マネージャーの判断と行動の積み重ねがチームの文化になる

マネージャーから見えない時の部下の行動は「文化」に左右される

チームマネジメントには「文化」が必要だ。

そしてそれは望ましいものであるに越したことはない。

新しいチームに着任した時に感じる違和感の正体は「文化」であることが多い。

明文化されているわけでもなく、何となくその構成員によって暗黙の内に「そういう行動をする」ようになっている規範、それをここでは「文化」と呼ぼうと思う。

良好なチームには良好な文化があるので、メンバーが変わっても、そのパフォーマンスは維持されることが多い。

一方、負け癖がついているチームには「そういう文化」がある。

マネージャーは日々判断を求められる

例えば、期日が守れないことが問題だったとする。

内部的な話ならいざ知らず、その結果顧客にも迷惑をかけていたとする。それが頻発していたとする。

君はここから手を付けようとする。

色々な方法があると思うが、例えば、チームの中で「会議の前は必ず5分前に集合しよう」というルールを作ったとする。

日々の習慣から変えようという意図だ。

君はマネージャーとして、会議が時間通りに始まらないこと、そもそも会議自体を蔑ろにしているメンバーがいることに苛立っている。

そのルールを作ったあと、最初の会議が行われる。その時、メンバーの1人が5分前に集合しなかったとする。

「お客さんとの面談が長引いてしまって」と彼は述べる。

その時に君はどう行動するか?

マネージャーの判断の積み重ねによって文化が醸成される

こうした判断と行動の積み重ねがチームの「文化」となる。

例えば、その部下を叱責する。そうすれば、ルールを第一とする文化が醸成される。

例えば、それを放置する。そうすれば、「結局、時間に遅れても良いのだ」という文化が醸成される。

例えば、理由によって良否を決める。今回の場合は顧客との面談が理由なので、OKとする。そうすれば、会議よりも顧客が優先されるという文化が醸成される。

どれが正解という訳ではない。

でもそこにマネージャーの意思が現れる。君の人間性や個性や信条が現れる。

言行を一致させるのは時にとても難しい

では、これはどうか?

2回目の会議に君自身が遅れてしまったとする。

悪意でも怠慢でもなく、同じように顧客との面談で遅れてしまったとする。

会議室には部下全員が待機していて、そこに君は入っていく。

その時に何と言うか? どう行動するか?

自戒を込めて言うけれど、ルールを定めたマネージャーは「自分だけは適用外」としてしまうことが多いと思う。

こうしてしまうと、「言行不一致」となり、良い文化は生まれない。

例えば、1回目の会議の時に「ルールを守れ」と部下を叱責していたとする。

そして、2回目の会議の時に自分が遅れた際には「お客さんと面談していたから仕方がない」と言ったとする。

言行不一致だ。

そうすれば、「結局、口では偉そうなこと言っているけれど、マネージャーは自分ではそのルールを守らない。管理職は何をやってもいいんだ」というような文化が生まれる。

たぶん、当初企図していた期日を守るという文化の醸成はそこで頓挫するだろう。そして会議の前の5分前集合というルールも形骸化するだろう。

もちろん、マネージャーが遅れたのは重要な顧客との面談だったとする。

でも、そんなこと言ったら、1回目の部下だって重要な面談だったかもしれないのだ。

これはあくまでも1例だけれど、こうしたことの積み重ねがチームの文化となり、パフォーマンスに大きく影響する。そして外部からはこの側面は見えにくい。

計量できる訳でもないし、可視化されている訳でもないからだ。

でもここが優秀なマネージャーとそうでないマネージャーの差であると思う。

「じゃあ、マネージャーは常に聖人君子でいなければならないのか?」

答えはこうだ。

そうありたいけど、人間である以上それは不可能だ。

判断軸を話して「納得性」を作る

例えの続きとして、「ではどういうルールであれば良かったのか」ということを書いてみる。

正解ではないが、僕ならこうするという1つのアイデアだ。

まず最初のルールメイクのところで、ルールを作る理由を説明する。

ここであれば、「お客さんに迷惑を掛けるのは避けたい」という話をする。

「直接繋がる訳じゃないけど、会議だって関係者も時間を割いている訳だし、その後のスケジュールもあるし、ここで時間を守ることで、お客さんも尊重することになるのではないか、と僕は考えている」と続ける。「だから、時間を守ってほしい」

「でも、色んな理由があって、遅れることだってあると思う。もちろん、僕だってそうだ。遅れることもあるだろう。その場合は、遅れる、という連絡をして欲しい。顧客との面談中で電話ができないなら、事後でも構わない。とにかく一報が欲しい」

そして、「判断に迷った場合には、顧客を優先順位の1番にする、という原則から考えて欲しい。時間は守ってほしいけれど、第1の目的は顧客なので、そこを履き違えてはいけない」

僕は自分で不完全な人間だという自覚があるので、「会議の5分前集合」は色々な理由で守れなくなるだろう。でも「時間を守る」という文化は作りたい。そして「お客さんを大事にする」という文化も作りたい。

もちろん僕が会議に遅れ続けたら不満も出るだろう。でも僕が言いたいのは、全てを得るなんていうのは不可能だということだ。

そこで大事なのは納得性だ。

「ああ、課長はあのお客さんとの面談だったのか。確かにあのお客さんは話好きだからな。まあ仕方ないよな。でも事前からその面談があるとわかってるなら、会議の時間をもう少し遅らせればいいのに。いや、急な面談だったのかもしれないな。じゃあ、腹立つけど仕方ないか

こういった雰囲気がチーム内にあれば僕は十分だと考えている。

「何で課長は会議に遅れるんだ。自分で言ってたのに許せない!」とか「課長が良いなら、オレだって許されるだろう。来週の会議サボろう」という不満だけでなく、そこに納得性が必要なのだ。

マネージャーの行動=チームの行動

不満はなくせないけれど、納得性を付与することはできる、と僕は考えている。

だから実際に遅れてしまった場合にもきちんと謝る

もし以前に叱責してしまっていたらこれはなかなか勇気のいることだけれど、これが大事だ。その部下にも謝る。

開き直る訳ではないけれど、マネージャーだって人間なのだ。失敗だってする。

その時に大事なのはそれを素直に認めること。そして素直に認めたものは許容するという文化を醸成すること。

もっと言うと、文化は毎日変化していくので、今日素晴らしくても、半年後にそれが素晴らしいままであるかはわからない

だから、日々絶えずメンテナンスをしなければならない。

不完全な自分がその日々の中では露呈されていく。

神様ではない自分は自分で定めたルールを何度も破ってしまう。

だからこそ、納得性が大事なのだ。

繰り返しになるけれど、正解はない。

マネージャーの振る舞いがそのチームの文化となるのだ。

書いていて耳が痛くなる。襟を正したくなる。

今日は自戒を込めてこれを書いた。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


編集後記

監督が変わるとチームが劇的に良くなるということはスポーツではよく起こります。

これは選手の能力が大きく変わらないことを前提とすると、とても興味深い現象です。

もちろん戦術などテクニカルな要因も関係すると思いますが、1番大きな変化は文化の変容であると考えています。

チームにおける行動規範や判断軸が変わると人の行動は想像を超えて良化します。

「実力以上の成果」を生むためには文化が重要です。

それを作るため日々きちんと仕事をする、そんなことを思いながら、自戒を込めて今回は書いてみました。