予定調和と思考停止
じわじわと殺されているような気がずっとしている
皆さんは考えることが嫌いですか?
今日はそんな煽り調の問い掛けから文章を始めてみる。
僕は好きだ。
考えることがとても好きである。
でも、どうもそのような人間は例外的なようだ。
皆考えることを放棄している。
というか、考えていることを放棄していることに無自覚ですらある。
その結果訪れる予定調和社会。
確かに居心地はいいかもしれない。
安定し、平和に暮らしていけるのかもしれない。
ただ、僕は嫌なのだ。
じわじわと殺されているような気がする。
真綿で首を締められているような感じがする。
そのような予兆を感じ続ける日本社会。
その中で「オオカミが来るぞ!」と叫び続けるオオカミ少年。
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
前例踏襲と予定調和
前例踏襲主義。
日本社会を形容するならそのような言葉が適切であると思う。
新しいことは前例がないからやらない。
安定を重視し、調和を重んじる気風。
これは予定調和を実現する為である。
攻略サイトをなぞるRPG
予定調和とは、物事が予想通りに進むことである。
これは「結論ありき」の状態とも言える。
既に決定された結論に向かって、逆算した道のりをただ進んでいくこと。
そこには思考が必要とされない。
というか、むしろ余計なものとして扱われる。
攻略サイトの指示通りに進めていくRPG。
それの何が面白いのだろうか?
面白さは不要?
いや、面白さなんて必要ないのだ。
必要なのは安定である。
物事が予定通りに収まることである。
それを淡々とクリアしていくこと。
確かにそこには思考など必要ないだろう。
意思と欲望の時代が来る
僕はこれからの時代、生成AIが汎用的になる時代において、大事なことは「意思」ではないかと考えている。
もう少し踏み込むなら、「欲望」ではないかと考えている。
というのも、人間とAIを分かつものはそこに「命」があるかどうかであり、その命を活かす為の欲望が内発するかどうかであると思うからである。
僕たち人間には肉体があり、肉体には寿命がある。
ある種日々死んでいくのが我々人間である。
それを生き永らえさせる為に、我々には欲望が生じる(よく言われるような三大欲求というものだ)。
それはAIには存在しえない。
なぜなら肉体が存在しないから。
思考=バグなのか?
ここに今日の話が交差してくる。
予定調和と思考停止は正にAI時代において真っ先に淘汰される概念であると僕は思っている。
というのも、決められたことを決められた通りに進めることに関してAIを上回るものはないからだ。
そこには「思考」は必要とされない。
あるのはアルゴリズムだけである。
そうなのだ。
予定調和と思考停止という僕ら日本社会は、アルゴリズムで動いている社会とも言える。
そこで生じる変化、例えば「考える」という行為は、ある種のバグとなる。
「バグは排除すべきだ」
「それは予定調和を乱すものだから」
クローズドソースな日本社会
僕は職場にいる人間たちの背後に、「予定調和を遂行する」というアルゴリズムを感じることがある。
そこにコードを書き加えることはできない。
オープンソースではないのだ。
だから「対話」は不要となる。
それをしたところで、コードが書き換わることはないし、アルゴリズムが変化することはないからだ。
いや、予定調和を着実に遂行する為に、表面的に「対話」という形式を取ることで物事を円滑に進めようとするのかもしれない。
でも、それは「対話」ではない。
「対話ごっこ」だ。
プロンプト通りの回答
僕は現代日本社会に古いSFめいた兆候を感じる。
このように問うたらこのような回答が来るのだろうなと思って問うと、案の定予定通りの回答が来ること。
それが自由意思に基づくものではなく、決められたプロンプト通りの回答であること。
一見そこには、思考や意思があるように見える。
でも、それはただのアルゴリズムなのだ。
そのような応答によって、予定調和が予定調和的に遂行されていくこと。
本当にSFみたいな社会だ(僕がまだ読んでいないだけで、フィリップ・K・ディックあたりがきっと小説にしているのだろう)。
扇動罪?
僕はその中で考えたいと思っている。
意思や欲望を持ち、自己決定をしたいと思っている。
それは予定調和を乱す扇動的行為と言われるのかもしれない。
反乱分子、不穏分子、そのような言葉で定義されるのかもしれない。
でも、僕は考えたいのだ。
アナキズムではなく
それは別に安定を壊したい訳ではない。
アナーキーな快楽を求めたい訳ではない。
ただ、この息苦しさに耐えられないのだ。
日々同じようなことを繰り返していくこと。
既に定められている物事をなぞっていくこと。
そこに面白さは存在しない。
新しいことをやりたい。それだけ。
創発性やインスピレーション。
他愛のない対話から生まれるアイディアの芽。
それを面白がりたいのだ。
前例がないもの、誰もやったことがないもの、それをやってみたいと思うのだ。
オオカミ少年の戯言
保守と革新。
革新だけが素晴らしいものではないことは歴史が証明している。
でもさ、というのが僕の今の考えである。
思考停止はAIに近づいていくだけだぜ?
予定調和はアルゴリズムと何が違うんだい?
そんなことを思いながら、僕は今日も一人オオカミの到来を叫び続けている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
思考停止の人と話をする度に、出来の悪いプログラマーが背後にいるんだろうな、と考えることにしています(自分のストレスを逃がす為に)。
生成AIとの対話もそうですが、彼(彼女)らは物事をリンクさせることに重要性を置き過ぎで、その連想ゲームの貧弱さに、僕は時々吐き気を催しそうになります。
全然関係ないものを結び付けるのが面白いんじゃねえの?
アルゴリズムによりお勧めされた動画はどれも僕の好みではありません。
プロンプトにより吐き出された回答はどれも僕を満足させません。
それならHIPHOPでも聞いていた方が断然面白れえわ。
思考により予定調和を越えていきましょう。