排除よりも留保を
留保して、全体を見る癖を
マネジメントにおいては、留保することが時に大事であると感じている。
泳がせておく、というか。
一方、一般的には何かコトが起こった時に、論理性や合理性を元にズバッと進んでいく、こんなスタイルに憧れる人が多いと思う。
「決断力のあるマネージャー」なんていう形容詞を欲しくなってしまう気持ちはわかる。
でも、ちょっと待ってみて欲しい。
わからないこと、判断に迷うことは、一旦留保しておいて、全体を見るという癖をつけておくと大きな間違いにはならないことが多い。
排除することは合理的だし、問題の解決に繋がりそうだけれど、そうとも限らない。
今日はそんな話を書いていく。
正しいことは正しくなくなったりする
僕はマネジメントを「動的」に考えている。
時間の流れの中で、状況は時々刻々と変わっていくし、そこで通用する論理も変化していくものと捉えている。
その一瞬においては正しいと思われる事象が、時間を経てみると間違っている、なんてことはマネジメントにおいては日常茶飯事である。
だから焦らずに留保しておく。
この心がけが大事なのである。
判断に迷う時はそのままにしておく
木を見て森を見ず、という言葉がある。
マネージャーに見えているのは、木に過ぎない。
表面的に発生した事象というのは、ここで言う木なのである。
もちろん、ある程度の経験を経ると、木を見ながら森を見ることもできるようにはなる。
でも、自信がなかったり、不安がよぎったりする時には、ちょっとだけそのままにしておく、という手段を取った方がいいと僕は思う。
そこで判断し、排除してしまうと、取り返しがつかないことになってしまうことだってあるからだ。
時間は包摂してくれる
これは優柔不断とは違う概念だと思う。
というか、他者からはそう判断されても構わないと僕は思っている。
時間の流れはもう少し雄大で、その時に判断を留保したことが後々大きな効果を生むということは、その判断する当事者しかわからないからだ。
もっと言うと、どちらに転んだとしても、他者(傍観者)は批判するものである。
それなら自分の信念や感覚を信じた方がいい。
僕はそう考えている。
人間は動的。判断は静的。
経験の浅いマネージャー(かつての僕も含む)は、何か問題が起きた時に「すぐに対処しなければ」と思ってしまう。
もちろんそれは悪いことではないけれど、1つの手段として、「そのままにしておく」という技があることは知っておいた方がいい。
人間というのは多面的であり、変化もしていく。
そして判断というのは「静的」である。
このバランスをどう取るかがマネジメントにおいては重要なのである。
決断の前のギリギリのラインを見極める
排除するのは簡単である。
時が来れば、その判断を行えばいい。
もちろん「手遅れ」になる前に。
この辺の見極めが難しいから(見極められる自信がないから)拙速に動いてしまうのだけれど、もう少しだけ放置しておいても大丈夫だろうというギリギリのラインを攻められるようになると、マネジメントに幅ができてくるのだ。
緩急というか。
外科手術と自然治癒
これは例えるなら、「外科手術」と「自然治癒」と言い換えられるかもしれない。
例えば病気になったり、けがをしたりした時に、外科的に対処する方法と、自然治癒を待つ方法があるとする。
もちろん、血がダラダラと流れているなど、緊急に対処しなければならないなら、自然治癒なんてまどろっこしいことを言っている場合ではない。
早急に手術すべきである。
でも、そうではない時、もしくは原因がわからない時は、敢えて経過観察するという選択肢もある。
経過観察は放置とは違う。
様子を見る、ということである。
そして原因不明の不調というのは、自然治癒を待つ方が根治に繋がり易いとも僕は思っている。
外科手術はその部分は治るのだけれど、どこか別の部位に問題が起きやすい。
もしくは、ダメージが体に(チームに)残ってしまう。
あくまでも緊急にやらなければならない時に、限るべきである。
自分のプライドを守ることがチームの崩壊に繋がることがある
チームの不調や問題というのは、「これが原因だ!」と特定するのが難しいのである。
一見、1つの要因が悪影響を与えているように見えても、実はそうじゃなかったりすることがある。
それも時間を経ると、変化したりする。
そこで一気にカタをつけるのは、上記したように歪みを生んでしまうことになる。
もちろん、本人は満足だろう。
自分は「決断力のあるマネージャーである」という自己像を維持できるから。
でも、チームにとっては迷惑であるということが起こりうる。
排除は取り返しがつかない
誰も指摘してはくれないけれど、そういう事態はある(起こりうる)ということは自覚しておいた方がいい。
排除は取り返しがつかない。
決断は決断した事実がついて回る。
それに耐えきれるならそうすればいい。
でも、僕の経験上、自分が絶対正しいと思ったことですら、時が経つと間違っていたかもしれないと思うことがある。
自信が揺らぐ事態が起こる。
そうなると、自己同一性を確保する(認知的不協和を解消する)為に、過去の自分を無理やり肯定したくなるものだ。
そうやって、また過ちを繰り返すことになる。
決断も大事であるが、留保も大事である。
それを知っておくだけで、だいぶ違ってくるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
言葉は取り返しがつきません。
一旦出した言葉を「なかったこと」にはできません。
だから、迂闊なことは言わない方が得だと僕は思っています。
言わなくていいことは言わない、それだけでボロを出す確率を減らすことができます。
留保を悪いことだと決めつけず、上手に使っていきましょう。