プロセス礼賛主義はもうやめよう
結果が伴わないなら、プロセスなど無価値だ
プロセスは重要である、ただそれが言い訳として使われない時には。
今日はそんな書き出しから始めてみる。
このブログ内でも何度か言及したことであるが、僕は過剰なプロセス礼賛主義に嫌気がさしていて、それも事後的に用いられることに本当にうんざりしている。
プロセス礼賛主義とは、過剰にプロセスの重要性を主張すること、精神性や努力みたいなものを必要以上に誇張すること、を指す。
へなちょこなマネージャーに限って、何かのプロジェクトが上手くいかなかったときに、「結果はともあれプロセスとして重要な収穫がありました」みたいなことを言う。
それなら最初から言えよ、と僕は思う。
そして、結果が伴わないのであれば、プロセスなど無価値だ、と言う厳しさも付け加えてみる。
もちろんそれは自分自身にも向けられている言葉(諸刃の剣)でもある。
でもその心持ちがなければプロフェッショナルとは言えない。
そんなことを今日は書いてみようと思う。
上手くいかないのは実力がない、ただそれだけのこと
プロセスは結果という最低条件をクリアした上で評価されるものだ、と僕は考えている。
ビジネスにおいては色々な障害があって、様々な不確定要素があって、実際に上手くいかないことが多いことは事実だ。
でも、そんな時にプロセスがどうだったかなんてことは正直言ってあまり関係がないことである。
その不確実性を前提として結果を出すのがマネージャーの仕事だからだ。
上手くいかなかったのであれば、それは実力がなかっただけ。
それが現実だ(厳しいけれど)。
プロセスを言い訳の材料とする人達
でもこのような事態になった時に、事後的に様々なプロセス指標を持ち出して弁解を行う者がいる。
やれこの数値は改善しています、とか、この指標が大きく伸びています、とか。
僕はそんなものは無価値だと思っている。
結果が出なかった、という現実の前で、指標がどうなったとか、何%改善したとか、そんなものは何の意味もない。
結果が出ませんでした。
以上。
その責任は全て自分にある。
それだけのことだ。
ビジネスは結果が全て
一生懸命やりました、とか、何件訪問しました(僕は営業なのでこういう指標がある)とか、そんなものは結果が出なかった現実の前では何の意味もない。
厳しい言い方だけれど、プロセスが良くて結果が出なかったというのは言い訳に過ぎない。
結果が出なければ、プロセスも良くなかったのだ。
僕はそう考えている。
というか、そう考えるようにしている。
というのは、ビジネスには当然ながら運の要素があって、プロセスが良かったのに結果が出ないということは実際にあるからだ。
ただ、僕が言いたいのは、その際であっても「結果」を重視すべきであるということだ。
言いたいことはわかるし、言い分もわかる。
どうしようもない現実があることも理解している。
それでも評価する際には「成果」を見るべきなのだ。
それは言い訳がみっともない、とかそういう「見てくれ」や「態度」の問題ではなくて、ビジネスというのはそういうものだからだ。
試合に勝てるかどうかを判断軸とすること
サラリーマンでいるとなかなか意識が向かないことだけれど、成果がなければ給料は出せない。
もちろんプロセスは大事だけれど、それでは飯は食えない。
プロセスはあくまでも成果の確率を上げる為の一要素でしかなくて、それは評価の対象ではない。
どんなに頑張っても成果が出ないなんてことはザラにある。
そしてそれはそのままの状態で受け止めるしかないのだ。
次に目を向けるしかないのだ。
例えが適切であるかわからないけれど、サッカーにおいてフォワードに求められるのは何よりも点を取ること(成果)だ。
もちろん、献身的な守備も大事だし、スプリント回数とか、走行距離とか、そういった指標(プロセス)も試合に使われるには重要な要素であるけれど、それだけではプロとしてはやっていけない。
点を取ることが先で、プロセスは後だ。
「あいつは献身的だ」「守備も物凄く頑張っている」「練習も真面目にやっている」という選手を可愛がりたくなるのもわかるけれど、大事なのはそいつを使って試合に勝てるかどうかなのだ。
そういう厳しさがなければマネージャーは務まらない。
ダメなら次で挽回するしかない
極端なことを言えば、プロセスが全然ダメでも、成果を出せるなら使うべきなのだ(もちろん程度はあるが)。
もう少し詳しく言うと、プロセスというのは長期的に成功する為に必要な要素であって、それがあれば成功の確率は確かに上がる。
ただ、成果というのは決められたタームの中で求められるもの(四半期とか半期とか1年とか)なので、それが出ないのであれば、それはそれとして受け止めるしかない、ということなのだ。
それをぐじゃぐじゃ言い返したところで、成果が出ていないという事実は変わらない。
もう少し違うやり方がなかったか、を考えて次に活かすだけなのだ。
精神論や根性論を超えるために
成果が出ない時に限って、プロセスを大袈裟に持ち出してくることに僕は我慢がならない。
プロセスは大事だ。
でも成果が出ていなければ評価の対象とはならない。
精神論や根性論など不要だ。
ただ淡々と成果を出すこと。
成果が出なければ、それを真正面から受け止めること。
その厳しさの中に、仕事の面白味があるのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
成果が全てである、というと、非情だ、と言われることがあります。
「はい、非情ですが(それが何か問題なのでしょうか?)」と僕は思ってしまうところに、僕のサイコパス性があるのでしょう。
ただ、弁解をさせてもらうとするなら、次の機会は次の機会で公平に評価するし、そのチャンスもきちんと与えます。
というか、下手な情けと個人的な好き嫌いで、中央値的な評価しかできないマネージャー達よりはだいぶマシだと思うのですが、そう考えること自体が異質なようです。
仕事は仕事でしかなくて、それができるかどうかは人格とは何の関係もありません。
ただのビジネス・ゲームです。
そこには感情やプロセスが入り込む余地はありません。
それはそれ、これはこれ、で評価する方が、よっぽど情が厚いと思うのですが、世間的にはどうやらそうでもないようです。
護送船団方式が大好きな人達に囲まれながら、僕はこれからも孤独に仕事をしていくつもりです。
仲間になって頂けたら幸いです。