上からの評価と下からの評価
板挟みの人生
中間管理職という名前の通り、課長には上司と部下がいて、その間に挟まれながら仕事をするのが日常である。
両者(課長もいれれば三者)の意向が揃っていれば何の問題もないのだけれど、まあそんなことはごく稀であって、大抵はそれぞれがそれぞれ違うことを言っていて、それを調整することが非常に重要な仕事の1つとなる。
ただ往々にして、上司からの評価と部下からの評価はトレードオフになりがちである。
そんな時にどちらの評価を優先させるべきであるか?
僕は部下からの評価を優先させる。
今日はそんな話をしてみる。
部下と没交渉になったら終わり
「板挟み」の仕事をもう6年以上続けている。
自分がやってきたこと、現在やっていることが「正しい」とわかることはない。
正解がわからないまま、ただ黙々と目の前にある仕事をしていくしかないのが現実である。
ただある程度の年数を経てきて、僕がしみじみと実感するのは、「部下からそっぽを向かれたら終わり」ということである。
これは何も部下に迎合しろということではない。
別に好かれる必要はないのだ。
ただ、話もできないような状態、没交渉状態になってしまうと、もうリカバリーは不可能である。
「保身」は敏感に嗅ぎつけられる
ここで注意しなければならないことは、「部下に優しく(甘く)すること」が部下からの評価に繋がる訳ではない、ということである。
部下への対応(スタンス)は課長のキャラクターによっても異なるし、むしろ異なるべきである。
キャラクターに合った厳しさや優しさで接していけばいい。
ただここで重要なのは、「その優しさ(甘さ)は部下を守ることに繋がっているか?」という観点である。
一貫性のない、その場しのぎの優しさになっていないかは注意してもし過ぎることはない。
というのは、部下はそれが「保身」なのかどうかというのを敏感に嗅ぎ分ける生き物だからである。
だんだん話が分かりづらくなってきたかもしれない。
もう少し詳しく書いていく。
それを言っちゃあおしまいっすよ
チームの状況や、目標の達成具合によって、上司からのプレッシャーは時に過大になる。
その際に、部下のせいにするのはとても簡単である。
僕も良く聞く話であるが、大半のマネージャーはチームの不出来を部下のせいにすることで、上司からの圧力を回避しようとする。
その気持ちはよくわかる。
そして実際に事実ベースで「そうなのだろう」とも思う。
でも、「それを言っちゃあおしまい」なのである。
僕は自分自身が不出来な人間であるし、マネジメント能力が不十分でもあるので、チームが上手くいかないのは自分のせいである、と思うようにしている。
もちろん実際は「そうではない要因」も多分にあるとは思っているし、それはきっと客観的に見てもそうなのだとは言える(証明できる)と思う。
ただ、それを外部に漏らすことはない。
特に上司に対して言うことは絶対にない。
単純に「マネージャーが悪い」のである。
防波堤としての役割が階層型組織には必要
これは個人的な価値観なので共感して頂けるかどうかは微妙ではあるけれど、階層型組織においては、誰かが防波堤にならなければならない、と僕は考えている。
要は、上からのプレッシャーがウォーターフォールのようにどんどんと下に落ちてくる状態をどこかで食い止めたり、せめて和らげたりする人がいなければ組織は瓦解する、と僕は思っている。
中間管理職という立場上、上から言われたことをそのままの鮮度と強度で下に言うことはとても簡単である。
そうすれば、少なくとも自分の身を守ることはできる。
でもそうすると、部下からの信認は得られない。
部下からの信認が得られなければ、成果は上がらない。
それをわかっているマネージャーは本当に少ない。
今に見てろよ
たぶん、組織の階段を昇っていこうと思っている人には、僕のようなスタンスは理解できないだろう。
自分の責任だと名乗り出ることは、この社会において損失(それも過大な損失)でしかないからだ。
そしてそれはただのプライドの問題である、とも言える種類のものであることも理解している。
でもどこかでその「ツケは回ってくる」のだ。
僕はそんな風に考えている。
自己満足と自己陶酔とただのエゴイズム
僕が現在の部下やかつての部下から言われて嬉しいのは、「課長は部下を売らない」ということだ。
もちろん僕は強い人間ではないので、「あいつのせいだ」と思わないことがないとは言えない。
そして完全に部下を守ることができない、というのも事実である。
ただ少なくとも、風当たりを弱めることはできているとは思っているし、それが課長の仕事なのだろうと思っている。
その為に「管理職手当」があるのだ、と考えている。
数々の理不尽な上司、無能な上司に仕えてきた僕は、自分のマネジメント能力のなさを棚に上げて、部下のせいにすることに嫌気がさしている。
そして現在その立場になった以上、それだけはするまい、と心に決めている。
それを部下がわかるまでにはタイムラグがあるし、それによって部下が勘違いをしたり、増長したりすることがないとは言えない。
でもいずれわかることである。
僕は部下に迎合はしないけれど、彼ら(彼女ら)を守ろうとは思っている。
そんなのは自己満足と自己陶酔に過ぎないのかもしれない。
まあきっとそうなのだろう。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
部下を守るという自己像にただ酔っているだけなのかもしれない。
そう思うことがないとは言い切れません。
ただ、僕みたいな出来損ないで生意気な人間がマネージャーにならせてもらったのは、たぶんそのような「尖った部分」を評価されたからなのではないか、それならそれをきちんと実行すべきなのではないか、と現在の僕は思っています。
僕は今でもアウトサイダーのままで、一部の人にしか好かれないことも十分にわかっています。
でもだからこそ味方になってくれる部下や上司の存在をこの上なくありがたいものであると感じています。
その人達に恥じない仕事をこれからも続けていくつもりです。
どこかで同じような志を持って働いている方に共感頂けたら幸いです。