悪い評価をつけないのも問題だ

悪い評価をつけるのは悪いことなのか?

長期的に高い成果を出したいなら、評価にメリハリをつけなければならない。

これが今回の結論だ。

ただ、感覚的にはわかっている人(わかっているつもりの人)でも、これを実行できている人はあまり多くないように感じている。

もちろん少しずつではあるが時代は変わってきていると思うし、ジョブ型雇用や成果主義というものがもっと一般的になれば、こんなことをわざわざ言わなくてもいいのだろうけれど、現状においては評価は「甘め」につけられている(と僕は思う)。

それはなぜか?

端的に言うと、怖いのだと思う。

悪い評価をつけて、部下に嫌われたくないのだと思う。

なぜ評価が悪いのか、ということをきちんと説明できないからなのだと思う。

結論は見えているけれど、今日はそんなことを書いていく。

良いチームで「並み」の成果しか出ていないのは評価のせいかもしれない

部下との関係も悪くなく、チームの雰囲気も比較的良好なチームにおいて、「並み」の成果しか出ていないのであれば、評価のメリハリがないせいである可能性を考えておいた方が良い。

会社によって評価周期というものは違うと思うけれど、半年とか1年とか、そのようなある程度長い期間においてなされるのが一般的だろう。

裏返せば、日常の業務において、評価がそのパフォーマンスに影響を与えているという可能性を考えることはあまりないと思う。

ただ、これは厳然とそこにあるのだ。

想像してもらえればわかると思うけれど、高い成果を出しても、そうでなくても、評価に大差がないのであれば、なぜ頑張る必要があるのか?

もちろんそういった環境においても高いモチベーションを維持し、高いパフォーマンスを出し続けるようなスーパーな人もいるけれど、大抵の人間というのはそうではない。

まして、近くの席に「明らかに頑張っていない同僚」がいれば猶更だ。

凡庸なチームの正体

例えば、そいつの評価が「まあまあ」だったとする。

その評価を参照点として、自分の評価を考える(人間というのは狭い人間関係における相対的な評価を非常に気にする生き物である)。

「やってられない!」と思う。

その気持ちをあからさまにオープンに出す人はあまり多くはないが、心の中では確実にそのように思っている。

それが全体的に「凡庸」なチームの正体だ。

特にマネージャーやその前任者がそのような評価をつけがちなチームにおいては、この傾向が強い(評価が効果を発揮していくのには時間がかかる)。

何となく悪くない雰囲気なのだけれど、良くもないような感じ。

パッとしない感じ。

その奥には評価への不満がある場合が多い。

ビジネスというゲームにおける乾いた評価を付けるべき

では、なぜメリハリのある評価をつけられないのか?

それは「甘さ」だ。

そのような評価をするマネージャーは否定するだろうけれど、僕からすれば、それは優しさではなく、単に甘いだけだ。

そして、悪者に思われたくないという狡さがそこに混ざっている。

この種のマネージャーは兎角「こいつの将来を潰したくない」みたいな善人ぶったことを言って、辛口の評価をできない自分を守ろうとするけれど、僕からしたらそれはナンセンスだ。

ダメなものはダメ。

ある期間内において望ましい成果を出せなかった。

それだけの話だ。

下駄を履かせる行為を完全に否定するつもりはないけれど、そこはプロフェッショナルとして、厳然たる事実として、厳しい評価をつけるべきだと思う。

何も人間性がどうとか、人格がどうとか、そういう話をしているわけではない。

ただ単に、ビジネス(というゲーム)において、ある期間においての成績が振るわなかった、それに対する乾いた評価だ。

評価の影響が出てくるのには時間がかかる

徒競走とか、期末テストとか、全国大会とか、何でもいいのだけれど、競争において優劣というのは必ず付くものだ。

もちろん「頑張った」という行為は行為として賞賛すべきであると思うけれど、結果は結果としてそこに存在している。

もっと厳しいことを言うと、我々はそれによって給与を貰うプロフェッショナルであるのだ。

そのパフォーマンス如何によって、評価が上下するというのは至極真っ当であるような気がするのだけれど、どうやら思ってはいても実行はできない人が多いようだ。

それをマネージャー個人の弱さに還元して、「まあそういう人もいるよね」という言葉で片づけられればいいのだけれど、こと評価においてはそうもいかない。

先程も述べたように、それは長期的に波及するものだからだ。

そして次の評価の機会は下手をすれば、1年先ということもあり得るからだ(1年後の評価の影響が出てくるのはもっと先だろう)。

本来的には、このような厳しい評価をつけられないマネージャーを不適格であるとすべきであると僕は思うのだけれど、「優しい」とか「人情味がある」とかいう訳の分からない理由で、そうなることは殆どない。

その上、パフォーマンスが上がらない要因を外部環境のせいにしたりする。

ただ、メリハリのある評価をつけていないだけ。

実際の例を1つ挙げてみよう。

パフォーマンスを上げる為の手段として評価を使う

甘い前任マネージャーの後釜としてあるチームに入った時に、僕は辛めの評価をつけたことがあった。

当初は物凄い反発があった。

自分の上司からも色々言われた。

ただ、パフォーマンスは大きく変わった。

それは単純に頑張っている奴らが僕の味方になってくれたからだ。

腐りかけていた奴らが、「真っ当に評価される」と思って努力を続けてくれたからだ。

良い成績を上げている奴に、良い成績を上げていると評価をつける。

そうじゃない人には、そうじゃない評価をつける(もちろんきちんとした数字を示しながら説明する)。

そしてまた次の期には次の期の評価をすれば良い。

とても簡単な話だ。

でも現実にはそうじゃないみたいだ。

上手く言えないけれど、僕は別に嫌われても良いと思っている。

僕は仕事としてマネジメントをしていて、そこで求められていることは高いパフォーマンスを継続的に出すことだからだ。

その手段の1つとして評価も使わせてもらう。

ただそれだけのことだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

パワハラが断罪されるのに、甘さが断罪されないことに、僕は納得がいきません。

もちろんパワハラは言語道断ですが、甘やかしもある種のハラスメントであるという認識が世の中には足りないような気がしています。

そのツケは後世に負債として残されるのに、本人は「善人面」をしているから、余計にたちが悪い。

僕がマネージャーになって思うのは、良い評価でも悪い評価でも、それが妥当であれば部下は理解してくれるものだ、ということです。

むしろ、信頼が増すということすら起こりうる、ということです。

僕は単純に好き嫌いではなく、成果によって評価をする、という至極当たり前のことをやっているに過ぎないのですが、それが逆転している人が多い(そしてその方が人情味があるなんて言われていたりする)ことが残念でなりません。

嫌われることを恐れずに、真っ当な評価を行っていきましょう。