上手に受け身を取る

UnsplashLibrary of Congressが撮影した写真

いい音で投げられること

今日のタイトルの「受け身」は受け身でも、受動的と言う意味ではなく、柔道的な意味における受け身についての話である。

おじさんになったことによる大きなメリットとして、受け身を上手に取ることができるようになったことが挙げられる。

若い時の僕は、負けないことが大事だと考えていた(ような気がする。当時はそうは思ってはいなかったけれど)。

張り合うというか、力を誇示するというか、とにかく隙を見せないことが大事だと考えていたような気がする。

それが今は違う。

どうやって腹を見せるか、相手に踏み込ませるか、上手に投げられるか(いい音で受け身が取れるか)、そんなことが重要だと思うのだ。

よく言われるように、受け身が上手だと、技が綺麗に決まる(ように見える)。

それはマネジメントにおいても同様なのではないか?

今日はそんな話である。

ノー! マウンティング!

マネージャーになってから、気が付けば9年近く経って、それなりに後輩のマネージャーや年下の部下が増えてきた。

以前の僕であれば、そのような人たちに対して、いかに自分が有能であるかをひけらかしていたように思う。

そういう人たちに負けないように、ある種のマウンティングというか、ドラミングというか、「オレは強い!」ということを見せびらかしていたような気がする。

それが最近は違うのだ。

どうやって相手に突っ込ませるか、イジってもらうか、そんなことばかり考えている。

いや、考えているというか、自然にそのような方向に進むことができるようになってきている。

双方の持ち出しによる「場」の構築

これは僕自身にとってとても大きな進歩である。

営業においてもそうであるが、先手と後手という考え方をするなら、先手ばかり取ろうとする人はとても多い。

自分のペースを崩したくないというか、自分の思い通りの展開に持っていきたいというような気持ちが、そのような動きに繋がってしまうのだろう。

相手に間を与えない、そのようなやり方。

従来の僕もそうだったけれど、それではその場というのは「共有物」にならない。

人と人が話をするとき、大事なのは会話をどう展開するかではなく、そこに共有の「場」を立ち上げることである。

これが出来た時、その会話は「対話」となる。

でも、自分ばかりが主導権を握ろうとすると、当然ながらそこには「場」は立ち上がらない。

相手の会話、ターンみたいなものを経ないと、共有の場にはならないのである。

そのような双方の「持ち出し」による場の構築。

これが対話(やマネジメント)には重要である。

相手にその気がない時にはどうしたらいいのか?

ただ、往々にして、相手がガードを崩さないというか、自分から話すことをしないというか、持ち出しがこちらばかりになってしまうことがある。

これは主導権を握ろうとしていなくても、仕方なくそうなってしまうことがある。

あくまでも対話したいと思っているのはこちら側で、あちら側はそうでもない、そんなケースはよくある(例えば、マネージャーと部下のような関係性において)。

そんな時に、相手に話をさせるには、持ち出しをさせるには、こちら側が隙を作らなければならない。

それは警戒を解くとも言えるし、ガードを下げさせるとも言える。

とにかく、相手側が勇気を持って、近づいてみよう、投げてみようかな、と思って貰えるような状況を作ることが大事なのである。

そして、その為には、折角勇気を出してくれたその投げに対して、気持ちの良い音を立てて受け身を取る、この技術が大切なのだ。

これができないと、「踏み込まなければよかった」と相手に後悔させることになり、その後またその場に引き出してくることは難しくなるからである。

刀はいらない

「無刀」の状態。

どのような踏み込みに対しても、それを受け止められるような自然な立ち位置。

それが僕が最近イメージしているマネジメントの姿である。

刀を構えて、力みのある立ち姿では、部下は近づいて来ない。

それを捨て、ただそこに立っている、どんな技が来ても上手に受け身が取れる、そのような感覚を持てた時、マネジメントという仕事はその景色を変える。

もちろん、そこには実力というものは不可欠だ。

ただ立っているだけのおじさんではいけないのは当然のことだ。

でも、それは別に表に出さなくていい。

むしろ、隠しておいていい。

ただ同時に、実力を備えているにも関わらず、受けてくれているのだな、と部下に思って貰えるような感じは必要なのである。

拙い技でも上手に見せる

部下が技を掛ける。

その技は僕らからすれば、拙いものであることが多い。

でも、その技を上手に受け、その技がさも素晴らしいものであったかのようなある種の勘違いを与える作業。

大きく、気持ちの良い音を出す、そのような受け身。

それが部下を能動的にさせ、一歩前に踏み出させることに繋がるのだと思う。

それも特に現代のような、自分から持ち出しをすることが少ない(慣れていない)人達が多くいる場においては、それがとても大事なような気がしている。

覇気のようなものはいらない。

上手に投げられること。

投げられそうと思わせること。

それがマネジメントの質を変えるのだ、きっと。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

どんな展開でも上手に受け止められること。

それは度量とも言えますし、懐の深さとも言えますし、余裕があるとも言えます。

それがあるからこそ、部下は勇気を持って技を掛けることができる。

僕が最近考えているのは、失敗の経験が少ない部下(特に若手)に対して、どのように一歩踏み出させるかを決めるのは、上司の受け身の巧拙なのではないか、ということについてです。

虚勢を張らず、力を誇示せず、でも、実力があると思って貰えること。

僕はようやくそのようなイメージで仕事ができるようになってきました。

何らかの参考になれば幸いです。