転送上司に天罰を
メールを転送するだけの簡単なお仕事
あなたの上司にメールを転送するだけの上司はいないだろうか?
このような上司のことを今回は「転送上司」と呼ぶことにする。
そしてメールだけはなくて、仕事を丸投げするタイプの上司をこのカテゴリーに含めると、大抵のマネージャーは「転送上司」に該当することになると思う。
仕事を丸投げする上司は嫌われる。
かといって、全部を自分でやるというのは現実的には不可能である。
今日はそんな「転送上司」にならない為の方法を書いていく。
メールには「指示」と「通知」の2種類がある
初めに断っておくが、僕もメールの転送はよく行う。
ただ、それはあくまでも「どうでもいい話の場合」である。
社内のやり取り、特に上位層とのやり取りについては、未だにメールが主流であるのだけれど、そこには「指示」と「通知」の2種類があると思っている。
そして大抵は「通知(お知らせ)」であるので、特に僕が介在する必要がないものである。
その種の「情報を共有する為だけ」に行うメール(責任逃れの為に情報共有という体裁を取るメール)に対しては、僕は脳死状態でそれをただ転送する。
意思を混ぜ込むことはない。
一方で、「指示」に関するメールについては、転送する際にも一手間加える。
僕なりのエッセンス・ニュアンスをメールに沿えて転送することにしている。
この微妙な違いが大事であると僕は思っている。
自分の意思を混ぜ込むことは悪いこと?
マネージャーというのは、「組織の従順なしもべであるべきである」と考える人は多い。
いや、実際に意識はしていないと思うが、そのように振舞うタイプのマネージャーはとても多い。
自分は組織側の人間であり、その忠実なしもべであるので、その指示に対して自分ごときの意思を混ぜ込むなんて畏れ多い(し、むしろ有害である)と考える人は一定数存在する。
そういう意味では、「転送上司」も別に悪気があってやっているとは限らないのだ。
ただ、そういう振る舞いは、受け手にとっては「丸投げ」に映る可能性があるということは自覚しておいた方がいい。
このちょっとした自覚の違いが部下からの信認の差を生むことになる。
個性がなければ、いる意味もなくなってしまう
これは以前にも書いたことであるが、自分の存在を消すこと、臭いを薄めること、はマネジメントにおいて必ずしも有効ではない。
もちろん職階が上がれば上がるほど、「個」というものの存在は薄くなり、「組織」というものの存在が濃くなってくる。
マネージャーの発言も、個人の意思というよりは、組織の意思を反映した内容にならざるを得ない。
それは事実だ。
ただ、完全にそれを無くしてしまうと、部下は付いて来なくなってしまう。
その人がその立場にいる意味がなくなってしまうからだ。
上から来たものを下に流すだけの簡単なお仕事をする為に、高い給料を払う必要はない。
そこには「意思」や「判断」が求められるのだ。
自覚のなさがマネジメント不全の一因なのだろう
書いていて思ったのだけれど、上記したようなことを意識できているマネージャーは、そもそも「転送上司」とはなり得ないだろう。
問題なのは、こういった意識すらない上司が大半である、ということだ。
自分が「転送上司」であるという自覚がないから、簡単にメールを転送できてしまうし、それを悪いとも思っていない。
そこに日本組織のマネジメント不全の一端があるような気がする。
「滅私奉公」という言葉の悪用
日本組織においては、「私」を混ぜ込むことは悪いことである、というような共通認識がある(ような気が僕はしている)。
公私混同、という言葉にネガティブなニュアンスが含まれているように、私見を述べることは、どちらかというと歓迎されない種類のものである。
もちろん、私利に基づいて発言を行う、というのは言語道断であるけれど、私見を述べることまでも過剰に抑制する、というのはちょっと違うような気がしている。
背景に引いていくこと、存在感を消していくこと、がマネジメントにおいては必ずしも効果的でない、ということを、体感として理解しているマネージャーは多くない。
「滅私奉公」という言葉はもちろん、私心(私欲)を捨てるというポジティブなニュアンスで使われるものであるけれど、僕は「私」を「滅する」ことを意識的に行っていないのであれば(受動的に、脳死的に行っているのであれば)、それは有用ではないのではないか、と考えている。
自分の都合の良いように「私」を消すということを解釈しているマネージャーが多すぎるのだ。
だから、「仕事をしない上司」が蔓延することになるのだ。
ポジションを取ることの重要性
部下が「丸投げ上司」を嫌うのは、そこに自分が含まれておらず、責任を負うこともないのに、手柄は独り占めする、という仕事の非対称性が露骨に現れるからである。
メールを簡単に転送するのも、「オレには関係ないから、あとヨロシク!」的な、無責任性がそこにそこはかとなく含まれているから、嫌われるのだ。
そうならない為には、例え間違っていたとしても、そこに自分の意思を混ぜ込むこと、意見を述べることが重要であると僕は考えている。
ポジションを取れば、賛成も反対も巻き起こる。
ポジションを取らなければ、そこには何も生まれない。
これを生むのがマネージャーの仕事でもあるのだ(もちろん最終的な責任はマネージャーが取るのは言うまでもないことだ)。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
(ミドル)マネージャーは仕事をかわそうと思えばいくらでもかわせるし、自分で仕事をしようと思えばいくらでも仕事ができるポジションです。
かわし過ぎれば転送上司に、自分で仕事をし過ぎればプレイングマネージャーに堕してしまいます。
このバランスを如何にとるか?
それがとても難しいと感じる人も多いと思います。
僕は以前から言っているように、「基本暇そうにしておいて、いざという時にはすぐ動けるようにしておく(それをメンバーにも知っておいてもらう)」のが大事である、と考えています。
帯刀はしているのだけれど、普段は刀を抜くことはない。
平時にはぼんやりとしているように見えるけれど、やる時はやる。
そんな感じが理想です。
ゆるゆると仕事していきましょう。