若手に有望なキャリアが提示できなくて困っているのだけれど…
成功モデルの崩壊
ステレオタイプな成功モデルが示せなくなって久しい。
良い企業に就職して、昇進して、結婚して、子供を持って、家を買って、定年まで勤めて、退職金を貰って、年金暮らしをする、みたいな「人生ゲーム的」モデルが崩壊しつつあるなかで、若手にどのようなキャリアを提示すればいいのか、悩むことが増えてきた。
「年功賃金制度+終身雇用制度」という仕組みの下では、「現在の苦難を耐えていればいつか昇進・昇給する、だから頑張ろう!」という話が(その真偽はともかく)できたのだろうけれど、現在はそんなものが夢物語であることを若手も当然知っているので、全くといってこのような話型が「刺さる」ことはない。
ましてや価値観が多様化している時代である。
仕事というのは、人生における一部分でしかなくて、旧来のようにそこに「全人生を捧げる」なんてことはあり得ない訳だ。
そんな中で、若手をモチベートする為にはどうすればいいのか?
目指すべきキャリアについて、どのように話をすればいいのか?
明確な回答はないけれど、今日はそんな話をしてみようと思う。
花形部署の消滅
僕が会社に入社した時には、「花形」と呼ばれるような部署があった。
大っぴらにそれが言われている訳ではなかったけれど、その部署に行けば「ああ、良い所に行ったね」と誰しもが思うような部署があって、自分がそこに行けるかどうかは別として、目指すべき対象として誰もが指し示すことがまだできた時代であった。
そして実際にその部署に行った者は、その後のキャリアもある程度約束されてもいた(もちろん処遇面でも良かった)ので、まずは第一関門としてそこを目指すというのが「セオリー」でもあったのだ。
ただ、現在はそれがなくなってしまった。
若手の教育プログラムみたいなものが大きく変わって、大抵の若手社員は次に行く部署が固定化されるようになっている。
そしてその部署と現行の部署とは仕事のやり方が大きく異なることが多い。
そこで聞こえてくるのは次のような話である。
「どうせ次はあの部署ですよね。それなら今頑張る必要ってありますか?」
確かに(接続性は薄いよね)。
というのが、僕の答えとなってしまう(もちろんそうは言わないけれど)。
僕だって目指すべきキャリアイメージはないのに
ここには職業観の変化というマクロなものから、企業内キャリアというミクロなものまで含まれていて、価値観が多様化する時代の中で、有効なキャリアモデルを示すことができていない、できそうもない、ということになるのかもしれない。
もう少し先の話も含めて言うと、経費削減圧力の下、ポストはどんどんと減っていて、その席に座れるのはごく少数になってしまっていて、現実的に自分がそうなれる可能性が低いということに若手はもう気付いてしまっているのだ。
そしてそのポストに就くこと自体(そのポストで行う仕事内容を含めて)も魅力的ではなくなってしまっている。
自分に置き換えてもそうである。
今の僕には目指すべきキャリアモデルがない。
そんな僕が若手に有望なキャリアを提示できるはずもない。
自分の将来をきちんと考えれば考えるほど、今の会社での明るいキャリアを描くことは難しい、ということに、若手たちはもう気付いてしまっている。
それに対して、通り一遍のことを言ったって馬鹿にされるだけである。
そしてキャリアモデルを提示できないことは、日々の仕事のモチベーションを減衰させることにも繋がるのだ。
価値観の多様化? ただの漂流?
経済的成功や地位の獲得というのは、「わかりやすい」モチベーションの源泉となる。
もちろんそれによって動機づけられる人ばかりではないけれど、ないよりはあった方が良いし、自分を騙す口実にもなる。
でもぶら下げるニンジンすらなくなった現在、どのような話をして、彼らにキャリアを考えさせればいいのか、僕にはわからないでいる。
兼業や副業やFIREなど、職業を巡る話は巷間で飛び交っている。
それを多様化と呼ぶのかもしれないけれど、僕には「漂流」に近いニュアンスに感じられる。
フリーター論の時にも散々議論された話だとは思うけれど、雇用の流動化は物凄いスピード感で競争しなければならない企業にとって必要不可欠である。
自立を促すと言う話は聞こえはいいけれど、単純に雇用を維持することは難しいということを綺麗な言葉に言い換えているに過ぎない。
それを若手は敏感に感じ取っていて、「そっちがその気なら、こっちにも考えがありますよ」と振舞っているように僕には感じられる。
それはそれで望ましい傾向なのかもしれない。
会社に振り回される人生などまっぴらごめんという気持ちも僕にはよくわかる。
合理的ですらある。
でも、本当にそれだけで「いい仕事」はできるのだろうか?
僕にはまだ答えが見つかっていない。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
危機感を煽る、というのはどの時代においても常套手段です。
現代に蔓延る「AIが仕事を奪う論」であるとか「複線化キャリア論」みたいなものに、僕は賛成はしながらも、全面的に納得している訳ではありません。
それは本文にも書いたように、「フリーター論」の末路をある程度知っているからかもしれません。
ノマド的な働き方に憧れはありますし、現在の会社の将来性に不安も感じています。
そして、一社に留まることに対する批判的な風潮も理解しています。
でも、そこには資本の論理みたいな「あっちの都合」も一定程度含まれているんだよな、そういうことを言うことで儲かる人がいるんだよな、ということは忘れずにいたいと思っています。
どちらの方向に進むとしても、僕は僕自身を信じ、いい仕事をしていきたいと思っています。
流されずに日々仕事をしていきましょう。