パレートの法則
ある特定の要素2割が全体の8割の成果を生み出している
仕事が隘路に入り込んで、何もかも嫌になってきた時にはパレートの法則を思い出すようにしている。
パレートの法則(80:20の法則とも言われる)とは、ある特定の要素2割が全体の8割の成果を生み出している、というものである。
例えばチームの成果が停滞している時、僕たちマネージャーは往々にして、「全体の底上げ」を図ろうとしてしまう。
でも、それは不可能である。
成果の上がらないメンバーはいつまで経っても成果が上がるようにはならない。
残酷な言い方だし、やや誇張している部分がないとは言えないけれど、現実はそんな感じである。
そういう事態に直面した時に「何でこんなにできないのだ…」と嘆いたり、イライラしたりしないように、パレートの法則を頭に入れておいた方がいいと思ったので、今日はそのことについて書いていこうと思う。
「現状」も「伸び」も
僕は営業の課長をやっている。
そこにパレートの法則を当てはめるなら、2割のメンバーが8割の利益を生み出しているということになる。
これはややオーバーな側面はあるにせよ、そこまで大きく間違ってはいない。
それが僕の感想である。
そして、上位2割のメンバーの利益の伸びは、下位8割のメンバーの利益の伸びを上回ることが多い、ということも付言しておきたい。
というのも、多くのマネージャーには学生時代にやった「テストの点数」みたいなイメージを持たれている人が多いような気がするからだ。
「伸びしろ」と「頭打ち」
メンバーの点数(利益額)が低い時、「伸びしろ」があるように僕たちは錯覚してしまう。
100点満点のテストで20点しか取れないメンバーは、ちょっとトレーニングを行えば、少なくとも平均点(例えば50点)くらいはすぐに取れるようになる、そんなイメージを持ってはいないだろうか?
僕は持っていた。
でも、やめた。
そんなことは決してないからだ。
一方、成果が既に高いメンバーは「頭打ち」になりそうな感覚を持ってはいないだろうか?
それも間違いだ。
成果が上がるメンバーの伸び率は、成果の上がらないメンバーよりも高い。
この違和感が残るイメージが、チーム全体の成果を上げるためには必要なのである。
そして、結論はこういうことになる。
「成果の上がる2割に体力をかけ、更に伸ばした方がいい」
沈みゆく船からの脱出方法
日本には「平等」の意識がある。
それは悪いことではない。
でも、マネジメントという仕事を本格的にやっていくなら、ある程度の「割り切り」は必要である。
もちろん全員にチャンスは与えるべきだ。
でも、一方で、ある程度冷徹に数字を見ることも必要なのである。
「みんなが一緒になって成長していく」というイメージは、持っていて然るべきだとは思うけれど、現実はそこまで甘くはない。
そのまま一緒になって共倒れになるのがオチである。
沈みゆく船から脱出する方法。
それがパレートの法則である。
成約単価に限界はない
「そうは言っても、人間がやる以上、体力的な限界はあるのでは?」
ごもっともである。
でも、僕の経験上、それも営業という世界においては、必ずしも当てはまらないのではないか、と僕は思っている。
というのは、営業の数字、それも体力的な限界という観点からそれを考えると、(乱暴に言えば)0を多くつけるかつけないかという差でしかないからである。
売上1万円と10万円と100万円と1,000万円は、多少の労力の差はあれ、契約書の数字の違いくらいしかないというのが現実である。
きちんとした言い方をするなら、「売上=成約件数×成約単価」の成約件数の方は体力的な限界が確かにあるが、成約単価はそこまで大きな制約にはならない、ということである。
もちろん、スキル的な違いはある。
10万円の案件しか成約できない担当者が、いきなり1,000万なり1億の案件の成約ができるようになる訳ではない。
そういう意味でも、パレートの法則を意識することはマネジメントにおいて有用なのである。
マネージャーを上手く使うことも担当者のスキル
チームの中で相対的にできるメンバーに体力をかける。
実際の営業現場に一緒に行くことも大事であるし、トレーニングの面でもそうである。
もちろんあまりにもあからさまにやってしまうと、他のメンバーから文句を言われるような事態になったりするのだけれど、あまり気にしなくていいと思う。
営業の世界は数字が全てであるからだ。
自分の成績を上げたいなら、マネージャーをうまく活用するのも担当者のスキルの1つである。
それすらも考えが及ばない担当者は、ある種淘汰されてしまうのはやむを得ないのである(もちろん日本企業においてクビになるケースは殆どないが…)。
贔屓?
そうやって、実際の成果とメンタルの安定を図っていく。
できないメンバーにイライラする時間をできるだけ減らして、できるメンバーが伸びる喜びを感じるようにする。
贔屓?
まあ、否定はできない。
でも、ニュアンスがちょっと違うように思うのだ。
会社の将来の為にも
会社にとって将来有望な営業マン(ウーマン)を育てることは、とても大事なことである。
今回の話はチーム単位での話であるけれど、パレートの法則というのは、会社単位でも当てはまる。
会社全体の中で、上位2割になれるような人材を育てていくようなイメージ。
そういう観点を持てば、チーム内の贔屓なんていう小さな話はどうでもいいだろう?
僕はそう思って、今日も適切な贔屓を続けている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
程度の問題ではありますが、やっている人たちをもっと評価すべきでは?
日本社会の停滞を打開するためにはそれしかないのでは?
僕はそんなことを考えています。
一億総中流、中間層の安定が社会的な安定に繋がる。
それはそうだろうと思います。
でも、もう少しバランスを変えてもいいのではないか、とも思っています。
「やっているとは何を指すのか?」という議論に拘泥することなく、真面目に頑張っている人がもう少し報われるような社会に。
このブログがその一助になれば幸いです。