責任転嫁だけ上手い奴をどげんかせんといかん

UnsplashPriscilla Du Preez 🇨🇦が撮影した写真

組織内での立ち回りに全振り?

仕事に対して誰もが冷めてしまっているのは、責任転嫁だけ上手い奴が偉くなっているからなのではないか?

そんな乱暴な仮説を基に今日はブログを書いていこうと思っている。

これは非常に乱暴な言い分ではある。

でも、日本企業にある程度の期間お勤めの方にはそのニュアンスはご理解頂けると思う。

もちろん、偉くなっている方の中には本当に優れた方もいる。

ただ、そうじゃない人も結構な割合でいる。

そして、そういう人の大半は、実務的な何かに秀でている訳ではなく、権謀術数というか、組織内での立ち回りに長けているだけ、という印象を僕は持っている。

確かに、組織内での立ち回りは重要ではある。

でも、能力伸長の大半をそれに傾けてきた人というのはやっぱり問題があると僕は思う。

また、それを見抜けない上司にも問題があると考えている。

今日はそんな話である。

言い過ぎではありますが…

最近、「実力」ということを考えている。

これは野生の力みたいなもので、環境がどうであれ、上司がどうであれ、その身に備わっている能力やその発揮状況が大事なのではないか、と感じることが多いからかもしれない。

非常に不遜な言い方にはなるが、僕は今まで仕えてきた上司の大半に「この人はオレよりも優れている」と思ったことはない。

大抵の上司は、普通か、大したことないか、クソの3種であったように思う。

実力と昇進には相関性がない。たぶん。

これは実力という観点から評価した場合のものである。

確かに、組織内での立ち回りには長けているのかもしれない。

でも、仕事という点において、「優秀だな」「できるな」と思ったことは殆どない。

非情な偉そうな言い方ではあるが、本当にそうなのだから仕方がない。

というか、きっと実力と昇進というのはそこまで相関性がないのだろうと僕は思っている。

「もしあなたが本当に偉くなりたいのなら、責任転嫁の能力を極めるべきだ」

僕は心からそのように思う。

男気は不要

大事なのは組織内でどう立ち回るかで、できるだけ自分に責任を取る機会が回ってこないように仕向けるスキルを身に付けることが何よりも重要である。

そこに男気なんてものはいらない。

ただ、いかにして火の粉を避けるか、それだけを頭において仕事をしていけばいいのである。

身を隠す能力も重要

そこには風を読む力も重要だ。

何かこちら側に向かってきそうな気配がしたら、そこから姿を消す。

偉そうなことだけ言っておいて、その責任は下っ端である部下に押し付ける。

そういう動きが自然とできるようにならなければならない。

冗談みたいな話だけれど、僕はそのように思うのである。

実力を測る機会が欲しいぜ

営業やマネジメント、そこにおける真の実力を測定できる機械というものを僕は切望している。

それがあれば、たくさんのニセモノたちを駆逐できるから。

それがひいては日本社会の為になるから。

非常にラディカルな意見ではあるけれど、僕はそのようなことを思う時がある。

というか、そのような機械がないとしても、上司がそれを代替できなければならないのではないか、と僕は考えている。

日本社会の停滞の要因の一つ、といったらオーバーだろうか?

残念ながら、「実力」を評価できる上司は非常に少ない。

おべんちゃらとか、忠誠心とか、しっぽの振り方とか、そういうものを評価できる人はたくさんいるけれど、真の実力が分かる人はそう多くない。

そして、それが日本社会が停滞している一つの要因なのではないかと僕は考えている。

人間の能力には限界がある。でもあんまりでは?

もちろん、人間の評価というのは不完全であり、能力を完全に把握するのは不可能である、と僕も思う。

結果として、一定数その中に実力がない者が紛れ込んでしまうことも仕方がないと思っている。

でも、現状はあんまりじゃない?

そんな風に思うのだ。

日本企業に欠けているのは「人を見る目」

マネジメントという仕事をしていると、表面だけを綺麗に整える能力に長けた人にたくさん出会うことになる。

彼(彼女)らは、確かに優秀そうに見える。

でも、一瞬でそれがハリボテであることが僕にはわかる。

そんなに難しいテストをしなくても、その人に実力があるか否かなんてことはすぐにわかる。

というか、それがもしわからないとするなら、その人はマネジメントには向いていない。

そういう意味では、日本企業に今欠けているものは「人を見る目」と言えるのかもしれない。

実力のない人が実力のない人を登用する、この繰り返し。

その流れを止めない限り、きっとこの日本経済の凋落に歯止めがかかることはない。

大風呂敷を広げるようだけれど、そんな風に思うのだ。

責任を負う人も足りない

それに加え、「責任を負う人」も今の日本社会には欠けているように思う。

それは「自己責任」を求めすぎて(糾弾し過ぎて)、誰も責任を取らなくなったことがきっと関係している。

誰もが身を躱す能力ばかりを伸ばして、責任を取る能力を持っている人が限りなくゼロに近くなってしまった。

それが日本社会の現状である。

その方が健全では?

それを打開するためには、責任転嫁だけ上手い奴を排除しなければならないと僕は考えている。

その人の実力を白日の下に晒し、実力がない人には降格(退場?)願う他ないのではないか?

というか、そういう社会の方が健全なのではないか?

僕はそう思うのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

僕たちのやる気を削ぐたくさんの要素。

その一つが責任転嫁だけが上手い人の存在であるように感じています。

ただ、それは同時に、そういう人を見抜けない評価者の責任でもある訳です。

実力がある人、責任感のある人、そういう人を評価していきましょう。