他の部下に見せることが大事だ。

惰性で判断してはいけない

変なことを言っているだろうか?

すごく現場っぽい話だと自分では思う。

マネージャー本ではあまり書いていないことだと思う。

でも僕はこういうことが大事だと考えている。

事象事象で判断していくと、部下達はマネージャーをフェアだと思うようになる

好き嫌いは人間なのであることは仕方ないけれど、仕事においては公平な判断をする、そういう感覚が部下に生まれてくる。

あの人の判断は信頼できると思うようになる。

マネージャーは日々無数の判断をしなければならない。

もちろん全ての判断について100%の力で臨めればいいのだけれど、体力や時間に限りがあるので、実際にはそうもいかない。

結果的に、ある種の相談に対しては、惰性というか、この人からの相談ならいいか、みたいになってしまう

これは良くない。

うん、うん、うん、うん、ん? みたいな感じと言えばうまく伝わるだろうか?

意識を全て向け続けるのは難しいけれど、要点を捉えて、気になれば反応する。時に反対意見も言う。

すごく生っぽい話だと思う。

でもこれが現場での日常においては非常に大切だ。

機会を平等にする。その上で結果で評価する。

次に2について。

機会の平等と結果の平等の話だ。

これは部下の不満から始まることが多いので、こんなたとえ話をしてみる。

部下A:「あの人(部下B)は良いお客さんばかり担当していてズルい。私もそういうお客さんを担当すれば、同じくらいの成績を出せるのに。不平等だ」

営業の現場では多い不満だ。あるあると言っていい。

これに1の項目である「課長は部下Bを贔屓している」が合わさるとさらに面倒だ。

こういう場合にどうするか?

色々な方法があると思うけれど、例えばこうしてみる。

対応策:そのお客さんを実際に部下Aに担当させる。

    そして他の部下の担当先も大体同じくらいの層になるように見直す。

当然良いお客さんを外された部下Bや、担当先を変えられた他の部下は面白くなく思う。

でも、一方で部下Bも普段から部下Aからのそういう不満に対してもウンザリしているので、最後には「じゃあ、やってみれば?」となることが多い。

部下の思い通りにやらせてみる

では、数字はどうなるか?

僕の経験では、新しく担当した部下Aが部下Bと同じくらいの数字を上げることはない

もっと言うと、惜しいというレベルの数字にすらならない。

マネージャーはこの結果に対して評価を下す。

僕の論理はこうだ。

「みんなの言う通り同じくらいの層になるように顧客配分を行った。そして実際に営業してもらった。でも結果は変える前と変わらない。それは顧客が良かったのではなく、実力に差があるからだ。もちろん短期間ではわからないこともあると思うけれど、自分の力が足りないことはわかったんじゃないかな?」

これはなかなか難しい判断だけれど、停滞しているチームを変える為には通らなければならない通過儀礼のような気もしている。

とりあえずみんなの不満を吐き出させて、「そんなに言うなら、やってみろよ」と突き放してみる。

一時的に数字が下がるのは覚悟の上で僕は時にこういう決断を下す。

「他責」を排除して結果で判断する

いつも書く話だけれど、大事なのは不満を解消することではなく、納得感を醸成することだ。

実際に良いお客さんを担当した部下Aは実力差を痛感することになる。今までは顧客層が違うという「言い訳」ができていたのに、それができなくなる。

ある種残酷な現実を突きつけられる。

そうすると、この部下の意識は他者でなく、自己に向かうことになる。

何年間でチームを改革するか、どれくらいの時間マネージャーは待ってもらえるのか、にもよると思うけれど、時にはこういった劇薬も必要だ。

大体負けているチームは他責だからだ。

自分以外の「誰か」が悪いから結果が出ていないと思っている。

そんなことはない。

自分が悪いのだ。

だから僕は残酷にもそれをオープンにする。白日の下に晒す。

そして同条件で競争した後の数字に対して評価をする。

もちろん実際に一部の部下に顧客が偏っていて、それが他の部下のやる気を削いでいる場合もよくあるので、見極めが肝心だ(その場合には逆に部下Bの実力が晒されるので、結果は変わらないけれど)。

時には非情になることも必要だ

僕は自分自身が営業担当だったので、部下の実力はだいたいわかる。営業現場に同席すれば、その部下が年間どのくらいの数字を出せるのか予測がつく。

キツい言い方をするのであれば、身の程をわからせる、という感じかもしれない。

まとめると、1も2も、マネージャーはフェアに判断する人間だ、ということを周知させることが、部下のパフォーマンスを向上させる為には重要な要素だということだ。

贔屓も忖度もなく、ただ単純に実力がある人を評価する。

そして、口だけの人間には容赦しない。

こういったイメージを周知させる。

もちろんマネージャーには情も必要だけれど、それだけでは結果は出せない。

時にはこういった非情さ、非人間性も必要だ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


編集後記

良いマネージャーというのはどういう人のことを言うのでしょうか?

人間は自分を可愛がってくれる人を「良い人」と呼びがちです。

でもメンバー全員に「良い人」でいることはできませんし、仮にできたとしても(たぶん)成果は出ないでしょう。

その時に尺度となるのは「公平」という概念だと僕は考えています。

マネージャーがフェアであるとチームは安定します。

部下のエネルギーを「外」に向けることが肝要です。フェアにいきましょう。