負の感情を出さない(他人は案外わからない)

他人は他人の感情の変化に関心がない

マネージャーをやっていて気付いたことの1つが、他人というものは案外相手の感情がわからないのだな、ということだ。

僕自身は営業経験も長いからか、比較的他人の感情の変化に対して敏感な方だと思っているけれど(いや、思っているだけでたぶんあまりわかっていないのだろう)、大抵の人はそれに気付けないように思う。

怒っているとか、泣いているとか、そのくらいの大きな変化であれば流石に気付かないということはないけれど、もう少し小さな変化(ムッとするとか、悲しそうにするとか)には無頓着であるように感じている。

それがわかってからはマネジメントがやり易くなった、というのが今日の話となる。

僕はマネージャー向きの性格ではない

それは自分の「負の感情」もメンバーにはわからない、ということだからだ。

生まれつきリーダーに向いている人であれば、このような小さなことで悩んだりしないのかもしれない。

そもそも「負の感情」を持つ確率が低くて、メンバーに対しても日々感謝の気持ちを持てるような人物であれば、こんなテクニック的なことは考えなくていいのだろう。

ただ、僕の場合はそうではない。

マネージャーになってから多少はマシにはなったとは思っているけれど、未だに本当に些細なことに対してイライラするし、嫌いな人間に対しては殆ど憎悪に近いような感情が湧いてきたりする。

そういう意味では明らかにリーダー向きの性格ではない

真っ当な資質を持っている訳ではない。

自分で思っているより、人は感情の変化に気付かないのでは?

それこそ、マネージャーになりたての頃は「ああ、なんて自分はダメな人間なのだ…」と落ち込んでいたものだ。

こんなに向いていない人間がマネージャーをやっていていいのだろうか?

そんな風にずっと思っていた。

だからこそ、自分が自然と持ってしまう負の感情をできるだけ隠そうとしていたし、そのように振舞おうとしていた。

ただ、残念ながら、僕自身はとても正直な人間なのだ。

正直というと聞こえはいいかもしれないけれど、単純にそのような負の感情が表情に出てしまう、という明らかにマネージャーとしてはマイナスな資質を持っていた。

だから余計に隠そう隠そうとしていた。

そしてどんどん振る舞いが不自然になっていった(と思っていた)。

ただ、ある時ふと気づいた。

「思っているよりも、他人はオレの感情なんて気にしていないぞ?」と。

「ちょっとした感情の差異みたいなものはわからないのでは?」と。

閾値とグラデーション

ニュアンスが難しいのだけれど、「ある閾値に達するまでは、その感情が存在しているということ自体がわからない人」は存外多いということに僕は気付くことになった。

だから、そこまでの範囲であれば無理に隠す必要もない。

僕の感覚では、感情というのはグラデーションのように連続的なものであって、1の出力と5の出力では異なるものとして認識しているのだけれど、どうやら、1と5くらいの出力の差であれば気にしなくていい(たいして変わらないし、外からはわからない。感情として認識されるのは10以降)、ということのように感じている。

それに気づいてからは、とてもマネジメントがしやすくなった。

例えば、部下と話す時でも、自分としては(相手が元々あまり好きではないので)少し嫌味っぽくなってしまったな、と今までであればクヨクヨと悩んでいたのだけれど、そのニュアンスは伝わらないのだな、と感じてからはズケズケとモノが言えるようになった。

立ち振る舞いも自分の生来のものに近いものとしてできるようになった。

もちろん、閾値での例えのように、ある一定以上の「超えてはならないライン」というものはそこに厳然と存在しているのだけれど、そこまでは流石の僕でもわかるし、そうならないように振舞うというのはそんなに難しいことではない。

そのような激しい感情は押し殺してしまえばいいのだ。

口に出さなければ大体オーケー

これも上手く伝えられるかわからないのだけれど、憤怒に近い感情ですらも外側に出さなければ案外わからないものなのだ、と僕は思っている。

営業の人間からは信じられないのだけれど、部下と一緒にお客様と話していても、その部下はお客様の感情がわからない(物凄く怒っているのに)ということが、結構な頻度で起こったりする。

もちろんその部下個人の問題ということもあるのだろうけれど、営業でない人であればあるほどこの傾向は高まるので、それは属人的な問題というよりも他人というのはそういうものなのだろう、と僕は認識している(あくまでも僕個人の採取データなので偏りはある)。

そういう意味において、口から出ていないものについては案外わからないもの、という認識があればメンタルコントロールもそんなに難しいことではなくなる。

怒ることとそれを外に出すことは別問題

イライラした時には、単純にその場から離れればいいのだ。

少し時間を置いてから、何事もなかったかのようにまた仕事をすればいいし、同じように接すればいい。

心の中に嫌な感情があっても。

アンガー・マネジメントの方法については、以前にこのブログ内にも書いたことだけれど、極端なことを言うのであれば、別に怒っていたとしてもそれが外に出ていなければ(バレなければ)問題ない、ということになる。

怒りに駆られて怒鳴ったりすると、パワハラだの威圧的だのと無用な批判を浴びることになるので(実際にその怒りが真っ当な要因から生じたものであったとしても)、それを外に出さない(怒るのは仕方がないので)、というように切り替えられると、マネジメントは格段に楽になると思う(もちろん根本的な解決策ではないが)。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

わかりづらい文章だったかもしれませんが、僕にとっては、感情を「持つこと」と「出すこと」は違う、という気付きはとても大きなものでした。

従前の僕は、「そのような悪感情を持つこと自体が良くないことだ」「そう思わないように自己を(善人に)改善しなければならない」と思っていましたし、そうなれない自分に対して嫌悪感を抱いていたのですが、どうやらそこまでは必要ないようです。

もちろん、「本物のリーダー」になる為にはそのくらいのレベルまでが求められるのでしょうけれど、僕程度の中間管理職であれば、少なくともその悪感情を外に出さないということができれば、だいぶマネジメントのやり易さは変わってきます。

怒りをコントロールするのではなく、それを出さないようにコントロールすること。

後者の方がだいぶ容易です。

アンガー・マネジメントが苦手な方は参考にしてみて下さい。