社内公募制度って人事部の怠慢なのでは?

UnsplashSaulo Mohanaが撮影した写真

能力の客観的評価も必要なのでは?

「社内公募によって、自ら手を挙げ、望んだ部署に行った社員が苦境に陥っている」

そんな記事を読んだ。

もちろん、記事は記事でしかなく、そこには記事特有のたくさんの誇張が含まれていることだろう。

でも、それと同時に、僕の会社もそうであるが、「自分のキャリアは自分で切り開こう」という考え方が最近増えてきて、それはそれで確かに望ましいことだとは思うのだけれど、ちょっと行き過ぎなのではないかと思ったので、今日はそれを文章にしてみようと考えている。

採用活動においてもそうだと思うが、多くの企業は「自分のキャリアを自分で選べる」ことをメリットとして考えているようだし、応募者や従業員もそれに賛同しているように見える。

もちろん、僕もその選択肢はあって然るべきだと思う。

ただ、一方で、その人の能力というのは客観的に(も)判断されるべきであり、それを行うのが人事部なのではないかとも考えている。

というか、「社内公募制を人事異動のベースとするのであれば、人事部って何をするの?」と思ってしまうのである。

確かに、従前からの人事異動やそれを含めたキャリアパスの構築の仕方には問題が山積しているのは事実だろう。

でも、だからと言って、本人の意思に任せ過ぎるのもまた問題なのでは? とも僕は思ってしまう。

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

隙のない理論。Really?

ジョブ型雇用と社内公募制度。

従来からのメンバーシップ型雇用に変わり、昨今言われるようになったのがこのジョブ型人事制度である。

「職務(ジョブ)の内容を明確に定義し、職務や役割によってその評価を行う」

そのような考え方。

それは確かに時代にもマッチしているように思う。

そこに社内公募制度が組み合わされる。

「自分がやりたいジョブに対して、自ら手を挙げ、キャリアを形成していく」

何と言うか、隙のない論理というか、望ましい方向性であるように見える。

ただ、「本当にそうなのか?」というのが今日の話である。

適正は吟味すべきでは?

若い社員を中心に、自分のキャリアを自分で策定したいと考える人が増えているように思う。

というか、昔はそんな選択肢すらなくて、本当のところは誰しも自分がやりたい仕事をやりたい(やりたかった)と考えるのが普通だろう。

そういう意味では、社内公募制度は必要であり、ジョブ型雇用との合わせ技で、素晴らしいキャリアパスの実現が図れるように思う。

ただ、「その後の適性」についてはきちんと吟味すべきなのではないか?

そんなことを僕は思う。

「その後」の評価もきちんとしよう

これはマネージャーの若手公募制度においてもそうだと思うけれど、行きたい部署に行く、その為の選考を行う、というところには人事部も力を入れているようだけれど、その後の顛末というか、実際にその部署で力を発揮できたかどうかについては、やや曖昧になっているような気がしている。

もちろん、「立場が人を作る」というか、その仕事を続けていれば「それなりの人」にはなれるとは思う。

でも、それって客観的に見て、適性があるという水準まで行っているのでしょうか? と僕は思う時がある。

「キャリアを社員が主体的に決め、それを会社としても後押ししていく」ということ自体には何の不満もない。

でも、「やっぱりダメでした」「合いませんでした」という人に対して、会社はどのような対応をするのか、についても併せて考えていくべきなのではないか、と僕は思う。

ただの「逃げ」では?

表現は悪いけれど、この種の人の中には、また新しい「青い鳥」を探し、別の部署に希望を出したりもする。

「その方が自分のキャリアには合っている」とか、「熟考を重ねた結果」とかなんとか言ったりする。

それってどうなのだろうか、と僕は思う。

人事部として、きちんとそこでの成果については査定すべきなのではないか、そしてもし条件を充足していないとするなら、何らかの方策を取るべきなのではないか、と僕は思うのだ。

仕事における4象限

何年も仕事をしてきて、自分には合う仕事と合わない仕事があるな、と僕は感じる。

また、そこにやりたい仕事とやりたくない仕事という軸が加わる。

結果、4つの象限ができる。

もちろん、自分に合って、それがやりたい仕事でもあれば最高だろう。

でも、やりたくなくても自分に合う仕事は存在するし、やりたいけれど自分に合わない仕事も存在する。

そのような2つの象限に合致する仕事を見つけるのが人事部の仕事なのではないか?

僕はそんな風に思うのである。

自分から見つけに行くものが仕事ではない

客観的な能力の評価というのは、とても難しい。

でも、たくさんの人たちと仕事をしていくと、自ずとそれが自分なりにもわかってくる。

確かにこれを入社時点や、若手社員の時に「あなたの仕事はこれです!」と定められてしまうのは苦しいだろうとは思う。

ただ、そのような目線というか、評価軸も必要であるはずだ。

仕事は自分から求めるものであると同時に、呼ばれる(calling)ものでもある。

それをもしかしたら天職というのではないか?

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

主観的評価と客観的評価。

その双方がキャリア形成には大事であるような気がしています。

僕はもし自分が自分のキャリアを選択できたとしたら、たぶんマネージャーという仕事は選ばなかったでしょう。

そして、現在時点においても、僕はその仕事が好きでも向いているとも思っていません。

でも、僕は10年近くそれを続けています。

その矛盾とは?

僕はマネジメントを天職だとは流石に思いませんが、そこに一定の「コール」があることは何となく理解しています。

そして、コールに応えることも、応えようとすることも、大事なのではないか(それが仮に自分に向いていなくても)と思うのです。

たぶん自分が思っているよりも、自分の能力というのは開かれています。

揺蕩うように、自分のキャリアの可能性を絞らないでいきましょう。