リアル面談の効力

オンライン面談とリアル面談の違いとは?
オンラインで話をしていても、一向に話が盛り上がらない、盛り上がる気配すらない、そういうことがよくある。
それが相手との関係性の希薄さによるものなのかと一時期考えてみたけれど、どうやらそうでもなさそうである。
というのは、そのような盛り上がらない相手とリアルで会うと、思いがけず盛り上がったりすることが往々にしてあるからだ。
オンライン面談とリアル面談の何が違うのか?
コロナ以降、僕はそれを考えている。
マネージャーにとっても、部下とのコミュニケーション機会は減ってしまい、業種や職種によっては、やり取りの殆どがオンラインで行われるなんてこともあるようだ。
そして、案の定、メンタル不調になる人も増えているらしい。
今日はそんな話をしてみる。
会って話すことは楽しい
緊急事態宣言が布かれて、リアルに会うことが難しくなった時、僕が思ったのは人間には「会って話したい」という素朴かつ根源的な欲求があり、それは思いのほか強いものである、ということである。
オンライン飲み会やら、オンライン面談やら、そういう代替策もあるにはあったけれど、やっぱりしっくりこなくて、「早く会って話したいなあ」ということをずっと思っていた。
そして現在はその状況が緩和されて、実際に会って話すことができるようになった。
会って話すことは楽しい。
その根源的で素朴な事実は、僕にオンラインの限界を感じさせることになった。
どちらも言葉を交わすのだけれど
コミュニケーションという文脈で言うと、どちらも相手と言葉を交わして、その中で表情も変化して、みたいに、オンラインもオフラインも大きな相違はないように思える。
でも明らかに、圧倒的に違う。
それが何なのか?
業務上のやりとり、それも双方向でなく、一方向に近いものについてはわざわざリアルに会う必要もなく、オンラインで十分であることに異論はない。
というか、それはメールでも十分なくらいなのだ。
ただ、ディスカッションみたいなもの、対話みたいなもの、については、その成果物(質・量ともに)が圧倒的に異なってくる。
オンラインではこれは不可能である。
ノり続けることで会話は発展していく
それはたぶん議論がドライブしていかないからだと僕は考えている。
会話というのは、相手の発言に一旦乗っかってみることの連続によって発展していく。
取り敢えず乗る、ということが大事である。
相手の発言を引き取り、自分なりのアイディア・オリジナリティを加えて、返す。
相手もそれを引き取り、さらにアイディアを発展させていく。
これが会話というものを実りあるものにしていくのだ。
オレのターン!
ただこれがオンラインになると、会話が「被さる」ことがないので、議論が単線的になってしまう。
オンライン面談では同時に話すことが、事実上できないのだ。
私のターン。話す。終わり。あなたのターン。話す。終わり。
これがオンライン上のやり取りである。
「いやいや、リアル面談だって、会話というのはターン制でしょ?」
そんな話が聞こえてくる。
そうだろうか?
そんなことはない。
というか、原則的にはターン制であるけれど、そこに重なり(オーバーラップ)があって、それも複数人の重なりがある場合もあって、議論が転がっていくのだ。
同じ空間を共有していること
もう少し言うと、見ているものが同じである、空間を共有している、ということも大事なのだと思う。
人間の会話の糸口や転がり方は、会話そのものだけに左右されるわけではなく、その時の音や風景などによって、どんどんと変わっていく。
インスピレーションというか、脳内のカオス性とうか。
そのような外部からの入力が同じである(似ている)と、議論も同じような方向に纏まりやすくなるのだ(一方、オンライン上では当たり前であるが、それぞれのいる環境は大きく異なる)。
そしてそれこそがリアル面談の効力なのだと思う。
話題はきっと重要ではない
たぶん総会話時間というのは、人間同士の距離を縮めるのにはあまり関係がないのだ。
より深い領域、踏み込んだ場所での対話が人間同士の距離を縮める。
1on1をやっているといつも思う。
毎週のことなので、「話題」というものはだんだんなくなっていく。
ただ、それはそれでよいのだと僕は思っている。
というか、会話をする為には、字面通り「話」す「題」目が必要だという考え自体が間違っているとすら思っている。
会話に大事なのは中身(コンテンツ)ではない。
ただ会話しているというその事実自体が大事なのだ。
応答が大事
これはコミュニケーション論みたいなものになりそうなので、そのことはまたどこかで書こうと思っているけれど、事実なり情報なりをやり取りすることがコミュニケーションの主目的ではないのだ。
ただそこにいる、応答する、それこそがコミュニケーションにとって重要なことである。
『タイタンの妖女(byカート・ヴォネガット)』にもあるように、「私はここにいる」「あなたがそこにいてよかった」ということを伝え合うのがコミュニケーションの根源であり、意味なのだ。
それさえできれば十分なのである。
というか、今回のテーマに置き換えると、オンライン上ではその一番重要なことができないことが問題なのである(オンラインで伝えることができないのは、このうちの「あなたがそこにいてよかった」という部分であると僕は思っている。それがなぜオンラインでは伝わらないのか、ということはもう少し僕も考えてみたい)。
だからメンタル不調にもなるのだ。
部下の様子を見て、面倒くさくても(面倒くさそうでも)週1回は会って話す機会(できれば1対1で)を作ることが必要なのだと僕は思っている。
それはオンラインとは違う種類のものなのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
コロナ直後のオンライン万歳という論調から、オフラインも大事じゃね?という論調が出てきたことは、僕にとってはしっくり来る流れです。
それぞれの得意分野が違うからです。
残念ながら、現在の情報技術では、まだまだオンラインはオフラインと同等とは言えないと僕は思っています(メタバースでもそれは無理でしょう)。
太古の昔から「酒食を共にする」という文化、「同じ釜の飯を食う」という文化は僕たちの脳内に刻み込まれています。
それは効率性という文脈だけでは如何ともしがたいものである。
もっと本能に近いものである。
僕はそんな風に考えています。
非効率を経由しながら、効率性を追求していきましょう。