現場力と神の視点

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現場力とは?

マネージャーには現場力が必要だ。

ここで言う現場力とは、日常業務に加えて、火事場のクソ力的な、緊急時にも力が発揮できること、を指す。

では、現場力を高めるにはどうすればいいのか?

答えは、コミットする、ということだ。

主体的に物事に関わること。

責任を負いながら判断をすること。

それこそがマネージャーの現場力を高めていく。

反対に、神の視点での発言は現場力を削ぐことになる。

今日はそんな話をしてみる。

抽象度が上がれば具体性は失われる

職階が上がれば上がるほど、大局的に物事を判断する必要が生じる。

それは間違いない。

些事にかかずらうことなく、もう少し高い視点から、もう少し長いレンジのことを考えながら判断し、発言する必要がある。

これは具体抽象という考え方にも当てはまる。

物事を具体から抽象に置き換えて、俯瞰的かつ汎用的な言葉を述べることで、組織を動かしていく、それは何も悪いことではない。

ただ、そこには失うものがある。

それが「現場との主体的な関わり」だ。

両取りはできないのだ。

抽象を取れば具体は失われる。

俯瞰を取れば現場は失われる。

それを忘れてはいけない。

現実から遊離してはいけない

マネジメントという仕事が板についてくると、段々と現場の判断だけをするのではなく、一歩引いた目で物事を見られるようになってくる。

そして実際にその方が仕事が上手く回っていく。

それはプレーヤーからマネージャーへの進化の過程において必要なことだ。

結果として、抽象的な発言俯瞰から見た発言、というものが増えていくようになる。

「べき論」が増えていくようになる。

ただ、あまりにもそれが増え過ぎたら要注意だ。

「あなたもそのチームに含まれている」ということを忘れてはならない。

あなたは第三者ではないのだ。

あなたは神ではないのだ。

評論家的な態度では部下は付いて来ない。

このバランスがマネジメントには求められる。

正しいけれど、何の意味もない言葉

神の視点からの発言は、誰も何も言えない種類のものだ。

それはあまりにも正しくて、反論の余地がないからだ。

ぐうの音もでない発言というのは、確かに論破される可能性はないし、誰も傷つかないし、コンプラにもポリコレにも抵触しないし、非の打ち所がないのは確かである。

ただ、それは誰にも届かない

毒にも薬にもならない言葉の銃弾。

それはただ地面に落ちるだけだ。

具体性と抽象性のバランス

政治家の発言や、経営者の発言が、通り一遍である傾向が強いのは、揚げ足取りを防ぐという観点からはやむを得ないものなのだとは思う。

そして言葉の宛先(対象)が増えれば触れるほど、具体性は薄まっていって(抽象化していって)、その言葉の強度が失われていくのは仕方のないことなのだとも思う。

ただ、ミドルマネージャーレベルでそれが必要なのかということは吟味しておいた方がいい。

個人的な考えにはなってしまうけれど、僕は両方の視点のバランスがとても大事になるのがミドルマネージャーのポジションなのだと思っている。

具体だけではマネージャーとしては失格だが、かといって抽象だけでは部下は付いて来ない。

部下が付いて来なければ、成果を出すことはできない。

当たり前の話だ。

ただそれがわかっている人は思いのほか少ない。

こちら側とあちら側を切り離してはいけない

正論はつまらない。

何らかの具体的な事象が生じたとして、それに対して現場が必死になって取り組み、解決に導いた時に、マネージャーが「正しいこと」「本当はすべきだったこと」だけを言ったとしたら、興ざめであるだろう。

上手く伝わっているか自信はないけれど、まずは解決したことそれ自体を言祝ぐべきなのだ。

正論はその後でいい(いや、きっとそれすらもいらないのだろう)。

往々にして、総括をしようとして、多くのマネージャーは「正しいこと」を言ってしまう。

自分がチームに含まれているというその事実を棚に上げて、「それ以外の人達」に向けて、正論を述べる。

彼岸此岸

それを切り離してはならないのだ。

ポジションを取らない奴の判断など信用に足らない

俯瞰の視点は大事である。

ただ、地に足が着いていなければ、それは意味をなさない。

コミットしていない奴の意見など聞くに値しない。

ポジションを取らない奴の判断など信用に足らない。

それが生の現場の意見である。

面従腹背では成果は出せない

もちろん面従腹背的に、さも「わかりました! 流石ですね!」的な顔をして、あなたの御宣託を恭しく聞くフリはしてくれるだろう。

そのようなイエスマンばかりを取り巻きにおいて、気持ちよくなりたいのであれば否定はしない。

ただ、それでは力は出ない。

成果は出せない。

自分のポジション修正を

実るほど頭が下がる稲穂かな、ではないけれど、職階が上がれば上がるほど、自分の意見が地に足が着いているものなのか、世間からズレていないか、殿上人になっていないか、をよくよく注意しておいた方がいい。

そして出来れば、耳の痛いことを言ってくれるような生意気な側近を置いておいた方がいい。

どんなに気をつけていても、その乖離に自分だけで気づくのは難しいからだ。

あなたは神ではない。

現場にいる人間だ。

チームに属しているマネージャーだ。

それを忘れてはいけない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

コンプライアンス意識の高まりに反比例して、ポジションを取った発言というのは激減してしまいしました。

そしてその空白を埋めたのが、「正しい言葉」たちです。

誰からも非難が出ない言葉は、結局のところ誰にも届きません。

誰からも嫌われない人は、誰にも好かれることはありません。

それは単純に、その言葉やその言葉を使う人がつまらないからです。

俗世から離れることなく、生々しい言葉を使っていきましょう。