すべらない話

内容よりも関係性が大事

「正しいことを言っているのだけれど、何となく腑に落ちない」

そういう経験はないだろうか?

僕は(よく)ある。

上司からの指示というのは、このような傾向に陥りがちである。

それはなぜか?

「マネージャーにとって大事なのは、コンテンツ(話の内容)ではなくて、関係性の構築である」ということを、体感として理解している人はあまり多くないから、であると僕は思っている。

というか、「関係性の構築はできている」と錯覚している人が多いような気がしている。

残念ながら、そんなに簡単に関係性の構築はできない。

今日はそんな話をしていく。

言葉が滑るかどうかは関係性の構築段階によって異なる

今日のテーマである「すべらない話」というのは、あの有名番組のように「笑いを取る」ということではなくて、「言葉が上滑りしない」ことを意味する。

言葉が上滑りしてしまうと、せっかくのコンテンツも相手に届くことはなくなってしまう。

相手に届く前に、「ああ、また的外れなことを言ってるよ…」と遮断されてしまうからだ。

これは相手との関係性に応じた言葉遣いができていないことに起因していると僕は思っている。

芯を食った言葉が芯を食うとは限らない

人間関係の段階に合わせて、使う言葉の種類は変わってくる。

芯を食った言葉というのは、使う方は気持ちが良いのだけれど、相手によっては「空言」的に響くことがある、ということはよくよく理解しておいた方がいい。

相手との関係性ができていない段階では、そのような言葉は「絵空事」「理想論」と取られてしまいがちであるので、もう少し卑近な言葉を使う方が有用である。

1対多の状況は難しい

そしてマネージャーが難しいのは、「部下それぞれとの関係性構築の段階が異なる」ということである。

特に「1対多」の場面でどのような言葉遣いをするか、というのはとても難しい。

その難しさは、上記したように部下それぞれとの関係性状況が異なるからである。

個人的には、「1対多」の状況下では、無難なことを言っておいた方がいいように感じている。

そこで言葉を届けようとか想いを伝えようとかいう幻想は捨て去ってしまった方がいい

これは僕のキャラクターのせいかもしれないけれど、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアのように、多くの人の心を震わすような話し方は僕にはできないからである。

たぶんそもそもが演説やプレゼン向きではないのだ。

相手の状況に応じて言葉を変える

それよりは1対1の状況で、相手の反応を見ながら言葉遣いを変えていく方が、僕にはしっくりくる。

1対1であれば、その時の自分のコンディションや相手のコンディションに応じて、使う言葉を変えることができる。

相手との関係性に応じて、固い言葉を使うか、柔らかい言葉を使うかを峻別することができる。

そうやって言葉を届けていく。

そう、届けることが重要なのである。

大抵の言葉は伝わらないのがデフォルト

「発すれば伝わる」「伝わらないのは相手の力量の問題である」というような考え方はマネージャーになった瞬間に捨て去ってしまった方がいい。

大抵の人は、あなた(マネージャー)ほど理解力がないし、その真意を推し量るだけの思慮も持ち合わせていないからだ。

相手との関係性が未構築であるのであれば、その相手に合わせた平易な言葉遣いをする必要がある。

まどろっこしいという気持ちはよくわかる。

全力を出したいという気持ちもよくわかる。

でもそれは叶わない願いである。

全力は出すな

マネージャーをやっていて思うのは、適度に力を抜く方がうまくいく、ということである。

プレイヤーの時には如何に全力を出すかに心血を注いでいたけれど、マネージャーはそれでは務まらない。

自分も視野が狭くなってしまうし、メンバーも付いて来られないからである。

それよりは力を60%くらいに抑えて、合気道のように相手の力を利用するみたいな感覚で仕事をしていくといいと思う。

「あ、そう来たのね。じゃあ、こうしよう」みたいな感じ。

力まずに、体重を乗せずに、フラットな状態で立っているような感じ。

それが話を滑らせないためには必要なことである。

「受け」から始める

自分が年を取ったせいか、若手と話す時に違和感を覚えることが以前よりも増えてきている。

ただ、自分もマネージャーとしての経験を重ねてきているので、そこに対応するのはそんなに苦でないことも事実である。

もしこれが今の年齢で、初任マネージャーだったとしたら、理想と現実とのギャップに身悶えすることになっただろうとは思う。

そして上述したように「わからない奴が悪い」というようなスタンスで、自分勝手に言いたいことを話し、「すべり続けて」いたと思う。

「仕掛ける」のは人間関係ができてからでいいのだ。

それまではひたすら「受け」に徹する

我を出すことなく、一旦全て受容する。

武道みたいだけれど

何だか「悟り」みたいな話になってしまいそうだけれど、実際にそのような感覚で話をすると上手くいくことが多いような気がする。

「説教臭いおじさん」には誰だって近寄りたくないだろう?

かといって、「馴れ合い」も違うのだと思う。

相手との力量差を示しながら、それでも技を受けるみたいな感覚を持てた時、自分の話はすべらなくなるし、相手に届くようになるのだ。

もちろん僕だって完全に出来ているというわけではないけれど、その端緒は掴めてきているような気がしている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

僕は営業の経験が長いからか、自分の話が相手に届いているかどうかということに対しての感覚が人よりは鋭いようです。

言い換えれば、多くの人はその感覚があまり鋭敏ではない。

仕事をしているとそんな風に思います。

日々のちょっとした目盛り調整を行いながら、言葉を部下に届けていきましょう。