悪の親玉はいないぜ?

UnsplashCristina Glebovaが撮影した写真

陰謀論は面白いが…

何か悪いことがあると、会社のせいだとか社会のせいだとか、そのような大きなものが悪いと言ってくる人がいる。

そしてそこには、「悪の親玉(or something like that)」がいる、と。

その人が悪いように仕向けている、と。

このような考え方を陰謀論と呼ぶ。

残念ながら、陰謀論は面白いし、私は物事の隠された本質を見抜いているという自尊感情を満たしてくれるものでもある。

でも、それは人生において有益な考え方とは言えない、と僕は思っている。

エンタメ感覚で付き合うならいいと思うけれど、そこにガチ感が出るとするなら、かなり困った事態になること請け合いである。

もちろん、気持ちはよくわかる。

ただ、そのようなスタンスを取る自分自身を俯瞰から眺めた時、何かが良いことが起こるだろうか?

仮に悪の親玉がいるとして、それを自分はわかっているとして、何かスペシャルなことが自分に起きるだろうか?

僕はそう思わない。

今日はそんな話である。

他責志向の人ばかり

マネージャーになってから、色々な属性の人達それなりの深さで付き合うことが増えた。

結果として、否が応でも様々な考え方を持った人がいるということに気づくこととなった。

もっと正確に言うならば、多くの人は「他責志向」である、というのが、僕が9年弱マネージャーをやってきての実感である。

自分以外の「何か」が悪い(自分は悪くない)。

そのような考え方のフォーマット。

まあ、気持ちはわからなくはない。

でも、それってどうなのだろうか、と僕は思ってしまう。

病巣があり、それを摘出すれば良くなるはずだ、という思想

何らかの社会正義のようなもの

不平等感から生じる、是正したい(しなければならない)というような意思。

それは言ってみれば健全な思考であると思う。

社会には病巣のようなものがあって、そこを摘出することで、よりよい状態が実現されるはずだ。

でも、そうならないのは、何らかの悪い奴がそれを阻んでいるからだ。

だから、その悪い奴を排除しろ。

そのような思考の変遷。

言わんとしていることはわからなくはない。

そして、実際問題として、そのような要素が多かれ少なかれ社会には含まれていることは否めないだろう。

でも、完全に社会正義が実現された世の中が到来する可能性はあるのだろうか、と僕は思ってしまう。

お前はどうなんだ?

僕はマネージャーという仕事柄、たくさんの部下から、様々な種類の不満の表明を聞く。

その1つ1つは、大雑把に言えば、そこまでおかしな内容ではない。

穏当というか、妥当というか、少なくとも共感はできる範疇にあるものである。

でも、そこから更に踏み込んでくる人もいる。

それだって、僕からすれば、まあ許容範囲の話ではある。

ただ、それと同時に、「それを言っているお前って何かやっていたっけ?」と思ってしまうのも事実である。

言っている意見(不満)の内容は理解できるし、何なら共感もできる。

でも、お前はどうなんだ?

僕はそう思ってしまうのである。

ノーリスクで、批判するだけ

仮に何らかの「悪いヤツ」がいるとする。

そいつが全てを悪い方向に操っているとする。

そして、自分は本当にその被害者であるとする。

「で、どうするんだ?」と僕は思ってしまう。

言い方は厳しいかもしれないけれど、「悪いヤツ」が誰だかわかっていて、自分がその被害を受けているとするなら、なぜそいつと直に戦おうとしないのか?

そのリスクを負わないのか?

僕にはよくわからない。

悪の親玉もきっと暇ではない

繰り返すが、共感はするし、何なら同情もする。

ただ、「そのことを主張できるほど、あなたは何かやっているんでしたっけ?」とは思ってしまう。

何なら、悪の親玉(がいるとしても)はあなたなんてたぶん相手にすらしていないと思うよ、とすら思ってしまう。

マネージャーという仕事の範疇とは?

僕はリスクを負わない人間が嫌いだ。

いや、正確に言うなら、リスクを負わないのに、リターンを得ようとする人間が嫌いだ。

他責志向の人達ばかり。

それはマネージャーをやってみて、実感として、骨身に染みるほどわかったことである。

もちろん、程度問題ではある。

マネージャーはある程度そのような人も許容しながら仕事をしなければならない。

それはその通りだ。

でも、限度はあるのでは?

というか、何らかのフィクサーがいると常に考えて、自分は何もしていない人に対して、何らかの援助をすべきなのだろうか?

僕にはよくわからない。

ずっとわからないままでいる。

「大人」と働きたい

僕は最近(というかこのところずっと)「成熟」ということを考えている。

「大人になる」ということはどういうことなのか、が頭の片隅にずっとある。

そして、僕の願いはそのような成熟した人たちと働きたい、ということである。

多くのマネージャー経験を通して、僕が身に付けたものは、「子ども」とどうやって仕事をするかというスキルだった。

それはある種予想外の産物である。

少なくとも僕がマネージャーになる前に描いていたものとはだいぶ違う。

でも、それが現実なのだ。

僕はそれに嫌気がしている。

テンプレのセリフばかり繰り返す村人Aたち

ドラゴンクエストみたいな世界観。

その中でずっと被害者面の人達。

勇者が出てくるまで、いつまでも待っているのかい?

暗い話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

本文はだいぶ辛辣(かつ失礼)な表現が多いですが、少し疲れているとこんな風になってしまうのかもしれません。

でも、言わんとしていることはご理解して頂けるのではないかと思っています(共感頂けるかどうかは別として)。

僕は他責の人と働くことに疲れてしまっています。

そして、(本当にいるかどうかはわかりませんが)大人の人達と働くことを願っています。

僕たちマネージャーの仕事は、大人たちを増やすことなのではないか?

僕はそんなことを考えながら、今日もまた子供たちに苛まれ続けています。

日本を大人の国に。

諦めずに、ゲリラ戦を展開してきましょう。