「知らんけど」育成法

偉そうなことを言いそうになるのを防ぐ魔法の言葉
僕は育成に定評のあるマネージャーだそうだ(知らんけど)。
自分ではあまり意識していなけれど、上司から見るとそう見えるようで、それを自分なりに解釈してみようとしたのが今回の文章となる。
それを僕は『「知らんけど」育成法』と名付けることにした。
結論から言うと、『「知らんけど」育成法』というのは、何か偉そうなことを言いそうになった時に、語尾に「知らんけど」と付け加えることで、自分の言葉を客観的かつ相対的に見せる育成方法である(知らんけど)。
説教めいた言葉ほど、部下に嫌われるものはない。
そして「知らんけど」というのは、説教を説教くさくなくする魔法の言葉である。
思い付き感満載ではあるけれど、今日はそんな話をしていく。
善意は重い
育成というのは、「いかに押し付けないか」が大事であると僕は考えている。
そして相手のキャラクターを考え、その長所を伸ばすにはどのような話し方をすれば良いか、というのが重要となる。
自分で言うのもなんだけれど、僕は営業経験が長いので、この辺の間合いというか呼吸というか、それは比較的得意なのだけれど、たぶん他の人が再現するのはなかなか難しいだろうなと思ったので、もう少し汎用的なやり方を今回は書いてみることにする。
それが語尾に「知らんけど」をつけることである。
自分自身もそうであるが、どのマネージャーも相手を良くしてあげたい、もっと上手に仕事ができるようにしてあげたい、という善意から、一生懸命言葉を尽くして、熱っぽく部下に話をすることがあると思う。
でもそれが思ったよりも響かなくて(むしろ嫌がられていたりして)、落ち込むことがあると思う。
当たり前のことを自分ではやってしまう
ただ、客観的に見てみればそれは「当たり前のこと」であるのだ。
信頼している人であるなら別であるが、まだ自分のこともよくわかっていないであろう人から、偉そうに言われたところで、それを素直に受け入れようとするはずがない。
自分が部下の立場なら当たり前の話が、なぜか上司の立場だとできなくなってしまうのだ。
「あんたに何がわかるのか」
本当にその通りである。
コーチングは不要
自分のことは自分が一番よくわかっている。
でも、世の中にはコーチという職業があって、特にプロスポーツ選手(テニスなどは顕著だろう)はコーチをつけているわけで、その意味を考える必要があるのだと僕は思っている。
たぶん多くの人は、コーチの仕事を「指導」だと思っているのだと思うのだけれど、僕は「相対化」というのが大事なのだと考えている。
「客観視」や「俯瞰化」と言い換えてもいい。
要は、自分を自分から離れた視点から見る必要があって、その視座を与える(というか、ただの鏡になる)のがコーチの役割なのだと僕は考えている。
コーチングなど不要で、ただの鏡として反射すればいいのだ。
マネージャー自身を客観視する
ただ一方で、相手が若手であればあるほど、自分の力だけで客観的に自分の動きを見られる人は少ない(というか、それができればそもそも指導などいらない)というのも現実である。
その時に、良心的なマネージャーほど手ほどきしたくなる、という気持ちもよくわかる。
そこで僕が考えたのが語尾に「知らんけど」を付け加えるというものだ。
これはマネージャー自身を客観視することに繋がってくる。
第三者視点を呼び込む
上記したように、1対1の関係性では、マネージャーとメンバーの信頼関係が重要で、それができていないと「お前に何がわかるのか」という構造になりがちである。
それを打破する為には、第三者視点が必要となる。
それが「知らんけど」である。
指導に熱が入り、「こうした方がいい、ああした方がいい」と言った後に「知らんけど」と付け加えることで、そこに「緩和」が生まれる。
「オレはこう思う」という押し付けが、「まあ、それが正しいとは限らないし、それを選択するかどうかはお前が選べばいいよ」というマイルドなものに変化する。
関西人は偉大である(知らんけど)。
自分で気付かなければ、成長はない
大事なのは指導ではなくて、対話なのである。
自分自身で気づかない限り、相手が成長することはない。
誰にどんなに正しいことを言われたって、そこに自覚がなければ何の意味もない。
ただ、一方で自覚するまで待てるほど、マネージャーにも時間が与えられていることは少ない。
その乖離を埋めるのが、この『「知らんけど」育成法』である。
会話をドライブさせていく
正直言って、僕は自分が育成が上手だとはあまり考えていない。
ただ相手を尊重し、その人の個性に合った方法を一緒に考える対話相手としては割と有用であると考えている。
担当者時代にもお客さまによく言われた話であるが、僕と話をすると相手は「頭が整理される」ようである。
僕は別に何か素晴らしい気付きを与えてやろうとか、スペシャルなアイディアを提供しようとか、そんな気持ちは全くなくて、ただその場の会話をドライブさせていくことが純粋に楽しくてそうしているだけなのであるが、それがどうやらいいようである。
それをただ部下にも適用しているだけである。
部下と年が離れれば離れるほど、自分にはそんなつもりがなくても「説教臭く」なってしまうものである。
それを緩和するのが「知らんけど」という言葉である。
騙されたと思ってやってみて欲しい。
部下との関係性が劇的に改善するはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「知らんけど」というのは、「ツッコミ」とは違うものだと僕は思っています。
多くの人は、会話には「オチ」や「ツッコミ」が必要だと思っているようですが、そんなものは不要で(というかむしろ有害ですらあって)、ただ「ボケ続ける」ことが重要なのです。
ただ一方で「ボケ続ける」と話が散漫になってしまうので、時々「知らんけど」で緩和させる(正位置に戻す)ことが必要となります。
ドライブさせて散らかして、知らんけどで元に戻す。
この感覚が部下の言語化能力(コミュニケーション能力という言葉が僕は好きではないけれど、その方が分かり易い人もいるかもしれない)を向上させるのです。
話し相手として面白いマネージャーを目指していきましょう。