あごマスク・マネジメント
リスク・リターンの不一致
あごマスクの人が苦手だ。
これは医学的にマスクに意味があるかないかとか、そういう意味ではない。
リスクとリターンが合っていない人が嫌なのだ。
誰かから指摘されたらすぐにマスクをつけられるようにしているくせに、マスク本来の使い方をしておらず、息苦しさから逃れ、快適さを享受しようとしているスタンス。
それが嫌なのである。
それは僕の生き方(価値観)みたいなものかもしれない。
これはマネジメントにおいても同様だ。
あごマスクをしているかのようなマネジメントをしている人はめちゃくちゃ多い。
今日はそんな話だ。
ノーマスクの人はきちんとリスクを負っている
マスクはするかしないかだ。
僕はそう思っている。
だから「ノーマスクの人が嫌だ」という議論とは違う。
彼(彼女)らは、同調圧力満載の日本において、白眼視されるというリスクをきちんと負っているから。
科学的根拠に基づいた考えや、何らかの主義主張がそこにあると思われるから。
だから全然嫌じゃない。
好きにすればいい、そんなスタンスである。
もちろんコロナ関係なく、咳まき散らし状態であればして欲しいとは思う。
コロナだとかインフルだとか風邪だとか関係なく、した方がいいんじゃないとは思う(根拠はないけれど、何となくうつりそうな気がするから)。
そうじゃないなら、別にどちらでもいい、それが僕の考えである。
マスク論争をしたいわけじゃない
前置きが長くなったが、今回はそのようなマスク論争をしたい訳ではない。
マスクに医学的な意味があるかどうかについては、思想も絡んでくるので、ここでは触れない。
あくまでも例えとして思いついたので書いているだけなのだ。
だから、マスク派の人も、ノーマスク派の人も、関係ない話として心穏やかに聞いて欲しい(頼むから青筋を立てないでくれ)。
何らかの主張をしたい訳ではないのだ。
僕がしたいのはマネジメントの話である。
応分のリスクを負う覚悟
マネージャーをする上で大切な心掛けの1つに、リスクを負うというものがある。
もう少し正確に書くなら、「応分の」リスクを負う、ということになる。
部下がマネージャーに付いていくかどうかを判断するのは、スキルとか能力とかも関係ないとまでは言わないけれど、その人がきちんとリスクを負っているか、リターンだけを享受していないか、が関係している。
でも、「あごマスク・マネージャー」の人は、これができていない。
「お前マスクしてないだろ!」と糾弾されるリスクを負わずに、快適さというリターンを享受している人達。
そういうマネージャーが僕は苦手である。
最初からやっていましたけど、何か?
彼(彼女)らは情勢が不利になると、すぐにあごマスクをやめる。
「最初からマスクしてましたけど、何か?」みたいな顔をする。
でも、それが一段落すると、またあごマスクを始める。
「マスクしているヤツだせえ!」とか言ったりする。
冗談みたいな話だけれど、本当にこういうマネージャーは多いのである。
安全地帯から石を投げるなよ
僕は安全地帯から石を投げる人が嫌いだ。
リスクを取らないくせに、リターンを得ようとする人が苦手である。
権利を得るためには、義務を負う必要がある。
それは僕の中では大原則みたいなもので、マネージャーであろうがなかろうが関係ない。
でも、一定の権力を帯びるマネージャーは、より自戒的にこれを意識する必要がある。
自分は甘えていないか?
その発言に、相応のリスクを負っているか?
応分の血を流しているか?
それがマネージャーの仕事の成果を左右する。
上司にはマスクを。部下にはノーマスクを。
組織で上手に立ち回るには、「あごマスク・マネジメント」はとても有効である。
上司にはマスクを着用し、部下にはノーマスクで臨む。
そうやって、自尊心を満たしながら、組織的な評価も得ようとする。
とても素晴らしい。
僕も見習わなければならない。
でも、そうは絶対になりたくない。
葛藤の中にマネジメントはあるべきだ。そうだろう?
仕事には建前が必要とされる。
でも、建前ばかり言っていると、自分がだんだんと辛くなってくる。
一方、本音ばかりでは、組織的な評価は得づらい。
その葛藤の中にマネジメントがある。
組織の言うことに納得できないまでも、その中に何らかの意味を見出し、自分なりの言葉を加えて、部下に腹落ちさせていく地道な作業。
その絶妙なバランスの中で、僕たちはマスクをつけたり、外したりする。
マスクをつけている時とつけていない時に生じるリスク・リターンは等価だ。
建前を話している時は自分が傷つくし、本音を話している時は組織から冷遇される。
でも、そのどちらもやらなければならない。
本音みたいな顔で建前は言えない
建前を言っているくせに、本音みたいな顔をすることは僕にはできない。
それはただの嘘つきである。
もちろん一定の演技は必要だ。
そこまで僕だって青臭くはない。
でもさ、というのが今日の話である。
だったら、マスクをつけろよ。
もしくは、マスクをつけるなよ。
批難を浴びよう。
嫌われよう。
もしくは文句を言わずに黙々と建前を遂行しろよ。
それがあごマスク・マネージャーから脱出する術である。
身悶えしようぜ
僕は息苦しさを感じながら、マネージャーをやっている。
新鮮な空気を吸いたいといつも思っている。
でも、それだけではマネジメントはできない。
その身悶えしそうな状況が、部下に理解してもらえた時、あなたのチームは一段階上に行けるのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
本文では触れなかったのですが、無意識にあごマスク(鼻マスク)になっている人が実は一番ヤバいんじゃないか、と僕は思っています。
マネジメントという仕事をやっていると、無自覚に人の足を踏んでいる人にたくさん出会います。
その総体が僕たちを不機嫌にしていて、日本社会から活力を奪っている。
僕たちがすべきことは、その足をそっと元に戻すことです。
そして、ごめんなさいと言うことです。
善意の加算よりも、無自覚な悪意の削減を。
機嫌が悪くなる要因を減らしてきましょう。