カネと権力とプライド(と性欲)

UnsplashHenley Design Studioが撮影した写真

クソみたいな仕事との天秤

上昇志向が強い人を見ていると、その人の動機がカネなのか権力なのかプライドなのか性欲なのかを確かめることにしている。

大体の場合は、この混交物である。

いや、気持ちはわかる。

僕だってカネは欲しいし、権力だってあったら良さそうだし、プライドも満たしたいし、女にもモテたい。

でも、仮にそれが全部満たせたとしても、クソみたいな仕事を続けなければならないのであれば、ちょっと考えてしまう。

もちろん、その仕事の「クソ度」にはよるだろう。

ライトなクソ度であれば、もしかしたら進んで受け入れるかもしれない。

ただ、それがヘビーである時どう考えても「いい仕事」だとは思えない時、僕はどちらの道を選ぶだろうか?

こんなのは思春期の青年が行うようなピュアな悩みに過ぎない(中二病)として一掃してしまう方がいいのかもしれない。

でも、僕はずっとそのような悩みを抱えたまま仕事を続けている。

そして、傍にそのような欲望に溢れた人がいると、ヘイトが湧くと同時に、羨ましくもなるのだ。

今日はそんな話である。

上昇していくことは単純に楽しい

人はなぜ上昇したいと思うのか?

そんなことを考えることがある。

いや、このような達観した言い方はフェアではないのだろう。

僕だって、それを目指していた時期はあった。

そこには金銭欲も権力欲も承認欲求も性欲もあっただろう。

でも、それと同時に、何となくしっくりこないなという実感も持っていた。

確かに成果が目に見える形、給与や賞与という形に変換され、それが毎年のように上昇していくというのはゲームみたいでとても楽しいことである。

それと共に、自尊心も満たされ、それなりの権限も与えられ、結果としてそれが自信にも繋がり、異性にもモテるようになった。

それは確かにハッピーなことではある。

ただ、同時にそれでいいのだろうか、という考えも増幅していった。

というのも、職階が上昇していくのにつれて、「ん?」というような内容の仕事が増えていったからである。

それも自分発信ではなく、会社という組織から命じられるものとしての仕事が。

大なり小なり自分を曲げる必要があるのは大前提

もちろん、サラリーマンである以上、常に自分本位で仕事ができる訳ではないのは当然の話である。

それなりに自分を曲げたり、疑問を持ちながらも何とか自分を納得させたり、というような事態は結構な頻度で起きる。

ただ、その度合いが「ちょっと行き過ぎなのでは?」ということが増えていった。

そうは言っても、会社の方針に合わせて微調整をしながら、何とか自分なりにいい仕事だと思えるような方向性に着地をさせるような努力を続けてきた。

そして、それはまあまあ成功を収めてきた。

それでもな、というのが今回の話である。

燃え尽き症候群? or 中年の危機?

幸か不幸か、歳を重ねるにつれて、欲望のレベルは減退してきた。

カネもそんなにいらんし、権力欲は元々ないし、プライドはもう既にズタボロだし、異性にモテたいというような考えもなくなった。

となると、何のために働いているのか、という疑問が残る。

いや、働くこと自体は嫌いではない。

むしろ僕はワーカホリックの傾向があるくらいだ。

ただ、そんな僕でも、身を粉にして、精神を擦り減らしてまで働く必要はあるのだろうか、と考えるようになった。

これはある種のバーンアウトなのだろうか?

よくわからない。

しょうもない仕事をしている自己像に耐えられそうにない

一方、同年代でも「まだまだ上昇していくぜ!」という欲望に溢れた人がいたりする。

単純に「すげえな!」と思う。

羨ましくもある。

ただ、その話を聞いていると、「なんだかなあ…」と思ってしまうのも事実である。

そして、その仕事振りを見ていても、「どうなんかなあ…」と思ってしまう。

それは僕基準の偏った見方ではある。

偏見に満ちた考え方ではある。

でも、それを一生懸命補正しても、どうにもこうにも「しょうもない仕事」をしているとしか感じられないのである。

少なくとも、僕はそのような仕事をしている自己像に耐えられそうにない。

そして、その結果勝ち取るものが、カネや権力やプライドや性欲であるなら、何ともつまらないものだな、と思ってしまう。

「それなりの」いい仕事を

もちろん、生活は大事だ。

それに耐えられるだけの生活費は得たいなとは僕だって思う。

ただ、その対価としての仕事内容はもう少し吟味したいな、というのが正直なところである。

「完全に」いい仕事なんてのは夢想に過ぎなくても、「それなりに」いい仕事はできるはずだから。

敢えて言う話ではないけれど…

僕は一生懸命仕事をしている。

「いい仕事」をすべく全く手は抜いていないつもりだ。

そして、マネージャーという立場でいる以上、会社から求められることに対しても誠心誠意応えたいとは思っている。

それなりに恩義も感じているし。

ただ、それが僕の中で境界線を越える話である場合、そうであると判断した場合、Noと言ってもいいのかなとは思っている。

それによって、上記したカネや権力等を得る可能性が失われたとしても。

表立って言う話ではないと思うし、敢えて表明する必要はないと思うけれど、僕は静かにそのような形に仕事内容をシフトしていこうと思っている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

FIREやダウンシフトの議論。

それってホルモンバランスの問題では?

というか、欲望レベルの低下によって駆動されているものなのでは?

先進諸国である種普遍的に見られるこの現象は、人生の「空っぽ感」を埋められるものが仕事(また、その対価として得られるカネや権力やプライドや性欲)ではないということに、みんな気づき始めたからなのではないか、と思っています。

それと同時に(カウンター的に)、単純な欲望ってやっぱりあった方がいいよね、とも僕は思っています。

潔いというか。

左にも右にも偏らず、いい仕事をしていきましょう。