「静かな退職」って普通じゃね?
「従来の働き方」への違和感
昨年ごろから、「静かな退職」という言葉をよく目にするようになった。
これは仕事を辞めるつもりはないものの、出世や昇進を目指してガムシャラに働くこともしない、という働き方のことを指す。
そして、その言葉は時に「Z世代」という言葉と共に使われているようだ。
たぶん記事の論調として、「Z世代は前向きに働かない。出世にも興味がなく、向上心も薄いようだ。それはなぜなのだろうか?」と問いたいのだろう。
これはFIRE論にも親和性がある言葉であるようにも思う。
「従来の働き方」への違和感。
そのカウンターとしての「静かな退職」。
そこに僕は「若者特有な何か」を感じることはない。
それはたぶん普遍的なもので、別にZ世代だからどうであるとかそんなことはなく、ただなんとなく地面の下に覆い隠されてきたことが露出した、それだけのことである。
かく言う僕も、「静かな退職」を目指している。
というか、「興味のないことはやりたくないな」というのが僕の現在のスタンスである。
それでは始めていこう。
エコノミック・アニマルはどこへ?
会社への帰属意識の低さ。
それが日本人の特徴であるようだ。
おやおや。
仕事人間だった当時の日本人はどこにいったのだろうか?(と言っても、僕はその時代をよく知らない)。
ガムシャラに働き、休日も会社の行事に付き合って、公私共に会社にどっぷりと浸かっていた日本人はいなくなり、みな淡々と仕事をしている。
それが現代日本である。
当時から違和感はあったはずだ、きっと
もちろん、想像するに、当時からそのような働き方に対して違和感を持ちながらも、そうせざるを得なかった人は大勢いたのだと思う。
きっと時代の流れであるとか空気によって、そういうことを言い出すのは憚れるというか、心の内に留めながら働いていたのだろう。
そういう意味では、大きくは変わっていないとすら言えるのかもしれない。
ただ、僕自身の実感としても、会社で出世していこうとか、高い給与を得る為に頑張ろうというような人たちはだいぶ減ってきたように思う。
そして、そのような考え方の人に対しても、あまり共感を示さないというか。
「仕事というのは生きる糧を得るためにやむを得ずやるものであって、そこに生きがいややりがいを求めるのは違うのではないか?」
そのような考え方が浸透してきたように思う。
ただ気づいただけ?
ここには「社畜論」みたいな話や、「ブルシットジョブ」といった話も関係してくるだろう。
結局のところ、モーレツに働くことは割に合わず、程々に働くだけで十分である、ということにみんなが気付いただけなのかもしれない。
その顛末が現在である。
忠誠心なんてとうにないぜ
僕自身も従来の働き方に疑問を持ちながら仕事をしてきた。
働くこと自体は嫌いではないが、その働き方には疑問があって、またそこで働いている上司の言い分であるとか、人間性であるとか、そういったものもあまり好きになれなくて、現在に至っている。
若い頃は会社に対してもう少し忠誠心もあったように思うけれど、それも既に消え去り、今後もそのような感情が湧くことはないだろう。
となると、何をモチベーションとして働いていくのか、という疑問が残る。
そして、その選択肢の1つとして皆が取っているのが、今日のテーマでもある「静かな退職」なのだろう。
タイプAとタイプB
僕は「静かな退職」には2種類パターンがあると思っていて、それを「そうは言っても積極性は残っているタイプA」と「それすらないタイプB」として分類している。
Aは「仕事自体は嫌いではないが、会社の方針やそこでの出世競争に嫌気がさしている、だから働き方は選びたい」というタイプである(僕もここに属している)。
一方、Bは「仕事自体も好きではなく、働くということをそもそもネガティブに捉えている」タイプである。
これが現在の職場には混在している。
そして、僕は自分とは異なるタイプBに対しても、「まあそういう気持ちになりますわな」と共感もする。
ただ、正直なところ、タイプBはあまり好きにはなれない。
それはあまりにも無気力である場合が往々にしてあるからだ。
仕事に対してのプライドは必要では?
もちろん、(繰り返すが)そのように無気力になってしまった原因や背景については理解できるし、そうなってしまうのも仕方ないよね、とすら思う。
でも、ちょっと違うんだよな、というのが僕の感覚である。
ここは表現が難しいけれど、仕事に対してのプライドというか責任感まで放棄してしまっている人がそれなりに多くいて、それはやっぱりマズいのでは? と僕は感じている。
評価? なにそれおいしいの?
少なくとも僕は「いい仕事をしたい」と考えている。
そして、それは「出世に繋がる」とか「評価されるから」とかそういう動機から生じているものではない。
ただ、それは会社が求めているものでは必ずしもない。
そこに僕が静かな退職を目指している理由がある。
傍から見れば一緒かもね
クソどうでもいい(ブルシットな)仕事。
それを強要してくる会社(や上司)。
その波の中で、どうやったら「いい仕事」ができるか、それが僕が今考えていることである。
それは傍から見れば、「静かに退職している人」に見えるのかもしれない。
でも、それって別におかしなことではないのでは?
何だかまとまりの無い話になった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「やる気を奪う事態が頻発するから皆やる気を失っている。
でも、働くことに自体に対してはネガティブであるとも限らないのでは?」
それが僕が最近思うことです。
そのやる気を奪う事態をまずは除去(縮減)すべきでは?
下らないことばかりで気が滅入るのは事実です。
そしてその結果、静かに退職していくのも致し方ないのかもしれません。
ただ、僕はそれを変えたいと思っています。
そして、それができるのはマネージャーの僕たちでは?
そんな青臭い気持ちを僕はまだ持ち続けています。
ご賛同頂けたら幸いです。