機嫌よく仕事する
短期的に結果を出すのは簡単だ
数字は後から付いてくる、という言葉は使い古されてはいるが至言だ。
数字を得よう(業績を上げよう)とゴールに直進することは、近道に見えるようで、実はそうでないことが多い。
というか、そのようなアプローチ方法は短命であることが多い。
短期的に結果を出すことはできるけれど、継続性はなく、部下も疲弊する。
マネージャーの任期が長くなかったり、社風として部下を壊しても構わないのであれば、マネジメントにおいて結果を出すことはそんなに難しいことではない。
とにかくガムシャラに働き、働かせればいい。
もしそれでも結果を出せないなら、ハナからマネージャーには向いていない。
大人しくマネージャー業からリタイアして、プロプレイヤーを目指した方が良い。
結果を出してからが本当のスタートだからだ。
部下は昇進の道具ではない
多くのマネージャーは、この短期のパフォーマンスを延長していけば、長期的にも高いパフォーマンスを残せると考えているようだが、それは間違いだ。
長期には長期の走り方がある。
100Mを走るようなスピードでマラソンを完走しようとすれば、選手は必ず壊れる。
人間は短期間であれば多少の負荷にも耐えられるようにできている。
強制的なやり方でも無理が利くし、無理して走っている姿というのは、傍目には素晴らしいものであるように見える。
でも内実においては、肉体的にも精神的にも追い込まれている。
いつしか脱落者が出てくる。
パワハラ的な指導者はこの脱落者をスケープゴートにして、残りのメンバーへの隷従を強いてくる。
そして限界を迎える前に、自分は昇進して、「はい、さいなら」だ。
足元には無数の屍が転がっているけれど、そんなことは知ったこっちゃない。
部下というのはマネージャーの昇進の為の道具だからだ。
使い捨てるだけの奴隷だからだ。
誇張しているように感じるかもしれないけれど、こういうマネージャーは掃いて捨てるほどいる。
石を投げれば、自分のことしか考えていないマネージャーにぶつかる。
僕はこういうマネージャーが大嫌いだ。
部下が機嫌よく働く為にはマネージャーが機嫌よく働くことが必要だ
マネジメントにおいて重要なのは、継続して高いパフォーマンスを出すことであり、その為には部下が「機嫌よく」仕事をすることが必要だ。
そして部下が「機嫌よく」仕事するためには、マネージャーが「機嫌よく」仕事することが必要だ。
チームの機嫌がよい状態が続くと、パフォーマンスというのは後から付いてくる。
僕はそう考えている。
僕たちは幼少の頃から目立たないように躾けられている
人間が能力を最大限出す為には、最大限出してもいいと安心できるような環境が必要だ。
それは以前にも書いたように「心理的安全性」という言葉で表現できる(「心理的安全性を醸成する」参照)。
日本社会において、最大限の能力を出すという行為は目立つという言葉と同義であり、幼い頃から僕らはそうならないように自然と行動をしている。
目立つとイジメられるからだ。
出る杭は打たれるからだ。
だからひっそりと暮らすという心性が僕らには染みついている。
学生時代からそのように「洗脳」されているからだ。
それは社会人になってからも同様だ。
できるだけはみ出さないように、能力を誇示しないように、「枠内」での仕事を続ける。
少しでも尖ったりすると、批判の的になり、妬みの対象になる。
奴隷労働にクリエイティビティはない
これはチームという小さな単位においてもそうだ。
発言の一つ一つを自己検閲して、当たり障りのことだけを発言するようにする。
こんなチームに創造性など宿るはずもない。
「機嫌よく」仕事ができるはずもない。
僕は形だけの真面目さや、前向きさを、嘲笑っている。
表面だけの同質性を、薄っぺらな一体感を、馬鹿にしている。
職場において私語をするなという論調や、しかめっ面をしてパソコンに向かっていることが正しいというような風潮を心底下らないものだと思っている。
そういうチームに限って凡庸なパフォーマンスしか出せないのに、プロセスで評価されようとする。
僕から言わせれば、そんなの当たり前の話だ。
みんな嫌々上司に従っているチームが長期的に高いパフォーマンス出せるはずかない。
奴隷労働にクリエイティビティなど付帯するはずがない。
グルーヴを生むことに専心する
僕は無駄なものを愛する。
下らない雑談を愛する。
馬鹿げた冗談に一緒になって笑う。
そこに創造性が宿ると信じているからだ。
僕らは誰よりもふざけているけれど、誰よりも真剣に仕事に取り組んでいる。
傍から見たら不真面目に見えるのかもしれない。
でもその中にビジネスの種は眠っている。
下らない掛け合いの中に発想の跳躍が埋もれている。
それはゴールに直進するという思想とはかけ離れたものだ。
というか、そもそもゴールに向かおうなんて僕たちは思っていない。
ただその場を面白くすること、そこからグルーヴを生み出すこと、そればかりを考えている。
グルーヴがグルーヴを呼んで、波のように大きくなっていく。
その大きな反響の中にクリエイティビティが生じる。
それはそこにしか生じない、動的なものだ。
一瞬で消えてしまう、再現不可能なのもだ。
そういう雰囲気の下に僕たちは仕事をする。
なぜかはわからないけれど、真面目ぶっているチームよりも圧倒的に高いパフォーマンスを僕たちは出している。
それは「運」と呼ばれる。
「ラッキー」というラベリングをされる。
何と命名しても、それは自由だ。
僕らは次の面白いことを考えている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネージャーも人間なので、感情のアップダウンは当然生じます。
でもマネージャーがつまらなさそうに仕事をしていると、チームもつまらなさそうに仕事をするようになります。
これは5年間マネージャーをやってきたことで気づいた大きな(小さな?)発見です。
特に営業職員には他人の感情に対して敏感な人が多いので、その傾向はより顕著になります。
そんなこと(自分の不機嫌は自分だけのものではない)を意識するようになると、じゃあ不機嫌にならないようにするためにはどうしたらいいのか、ということを次に考えるようになります。
これはまたどこかで書こうと思いますが、僕がやっているのは、「朝一に下らないことを言う」ということです。
それはどちらかというと自嘲的なもので、自分の不機嫌性を笑ってしまおうという試みから生じるものです。
月曜日の朝ほど、マネージャーは機嫌よくいるべきです。
多少の演技を混ぜてでも、明るく振舞いましょう。