FIREか社畜か?

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生活に不自由のない金を持っていたら、あなたは働きますか?

あなたは何のために働いているのですか?

この疑問の答えは年齢層(やその他諸々)によって異なるだろう。

でも僕のブログは基本的にはマネージャー層に向けて書いているので、その辺の年齢層の人達には伴侶がいたり、子供がいたり、親が介護状態だったり、要は自分だけの領域や判断だけで「なぜ働くのか?」ということを定義できない人達が多いと思う。

やむにやまれず、別に好きでもない仕事を続けている、そういう人達が大半であると思う。

自己実現みたいな青臭い時期は遠ざかり、取り敢えず生きる為には金が必要だから働いている、それがリアルな話だろう。

僕自身も中年という年に差し掛かり、「日々何のために働いているのだろうか?」と思う中でこの文章を書いている。

もし僕が生活に不自由ないくらい金を持っていたら、果たして働くだろうか?

経済的に自立していたとしたら、僕は社畜を辞められるのだろうか?

今日はそんな話をしてみようと思う。

働きたいように働く為には金が必要である

結論から言うと、「働くだろうけれど、もう少し違う働き方をするだろう」というのが僕の現在のところの考えである。

マネジメントという仕事は好きであるけれど、もう少し自分に裁量がある形で働いてみたい、というのが僕にはあるのだ。

残念ながら現在の環境においては、僕ができること(決断できること)は限られていて、その中でも「一緒に働く人を選べない」ことや「処遇を決められない」ことがチームマネジメント上ネックになっていると感じている。

厳しい言い方にはなるけれど、もう少し僕は「戦うチーム」を率いてみたいのだ。

それには現在のような中間管理職的な働き方ではなく、トップマネジメント的な働き方が必要になるだろうし、オファーがなければ自分で会社を立ち上げるなり、チームで会社を運営するなりしなければならないのだろうな、と思っている。

そして仕事内容ももう少し社会貢献的なものをやってみたいという考えがある。

それを実現する為には、何はなくともカネが必要なのだ。

早期退職は置いておいて…

以前に書いたことと重複するかもしれないけれど、僕はFI(経済的自立)は果たしたいけれど、RE(早期退職)はあまり考えていない。

働くこと自体はたぶん好きなのだろう。

ただ、その働き方というものにはもう少しこだわりを持ちたいとは思っている。

それが今回の話である。

副業や複業、成果主義などなど

世の中でFIRE論がもてはやされるのも、副業複業への志向があるのも、会社は個人をいつまでも雇わないよ、ということが前提としてあって、現在の環境下でタラタラ働いていても人生100年時代は生き抜けないよ、という脅しみたいなもの、要は資本家たちによる固定費削減圧力みたいなもの、が背景にあるということはわかっているつもりである。

それを自由な労働者たちの選択肢である、みたいな風潮にメディアを通じて変換させようとするのも、フリーター論と同じ臭いを感じるのも事実である。

それに乗せられるほど僕は青臭くない。

でもそんなことを思っていたとしても、理解している風を装っていたとしても、金がなければどうしようもない。

固定費を変動費化したい、というのはいつの世も変わらない経営層の願いである。

そこに成果主義というものが含まれているのも理解している。

僕が常日頃成果と言っているのも、経営層にとっては都合の良い言説であるというのもわかっているつもりである。

ただ、である。

それも僕がカネを手にするまでの話である。

会社というのは装置に過ぎない

僕は会社というのは1つの装置に過ぎなくて、その仕組みを上手に利用することが大事である、という考えがある。

以前は会社への恩義みたいなものがあったけれど(いやそれは会社というよりもそこに勤めていた恩人たちへの礼儀みたいなものだったのかもしれない)、もうそれもなくなってしまって、そこまで忠を尽くす必要はないとすら思っている。

そういう意味では僕は社畜からは程遠い感性みたいなものを持ち続けていると言えるのかもしれない(というか、そのように思わされている時点で、僕は社畜の完全体(最終進化形態)と言えるくらい手懐けられているのかもしれない)。

そんな僕が思うのは、別の収入源を確保することは大事だよな、ということである。

会社を賃金を生むための装置として利用しながら、別の収入源を確保する。

それができれば、会社で働くことももう少し気楽にできるはずなのだ。

絶対に嫌なものを拒否できるくらいの権利は持ちたい

今の会社で働くことに不満はない。

全くない、と言えば嘘になるけれど、満足していない訳ではない。

だから今回のタイトルというのは、たぶん間違っていて、別に2者択一である必要はないのだ。

グラデーションの中で働きながら、絶対に嫌なものは拒否できるくらいの力と金を手にすること。

それが大事なのだろうと思っている。

ドライに働きましょうぜ?

僕はインデックスファンドによる積立投資を推奨しているけれど、転職とか副業とかそこまで踏み出す勇気がない人には、騙されたと思ってやってみて欲しい。

それで僕に何かキックバックがある訳ではない。

ただ、純粋な善意としてそう思うのだ。

僕は日本のマネージャー達がもっとドライに働くことが日本の為になると思っている。

そしてその為にはマネージャー達にドライに働けるだけの金があることが必要であると思っている。

いや、マジで。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

日本人は政府も信頼していなければ、会社にも満足しておらず、自殺者も相変わらず多く、何のために働いているのだろうか、とふと立ち止まって思うことがあります。

僕たちは生きるためだけに金を稼いでいる。

それはそれで1つの生き方ではあると思うのですが、もう少し幸福に(気楽に)働く方法はないのだろうか、と僕は思っています。

これは何も欧州の人のように長期休暇を取ってバカンスに行きなさい、ということではなくて、やりたくもない仕事をやりたくない精神状態でやらなくてもいい権利を手にする、そんなささやかな願いです。

お金に対する議論を忌避するのではなく、お金をツールとして上手に使いながら、上手に働いていきましょう。

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