ゆとり世代をどうマネジメントするか?

Wikipediaによると、

小中学校において2002年度施行(高等学校は2003年度)の学習指導要領による教育を受けた世代(1987年4月2日 – 2004年4月1日生まれ)

ー引用ー「”ゆとり世代”」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。”最終更新 2020年6月26日 (金) 12:08 UTC
URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E4%B8%96%E4%BB%A3

をゆとり世代というようだ。

2020年時点では、16歳~33歳がこの層に当たる。

ゆとり世代に対する言説はそれこそ世間に溢れているので、ここでは「どのようにマネジメントするか?」に焦点を当てて書いていこうと思う。

※個人的には世代論というのはあまり好きではないし、全ての人に当てはまるものではないので、ここではあくまでも僕が「たまたま」接した人達、個別的な事象として書いていくことをご了承頂きたい。

僕の会社員人生における後輩というのは大体がこの層に属する。

管理職になる前にも多少の違和感はあったものの、直接的な害はないので、「まあそんなものかな」「オレには関係ないし」みたいな距離感で接していた。

しかしながら管理職になるとそんなことも言っていられない。

部下の大層がこの世代になるからだ。

マネジメントに濃淡をつける

で、どのようにマネジメントするのか?

結論から述べると、「個体差が大きいので、対応を分ける」ということだ。

もう少し詳しく言うと、「優秀な人はとても優秀なので裁量を与えて自由にやらせる(でもとても数は少ない)、それ以外は質的に厳しいのである程度強度の管理が必要(そしてとても数が多い)」という感じだ。

実質を重んじ、能力で判断する

まず前者から。

ゆとり世代の教育がそれ以前の「詰め込み教育」に対する反省から生まれていることもあってか、この世代の優秀な人は発想が柔軟であることが多い。

昭和世代の人は粒は揃っているけれど、似たり寄ったりの枠に嵌った考え方しかできないので、こういう発想や取り組み方は僕にとってはとても刺激的だ。

そして実質を重んじることが多い。

建前よりも本音を重視し、不要なこと、論理的でないことはやらない。

身の丈に合った生活スタイルを好み、顕示的な振る舞いは軽蔑の対象となる。

中身のない奴にはとことん辛辣だ。

そこには組織上のヒエラルキーとか上司部下とかそういったものは関係ない。

優秀かそうじゃないか、能力があるかそうじゃないか、そういったものが重視される。

僕自身はこういう考え方がとても好きだ。

生まれるのが早かったとさえ思える。

だから、僕はとても共感するし、それゆえに仕事上においても自由にやらせる。

時々足を踏み外したりするので、その部分は先回りして準備しておく必要はあるものの、基本的には発想を尊重する。

やや考え方が甘いきらいはあるものの、それは実際に経験して体得していけばいいことだ。

彼らは本質を見抜いてくるので、できないことはできない、と素直に認めることが肝要だ。

ありのままで接することで余計な壁も取っ払われる。

大人たちに対して警戒しており、従前から人間的に距離感を取ったコミュニケーションを主としてきたこともあってか、懐に入ると彼らほど無垢で純粋で素直な人はいないのではないかと思えるくらいだ。

傷つきやすいのもきっとこういった背景から来ているのだと思う。

冷めた態度というのは身を守るための術であり、物事を淡々とこなしているように映るのだが、その奥底には人への渇望のようなものがあったりする。

そういうこともあって、あまり表面上の態度だけで判断しない方がマネジメント上はうまくいく。

きちんと中身を見てそれによって対応を分けていく。

これは後者と見分ける時にも重要だ。

張りぼてで、頭でっかち

では後者。

この世代は大宗が張りぼてなので、表面的な優秀さに誤魔化されてはいけない。

賢しく見える場合でも、中身が空洞であることもしばしばなので、ここには注意が必要だ。

デジタルネイティブでもある彼らは知識的な面では豊富であるものの、応用力というか、汎用性というか、そういったものに欠けることが多い。

情緒面でも成熟の度合いが低いことが多い。

結果として、堪え性がない、とか、すぐ辞める、とか、ということに繋がってくる。

思い通りにならないことは社会生活上たくさんあるのだけれど、学生時代を通して実体験としてあまり経験してこなかったので、会社に入ってから初めてこの事態に直面することになる。

その時の反応はとても子供じみたものとなる。

頭でっかちな傾向があるので、腰が重く、少しの困難に接するとエラーメッセージが出るというかフリーズすることになる。

基礎学力や一般常識や教養といった面でも物足りないことが多い。

というか、それを知らないのは「教えてもらってないからだ」と思っている節がある。

態度は受動的であり、未知の事象に対しては必要以上に警戒するか、そもそも歩いていくことを拒む。

コンピューターなのか、コンピューター+人間なのか

こういった人達がこれからの会社の大半を占めていくし、それが社会の大層になっていく。

なので、マネジメントする際にはできるだけ範囲を絞ってあげることが重要だ。

コンピューターにプログラミングをしていくように、仕事のやりかたを場合分けしてあげる。

要件定義をしっかりと行い、予め選択肢と射程を決めておく。

これしかない。

いつの日かシンギュラリティが起こって自分で考えられる日が来るのかもしれないけれど、不確かな事象に対して自分で考えていくことは苦手であるこの層に大抵の人達には難しいように思える。

そういう意味では優秀な人はこの部分ができるので、「人間+機械」みたいな感じがして面白いし、そうでない人はただの「機械」なのでつまらない、と言えるのかもしれない。

いつも言うように、マネージャーはどんなメンバーでも活用して成果を上げなくてはならない。

ゆとり世代に限ったことではないけれど、人にはそれぞれの長所や短所がある。

その中で長所だけにできるだけスポットを当てていかないと、戦うことができないのだ。

彼らにも良い所はたくさんあるし、そうでないところもたくさんある。

それだけのことだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

世代論は苦手ですが、実務上この世代の人達と接することが多いので今回はこのテーマを取り上げてみました。

書いてみて思ったことですが、コンピューターと親和性・近親性があるという着眼点は彼らと接する上で結構役に立つような気がしています。

出力されるものに体温や感情が欠けているように感じるのも、そこに論理性や数字を求めたがるのも、突然フリーズしてしまうのも、一部がコンピューター化していると考えると、理解しやすくなります。

それは良いとか悪いとかいうことではなく、ただの特徴に過ぎません。

僕はその特徴が結構面白いし、そのような人間+コンピューターみたいな人達が新しい発想を社会に持ち込んでくれることを期待しています。

日々奇想天外な展開に驚いたり腹を立てたりしながら、僕はそんなことを考えています。