かっこつける人たち
なぜ管理職は総じて無能なのか?
世にいる大半のマネージャーは無能である。
そしてそれに対して自覚すらない。
そんな挑発的な文章から今回は始めてみる。
でもそんなに的外れなことは言っていないのではないだろうか?
たぶん会社で働いている人はみんなそう思っている(もしくは思ったことがある)のではないだろうか?
なぜ管理職は(総じて)無能なのか、という問いは日本企業の生産性向上を考える上で避けて通れないものである、と僕は考えている。
マネジメント不全が、日本企業をダメにしている。
そしてそれは無能なマネージャーに限ってかっこつけがちであるからである。
意味がわからない?
じゃあ、それについて詳しく書いていこう。
マネジメントは過酷な現実と向き合うことから始まる
先の大戦における敗戦や、今回のコロナウイルス騒動でも思うことだけれど、日本にはマネジメントという文化が根付いていない、と僕は考えている。
マネジメントとは、現実を直視することから始まる。
冷徹に現実を見据え、できることとできないこと、を峻別する。
その中で、限られた資源を優先的にどこに配分すべきかを決定する。
反論も、痛みもある。
不満も、納得できないこともある。
ただ、決定しなければ、判断しなければ、次に進むことはできない。
総花的に、全方位的に、良い顔をすることで現実が好転するのであればいくらでもすればいいのだけれど、そんなことは起こらない。
神風は吹かない。
あるのは過酷な現実だけ。
こうなったらいいな、ということを想像することは自由であるが、それを打ち手として採用するのはあまりにも安易すぎる。
それはマネージャーの仕事ではない。
少なくともプロフェッショナルの仕事ではない。
僕はそう考えている。
理想を語ればリーダーシップが生じるわけじゃない
甘い言葉を言えば、みんなが納得してくれると思っている。
理想世界を滔々と説けば、リーダーシップが生じると思っている。
断言する。
そんなことはない。
耳の痛いこと言うこと、見たくないものを見せること、現実に対峙することによってしか、リーダーシップは生じない。
本来は自分が負うべきではない責任すらも背負うことを言明することでしか、人を付いて来させることはできない。
良いことばかり言うことは現実がわかっていないという評価に繋がる
裏を返せば、みんなはそんなに馬鹿ではない、ということだ。
メンバーは公平に、公正に、リーダーの日々の行動を考量している。
そこに逃げの気持ちがあったり、責任逃れの兆候があったりすれば、すぐに見抜かれる。
現実が過酷である、と言明することは、何も悪いことではない。
それをわからずに、良いことばかり言うマネージャーが多すぎる。
だから、マネージャーは無能だと言われるのだ。
現実がわかっていない、と言われるのだ。
自分が無能であることを認めることには勇気がいる
では、なぜマネジメント層は口当たりの良い言葉を使ってしまうのか?
それはかっこつけてしまうからだ。
もう少し言うと、勇気がないからだ。
自分が何もわかっていないことを宣言することは勇気がいる。
それなら、わかっているフリをしておけばいい。
きっとバレないだろうし(どうせみんなバカだから)。
そういう思いがあるのだ。
メンバーを信頼しているなんてことを言いながら、全く信頼していない。
素晴らしい成果だと言いながら、それは自分の手柄だと思っている。
そんなマネージャーばっかりだ。
そう言うことで自分は理解ある有能なマネージャーである、と勘違いしている。
そしてバレていないと思っている。
評価する人もそう思っていたりする。
無能の連鎖。
傷のなめ合い。
もうそろそろそれを終わらせないか?
我流のマネジメント論
管理職の仕事は綺麗事を言うことだ、と思っている人は想像している以上に多い。
そういう人に限って、精神論や根性論を多用するから余計にたちが悪い。
マネジメントについて真剣に考えたことすらない人が、我流のマネジメント論を振りかざすから、そしてそれを計量的に評価することがないから、日本企業は停滞し続けているのだ。
成果でなく、雰囲気で評価するから、ダメなままなのだ。
それっぽいことを言っているから、格好いいこと言っているから、マネジメント力がある訳ではない。
大事なのは現実だ。
それを言語化することだ。
言葉に重みを与える為には、現実に向き合って、厳しいことも言わなければならない。
できないことはできないと言わなければならない。
それを建設的な議論と呼ぶ。
やる気がないとか、意欲が足りないとか、批判的だとか、そういう精神論はうんざりだ。
そういうことではないのだ。
だから無能だと言われるのだ。
運と実力
マネージャーには現実をありのままに捉える力が必要だ。
現実歪曲フィールドを排して、現有戦力と現有リソースをデータとして把握する。
そしてその中でどのようにすべきかを、理を尽くして、言葉を尽くして、メンバーに説いていく。
それがなぜなのか、なぜそのように考えたのかも含めて説明していく。
そうやってメンバーを自発的に動かしていく。
それがマネジメントだ。
良好な外部環境と、運によって、たまたま成功した人が、「我こそは有能なマネージャーである」と声高に叫ぶ厚顔無恥な現実を変えたいと僕は思っている。
その我流の成功体験を汎用性があるものとして無理やり押し付けようとする厚かましさを打破したいと僕は考えている。
その為にこれからも高い成果を出し続けていくつもりだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
全体的なトーンとして、自分で書いたことながら「怒っているなあ」という雰囲気の文章になってしまいました。
そして「お前は何様なのだ」と自らツッコミたくなってしまったのも事実です。
ただ言いたかったのは、良いとこどりしようとするマネージャーが多くいて、その痛みを背負うことなく、上手くやりおおせようとする現状はどうなのかな、ということ(問題提起)です。
カッコつけるなら、その応分のリスクも負担しろよ、というのが率直に僕が思っていることです。
中身のない薄っぺらな大人たちが、その薄っぺらさを見抜かれないだろうと部下達を侮っているような現実に対して、ダセえなあ、と僕は思ってしまうわけです。
本当の大人がいなくなってしまった世界で、(口だけ野郎にならないように)僕はそういう人達よりも高い成果を出していこうと思っています。
賛同して頂けたら幸いです。