「マネジメント スキル」で検索したら絶望した件

UnsplashRoad Trip with Rajが撮影した写真

質感のない言葉の羅列

書くことがなくなると、グーグル先生にテキトーなワードを放り込んで、何らかのアイディアが湧くことを待つようにしている。

なので、今回も同じように「マネジメント スキル」で検索を掛けてみた。

すると、出てくる言葉たちの素晴らしいこと素晴らしいこと。

曰く、「リーダーシップがある」だの「傾聴力がある」だの、「どんな時でも冷静でいられる」とか、「完全な公平性を保てる」とか、「意思決定が素早い」とか、まあ本当にこれでもかというくらい綺麗な言葉が出てくる。

そして、その言葉のあまりの質感のなさに絶望的な気分になった。

「これが出来たら苦労しないよな…」

マネジメントという仕事を9年以上やって、僕が思うのはそんなことである。

また同時に思うのは、「結局のところ、マネジメントというものに対して実感を伴った言葉を発することができる人は多くなく、コンサル会社が危機感を煽りながら、テキトーな美辞麗句を並べて、商売の道具にしているだけなのだろうな」ということである。

9年前と何も変わっていやしない。

そう、僕が絶望したのは、自分のスキルのなさではなく(まあもちろんそれもあるが)、このマネジメントを取り巻く環境の変化のなさに対してである。

実態のない、それっぽい言葉を並べることで、マネジメントというものを理解した気になっている人と、それを商売のネタにしている人の、クソみたいな掛け合いの継続。

そして、現状の変わらなさ。

今日はそんな話である。

実感が伴った言葉遣いをすること

マネジメントについて、身の丈に合った言葉を使うこと。

実感が伴った言葉遣いをすること。

それが僕がブログを書く際に心掛けていることである。

というのも、僕がマネージャーになった時には、そのような言葉遣いをしているものに出会うことがなかったからである。

当時の僕はマネジメントという仕事に対して悪戦苦闘しており(今も変わらないが…)、そのヒントになるようなものを、心の底から欲していた。

でも、本を読んでも、ネットを漁っても、何にも解決にはならなかった。

無味無臭の、それっぽい言葉が並んでいるだけだった。

「リーダーシップを身に付けましょう」なんて言葉を読んでも、「それがねえから苦労してんだよ」と感じるだけで、明日からどうすればいいのかが何もわからないまま時間だけが過ぎていった。

そして、先輩も上司も、マネジメントというものを教えてくれることはなかった。

これは後になってみれば、「彼らもマネジメントなんてわかっていないのだ」ということが理解できたけれど、当時の僕にはそんなことは思いもよらず、本当に悶々とした日々を過ごしていたものである。

マネジメントをやったことない人によるそれっぽい言葉たち

翻って現在。

それはあまり変わっていないように思える。

相変わらず無味無臭の言葉や綺麗な言葉が並んでいて、マネジメントという仕事にあるドロドロとした闇の部分というか、面倒くさいものに触れていることは殆どなく、それを克服するような方法論についても何も書かれていない。

何と言うか、とても空論チックなのである。

それはたぶん書いている当人が、マネジメントという仕事と対峙したことがないからだろうと僕は思っている。

表現が難しいが、それっぽいヨコ文字を並べておけば、マネジメントに関する文章を書くことは容易だし、それが仮に自分ができていないことであったとしても、別に彼(彼女)らは気にも留めないのだろう。

マネジメントをやったこともない(もしくはどっぷりと浸かったこともない)人が煽るマネジメント理論。

それに危機感を覚えるたくさんの人たち(そこには当時の僕も含まれる)。

そして、何も変わらない現状。

どれもクソくらえである。

日本を(少しだけでも)良くしたい

僕は日本のマネジメントを変えたいと思っている。

というか、働くことに対して非常にネガティブな感情を覚えざるを得ない現状を変える為には、マネジメントの方法を変えることが一番手っ取り早いのではないか、と考えている。

仕事がつまらないのは、(その仕事が本質的にブルシットであることはあるとしても)上司がイケていないからである。

でも、もしその上司が多少なりともマネジメントというものを知り、それを実践できているとするなら、仕事は少しだけカラフルになり得る。

それがたくさんの職場で起こるとするなら、日本の景色が少しだけ変わるはず。

僕はそんなことを考えながらこのブログを書いている。

無駄な努力? I know.

それは経済を変えるとか政治を変えるとか、そのような大きな話は難しいと思うし、でもだからと言って何もせずただ口を開けて待っているのも違うよね、と思うからである。

文句を言うだけのヤツにはなりたくない。

もちろん、このブログを書き始めて、それなりの期間が経ったけれど、現状が変わっているとは言い難い。

そういう意味では、何の意味もないのではないかとも思ったりもする。

結局のところ、僕が揶揄した上記のような本やネット情報と同類である、という意見には首肯せざるを得ない。

それでも、だ。

僕は祈りのような気持ちを込めて、このような文章を書き続けようと思っている。

無駄な努力でも。

意味のない取り組みでも。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

空疎な言葉。

そしてその同類でもある僕のブログ。

何の意味がある?

そんなことを思いながら、文章を書く時があります。

というか、ほぼ毎日。

でも、意味なんてものがないのは人生も同じ。

そこまで深く考える必要なんてない。

確かに。

何の(誰の)役に立っているのかわからないですが、もう少しだけ続けていこうと思っています。

引き続き読んで頂けたら幸いです。