忙しぶる人たち

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できるだけ手を抜くことがマネージャー業務のキモ

入力と出力は比例しない。

マネジメントについてはこう言い切ってもいいような気がしている。

それこそ初任マネージャーだった時には、入力を多くすれば出力も大きくなるのではないかと思って、ガムシャラに働いていた。

手をかければかけるほど、関われば関わるほど、パフォーマンスは向上するというように考えていた。

でも今は違う。

できるだけ手を抜くこと、力を抜くことばかり考えている。

忙しそう=無能

これは見方によっては「サボり」と受け取られるリスクはあるし、マネージャーの手柄にはなりづらいやり方ではあるのだけれど、結果としてパフォーマンスが高ければいいんじゃないか、と僕は考えている。

マネージャーとして良くないのが、この対極にある「オレがオレが」という仕事の仕方だ。

今回のテーマでもあるように、この手のマネージャーは必要以上に忙しそうに働いている。

できるだけ多く関与することで、自分の有能性を示そうとする。

これはマネージャーだけでなく、担当者にも当てはまることだと思うのだけれど、「バタバタしていること=優秀」というような扱い方はそろそろやめた方が良いと思う。

賛同者はとても少ないが、僕は「バタバタしている=無能」と思っている。

「自分は生産性が低い」ということをアピールしているように僕には見える。

これはたぶん「プロセスこそが尊い」という思想から来ているのだと思う。

もちろんプロセスは大事だ。

でも不必要なプロセスは不必要だ。

それを過剰に行ったところで、パフォーマンスが上がる訳ではない。

プロセスというのはあくまでも二義的な問題に過ぎない

でもここにそれこそ命を懸けるようにアピールを行う人がいる。

僕にはとても不思議だけれど、評価する方もそういう人を高く評価しがちなのだから、きっと有効な戦略なのだろう。

場の空気を乱すようなことを言うけれど、僕はプロセスというのは二の次であって、最初に評価されるべきは「結果」だと思っている。

しかしながら、「結果」というのは様々な外的要因によってボラティリティが出てしまうことも事実なので、そのボラティリティを調整する為にプロセスという概念を導入する(補正する)というのが正しい順番であると思っている。

でもみんなこの「前段」の部分を過剰に評価しがちだ。

どれだけ忙しく、一生懸命に働いたか、が重要で、結果というのはある種「仕方ないもの」というような感じで受け止められる。

僕自身が営業畑の人間だからかもしれないけれど、1日だけ働いて365日分のパフォーマンスが上がるのであればそれでいいんじゃない? というように僕は考えているし、部下にもそのように話している。

もう少し現実的な話をすると、毎日忙しく営業するのではなく、1日はじっくりと作戦を練る日に充てたっていい(ぼーっとしていていい)、それで結果が出るのであれば、というように僕は考えている。

マネージャーがいない状態がベスト

これはマネジメントであれば、より明確に現れる。

究極的にはマネージャーがいない状態がベストだと僕は考えている。

部下達が勝手に仕事をしてくれて、高い成果を持ち帰ってくれるのが一番良い。

マネージャー個人としては手ごたえというかやりがいがないのだけれど、僕はそれで構わないと考えている。

というか、そのような環境を整備した時点で、マネージャーとしての仕事は終わりだと思っている。

いかにして部下達のパフォーマンスを最大化するか、がマネージャーの仕事であって、それ以外のものは「おまけ」に過ぎない

ここにマネージャー個人の属人性は不要だ。

マネージャーの個性は不要だ。

ただその環境を整えることに全力を注げばいい。

後のことは部下が勝手にやってくれる。

僕はそれをただ待っていればいい。

まるで収穫を心待ちにする農夫のように、ただ月日が流れていくのを眺めていればいい。

手をかければいいというものでもない

もちろん農夫なので、雑草を取ったり、水を撒いたりもするけれど、それは作物が伸び伸びと成長するために行う「当たり前」のことで、ことさら大声で「私は雑草を取っていますよー!」と叫ぶ必要はない。

ただ淡々と、黙々と、作業に勤しめばいい。

でも多くの人達は賑やかに、「今日は24時間水やりをしましたー!」とか「毎日肥料も入れていますー!」とか言っている。

そして大げさにその作業の大変さを叫び続けている(「腰が痛いですー!」「肩がガチガチですー!」)。

僕にとってはそんなものは比べる対象ではなくて、あくまでもできた作物の味や大きさで勝負すべきだと思っているし、その過程の工程は別に人に見せるものではない(部下だけがわかっていればいい)、と考えている。

そして、手をかければかけるほど、作物が良くなるわけでもないのだ。

多少の雑草があったほうが作物は逞しくなるし、多少の害虫がいた方が土壌は良い状態になる。

雨に打たれた方が良い場合もあるし、日照りが続いた方が良い場合もある。

ただその日々の変化をしっかりと見つめながら、それに対応する手を打っていけばいいだけだ。

その積み重ねがチームの強さになる。

僕は畑の畦道に座って、彼らの成長をただ暇そうに見守っている。

あくびを繰り返しながら、ただぼんやりとそこに佇んでいる。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

長時間労働がなくならないのは、単純に「成果」で評価していないからだ、と僕は考えています。

もう少し言うと、「成果」での評価の差異が「時間外手当」よりも小さいので、ミクロな個人が経済合理的に行動するのであれば、必然的に労働時間は伸びることになります。

もちろん業態や職種によって個別的に対応すべきだとは思いますが、こと営業を主戦場にしている自分としては、もっと成果で評価して欲しいなあ、と思っています。

「成果主義」という言葉にはネガティブな意味合いの手垢がついてしまっていてちょっと使いづらいので、「プロセス評価量の削減」をすることと「チームでの成果」という調整軸を加えることで、本来の意味での「成果主義」に近づけていく努力が必要であるような気がしています。

少なくとも暇そうに仕事をしている僕にとっては、時間外労働の削減(生産性の向上)は全く割に合いません。

長時間労働をしているマネージャー(そして成果も出ていない)よりも給与が少ないのが現実です。

釈然としない現実を抱えながら、僕は黙々と結果を出していこうと思います。