マイクロムーブの重要性
失うは一瞬、取り戻すは一生
日常のちょっとした言動や行動が、職場の雰囲気を決定づける。
そういう感覚を持って僕は仕事をしている。
そのような「日常のちょっとした行動」のことをマイクロムーブというようだ。
これは例えば、挨拶の時の声のトーンであるとか、メールの返信スピードであるとか、その時には取るに足らないと思えるようなこと(マイクロムーブ)が、人間関係に大きな影響を与えうる、ということを指している。
実際に働いている自分にとってはとてもしっくりくる考え方である。
そしてそれはプラス方向よりもマイナス方向の方が影響が大きい。
信頼を失うのは一瞬、取り戻すのは一生、みたいな感じである。
今日はそういうテーマで話をしていく。
イベントではなく様々な伏線が人間関係を規定する
何か大きなイベントをきっかけとして、人間関係に変化が生じる。
多くの人はそのように考えていると思う。
だが、それは間違いだ。
いや、間違いとまでは言えなくとも、若干的外れである。
僕はそんな風に考えている。
もちろん、その大きなイベントが最後の一押しとなって、人間関係が修復不可能なものになってしまうことはあると思う。
ただ、それまでには様々な伏線がある。
それが今回のテーマであるマイクロムーブである。
無意識の失言
僕たちは日々無数の言葉を交わしている。
言葉だけでなく、行動も含めて、物凄い数の情報を相互にやりとりしている。
その中で、その時は何とも思わなかったけれど、後から振り返ってみると、「あれってどういう意味だったんだろう?」みたいな、ぼんやりとした事象というものがある。
相手に対して従前から好意があればそれはポジティブなものに、悪意があればネガティブなものに転じてしまうような、「他意のない」事象のことだ。
「誤解を生むもと」と言い換えてもいい。
本人に「それが失言である」という意識があれば、即時に訂正したり、弁解したりすることは可能であるけれど、そうでない場合というのも実際には起こりうる。
ただその影響がないかと言えば、そんなことはない。
大きな影響があるのだ。
誤解の独自的かつ累積的成長
これは何も対面コミュニケーションのみで起こるわけではない。
誰もが経験していることだとは思うが、メールなどの文章においてはそこに書かれている全体のトーン(感情)が読みづらく、書き手の技量によっては、ひどく冷たい文章だと捉えられてしまうことが、結構な確率で起こる。
電話でも似たような事象は起こる。
これを日々のやり取りによって「ほぐしながら」仕事をしているのだけれど、リモートワークが増える現在の環境下においては、この修正がなかなか上手くいかず、「いや、そういう意味じゃなかったのにな」というすれ違いが数多く起こってしまうのだ。
これをできるだけ早い段階で修正しておかないと、このようなすれ違いというのは累積的に増えていく(かつ独自に成長を遂げる)ので、全ての行動がネガティブに取られてしまう可能性がある。
でも当の本人は気付いていなかったりする。
僕はマネージャー向けに文章を書くことが多い(この文章もそうだ)ので、上司や先輩がこのようなタイプ(どちらかというと鈍感なタイプ)であると、職場の雰囲気は急速に悪化する、ということを言い添えておく。
完全にはコントロール不可能であるのも事実であるけれど
もちろん全ての誤解を防ぐことは現実的には難しいことである。
ただ、自分の行動や言動が累積的に大きな影響を及ぼす可能性があるということを意識しておくかおかないかは、チームマネジメントをしていく上でとても重要であるし、この話を聞いてちょっとでもギクっとした方は自分の行動を改めてみると良いと思う。
一方で、多くのハラスメント事象と同様に、このような反応というのは「受け手」によって規定されるものであるので、コントロール不可能であるのも事実である。
では、マネージャーはどのようにすればいいのか?
細心の注意を払うことは大前提として、あとは為すがままにせざるを得ないのか?
YesでありNoである、というのが僕の答えである。
日々のズレを日々補正する
ある程度はこのようなすれ違いというのは仕方がないと僕は思っている。
というか、殆どは他人同士なのですれ違うのが当たり前であるとすら思っている。
ただ、修正は可能であるし、1対1の間柄では多少のズレはあっても、チーム内ではある程度統一した印象を与えることは可能であると思っている。
一人に対しては「なんだよ、あの課長は」と思われるかもしれないけれど、他の部下から「いやいや、課長が言っているのはこういう意味だと思うよ」というフォローがあれば、チームというのは円滑に機能するものなのである。
それをする為に、僕は部下との1on1に時間を注いでいる。
マネジメント業務というのは、これだけやっていれば十分とすら思うくらいである。
大事なのは、「教え導いてやろう!」みたいな気負いをすることなく、ただ日々の事象を聞いたり話したり、何もなければ何もないということを共有すること、である。
双方の思考パターンや、考え方・価値観みたいなものを理解し合うことが重要なのであって、そこから何か建設的なことを生もうとする必要はない。
それだけで日々の些細なすれ違いは補正できるはずである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
今回の話はどちらかというと窮屈な話であって、これを意識することはとても大事ですが、あまりにも意識しすぎると、個性みたいなものが全くなくなってしまうという厄介なシロモノでもあります。
やり過ぎもやらな過ぎも良くない。
もちろんメンバーのタイプによってそのバランスは異なってくるのですが、時にはみ出す(人間味が出るので)ことも重要であるということを付言しておきます。
気にしながら、気にし過ぎないように行動していきましょう。