フィードバックとフィードフォワード

フィードバックはダメ出しになりがち

部下の育成、というとフィードバックを適切に行うことから始める、それが効果的である、と考える人も多いと思う。

実際、高頻度で(例えば1on1などの場を利用して)フィードバックを行うことで、部下は自分の行いが良かったのか、そうでなかったのか、ということを振り返る機会が増えるので、成長していくことも多い。

ただ、マネージャーと部下という関係性や経験の違いによって、どうしてもこのフィードバックというのは「ダメ出し」に近い性質を帯びがちであることも事実だ。

特にマネージャーと部下の関係性が良好でない場合には、適切なフィードバックでさえ、正面から受け止められなくなり、その効果はゼロか、下手をするとマイナスになってしまう。

ではどうするか?

答えはフィードフォワードを組み合わせる、ということだ。

フィードフォワード?

格好つけた言い方をしているが、これはある事象に対するベクトルを未来に持っていく(フォワード)という意味だ(フィードバックはある事象から過去にベクトルを持ってきている)。

今日はそんな話をしていこう。

「出る杭は打たれる環境」に適応した若者たち

年若く経験の浅い部下と接していると、自己をできるだけ大きく見せない振る舞いが染みついているな、と思うことが多い。

これはたぶんSNSの普及やスクールカースト的環境や、その他諸々の要因によって、「できるだけ目立たないことを良しとする」という考え方がその背景にあるのだと思う。

出る杭は打たれる。

そこから身を守る為に、自己防衛的にそのような所作を身に付ける。

それは何も悪いことではない。

反省のスパイラル

本当にそう思っているのかは別として、彼らはそのような振る舞いをデフォルトとして、職場においても仕事をしている。

そんな部下が大勢を占める環境において、フィードバックという形の指導法を取っても、部下の方は反省(自責)するばかりで、何というか、奥底まで響くことは少ないように思う。

もちろん、その場ではとても効果的であるように彼らは振舞う。

「参考になった」であるとか「勉強になった」とか、そういう口当たりの良いことを言う。

ただそれによって、翌日以降振る舞いが変わるかというと、そんなことはない。

彼らはまた同じような失敗を繰り返す。

そしてまたフィードバック。

そのようなマイナスのスパイラル、反省のスパイラルのようなものが続くことになる。

反省会をやめる

個人的な好き嫌いの問題なのかもしれないけれど、僕はこういう状態があまり好きではない。

何というか疲れてしまうのだ。

建設的でないと思うし、無意味であるとすら思ってしまう。

それをどうやって打開するか、と考えた時に、僕が思いついたのは、もう反省会はやめよう、ということだった。

フィードバックというのはカッコいい言い方だけれど、平たく言えば反省会だ。

詰め会、と言ってもいい。

とにかくあまりポジティブなものにならない。

ただ、そうはいっても何かはしなければならない。

それでやり始めたのが、フィードフォワードだ。

多くの人はあまり準備をしていない(でも本人は準備していると思っている)

これは「どうやったらうまくいくか?」ということを事前に(たっぷりと)考えさせることを意味する。

ブレスト壁打ちに近いイメージで捉えてもらうと良いと思う。

マネージャーになって気づいたことの1つに、多くの人は準備をあまりしない(でも自分では準備をしていると思っている)、ということがある。

商談でもプレゼンでも何でもいいのだけれど、僕からしたらあまりにも無防備な状態でその場に臨む人が多いので、「そりゃ上手くいかないよな」と僕は思うのだけれど、どうやらその感覚はよくわからないようだ。

そして案の定失敗する。

そこでフィードバック(ダメ出し)される。

というのが、よくある流れだ。

オープンな壁打ち

僕はこれにフィードフォワードを組み合わせる。

というか、フィードフォワードにかなりの比重(9:1くらい)を置く。

大抵は、「どんなイメージで進めようと思っているの?」というところから話を始めて、自分が思う疑問点や、しっくりこない点を思い付きでどんどん言っていくような感じだ。

これは僕自身のキャラクターだと思うのだけれど、そこには「指導しよう!」とか「いい準備をさせよう!」とかそういう思いはなくて、純粋な知的好奇心から聞くことが多いし、話が散らかっていく形になりがちなので、自然とオープンな会話になる。

傍から見たら、雑談みたいにたぶん見えるのだと思う。

仮説構築みたいな感じ、知的遊戯みたいな感じでダラダラ話しているので、遊んでいるようにも見えるようだ。

アドバイスをすることもあるけれど、どちらかというと、笑ったり疑問を呈したりしながら、相手の頭の中を整理させることに重点を置いている。

それが結果的に準備となるし、もう少し長い目で見ると、知識やノウハウのクラウド化(共有化)みたいなものに繋がっていく。

そして本番に臨む。

彼らは帰ってきた後、「課長が言うような展開になりました」と大体言って不思議がるのだけれど、僕からしたらそんなに大層なことではないので、「そうだろう?(笑)」と言ってフィードバックは終わる。

その後また次の相談(雑談)に移っていく。

無意味に見える時間を共有する

もう少し真面目な言い方をすると、魚の釣り方を教えるのではなく、魚の釣り方を考えること(その思考の流れ)に意味があることを感じてもらうことが大事(正直なことを言うと、実際に釣れたかどうかはあまり重要ではない)なのだ。

それはその時だけでなく、その後もずっと役に立つノウハウになる。

「なぜそのように考えるようになったのか?」という思考プロセスは、フィードバックだけではなかなか教えることができない。

フィードフォワードという事前の(下らない)話を経て、僕がどのように物事を捉えるか、どんな風に考えるか、どういう話し方をするか、というものを実際の時間の流れと共に感じてもらう。

偉そうなことを言うと、それが筋トレみたいに効いてくるのだ。

もし自分の部下が自発的ではないと思っていたり、考えが浅いと思ったりしているのであれば、そういう一見無意味に見える長い時間を共有することが、彼らの行動を変える第一歩となるので、ぜひめげずにやってみて欲しい。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

検索にはプロセスが出てこない、というのがフィードフォワードをする意味である、と僕は考えています。

検索エンジンネイティブである若い人達は、何かわからないことがあればググる、という一連の動作が体に染みついています。

そして検索エンジンは瞬時に「答え」を出してくれます。

ただ、そこには思考プロセスは示されません。

できるだけ短時間で効果の高いものを出すこと(コスパ)を重要視する彼らからすると、思考プロセスの共有というのは、どう考えても能率が良いとは言えない代物です。

ただ、それができないと、仕事というのはどうしても単線的(かつ短絡的)になってしまう。

それを打開するために始めたのがこのフィードフォワードです。

上手く言えないのですが、このような行きつ戻りつするような無意味な時間が実は結構大事なのではないか、と僕は考えています。

フィードバックはどうしても「正解」を探してしまいがちになるので、未知なものに向かう時にどのようなことを考えているのか、を共有することが、巡り巡って実は近道だったりします。

ダラダラと話していきましょう。