死ぬ時の後悔を想像する

自分に正直に生きなかったことが後悔No.1

今日は人生論的な話を。

多くの人にとって、今際の際に後悔することナンバーワンは、「自分に正直に生きなかったこと」であるらしい。

確かに自分に正直に生きることは難しい

様々な軋轢を生むし、非難も浴びるし、大変な思いもする。

ましてや日本社会というのは「和を以て貴しとなす」という文化でもあるし。

それでも、多くの人は死の間際にそのように生きたかったと後悔するようである。

まあ、話はわかる。

でも、実現性は?

それもマネジメントという仕事で?

議論を上手に着地させられるかはわからないけれど(いつものことか)、今日はそういう話をしてみようと思う。

僕はアイツらみたいになりたくない

僕はマネージャーになってから数年経って、出世というものに対する関心が大きく薄れてしまった。

その要因は様々であるけれど、現に出世している人達が魅力的ではない、ということがその中でも大きな要素を占めている。

僕はあのような人達の仲間入りをしたくない。

それは単純だけれど、僕にとっては大きなインパクトを持つ気づきであった。

会社によって「出世している人」のタイプは様々であると思うけれど、往々にして、パワハラ系というか、人を詰めて詰めて詰めまくって自分は上がっていく、というような人が多いような気がしている(というか、ウチの会社は間違いなくそうだ)。

そして羞恥心がない

厚顔無恥さ、自分を棚に上げる能力に長けている。

僕はそういう強さみたいなものがない。

そして自分が言う言葉に対して責任を持ちたいと思っている。

解脱と転回

出世自分を貫くということを天秤にかけた時に、僕は圧倒的に後者の方に価値があると感じるし、それによって被る不利益は「まあ、仕方ないよね」と思っている。

そこから僕はマネジメントという仕事がとても楽しくなった。

チームの成長を心から喜べるようになったし、それぞれのメンバーの人生みたいなものを利己心なく考えられるようになった。

サイコパスな僕からすると、これは解脱とも言えるくらい、大きな転換点であったと思う。

そしてラッキーなことに、そのような考え方でいる方が、チームの生産性が結果的に高まったということである。

不思議なことである。

含まれているという感覚

僕は以前ほど仕事もせず、ただぼんやりとしながら、メンバーの動きを見ている。

もちろん1on1などは継続しているけれど、それだって別に雑談に毛が生えたくらいのものである。

「数字だ!」「業績だ!」とか、もちろん思わないことがないと言えば嘘になるけれど、そこまで部下に言うこともなくなった。

結果として、部下との距離感が変わっていった。

部下からよく話しかけられるようになり、冗談を言われるようになった。

特に若い部下からは、上司というよりは「師匠」みたいな感じ(自分で言うと恥ずかしいが)で接せられることが増えた。

何というか、自分もチームに含まれていると感じられることが増えた(以前はチームとマネージャーという2つのモノがあったような感じであった)。

もちろん日々色んなことは起きる。

その度に色々なことも思う。

それでも、僕は今この仕事のやり方に満足をしている。

そしてたぶん、死の間際になっても今の仕事のやり方に後悔することはないだろうと思っている。

呪術が使えるなら

僕には今でも思い出すと吐き気がするくらい嫌いな上司がいる。

その相手に対する負の感情を根強く持ち続けている。

そしてこれからも持ち続けるだろうと思っている。

その人達は偉くなったりならなかったりしているけれど、そんなことは僕には関係ない。

単純に個人的な恨みがあるだけだ。

その「指導」によって、僕が成長したとか、そんなことは微塵も思わない

僕に呪術が使えるなら、呪い殺してしまいたいくらいである。

あなたはそのような上司になりたいだろうか?

僕はなりたくない。

節度は必要では?

別に部下と仲良しこよしになれ、ということを言いたい訳ではない。

いつも言うように、部下との関係性は「普通」でいい。

でも、恨まれるような仕事の仕方は論外であると僕は思う。

もちろん、色々なことは思う。

不満だってある。

でも、節度は必要だと思うのだ。

スーパードライとスーパーウエット

日本には「可愛がり」という謎の文化(ただのイジメ)がある。

僕は昔からこういうものが嫌いで、できるだけ人と関わりを持たないで生きてきた。

でも、ひょんなことからマネージャーになり、否が応でも人と関わりを持たざるを得なくなってしまった。

明らかにマネージャーに向いていないと思っていた僕は(もちろんそれは今も変わらない)、数年の経験を経て、部下から慕われる(自分で言うな)マネージャーになった。

そして「マネージャーもまあ悪くないか」と思えるようになった。

スーパードライなマネージャーであると自認している僕が、積極的に関わり合いを持とうとしているスーパーウエットなマネージャー達よりも部下に好かれているという奇妙な現実。

そして成果が出ているという不思議な状況。

僕はこれからも今のスタイルで仕事をしていこうと思っている。

出世は叶わないだろうけれど、きっと後悔はないはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

早くしてマネージャーになって良かったことは少ないですが、敢えて挙げるとするなら、(担当者としては)実力があるということを証明できたこと、です。

そして、マネージャーとしての経験を(人よりも)多く積めていることです。

僕は地層のように、成果という事実を淡々と積み上げてきた結果、まあ自分捨てたもんではないよね、と思えるようになりました。

その過去の僕(蓄積)が現在の僕の味方になっているような気がしています。

嫌なことはたくさんありますが、自分を信じられなくなるよりはマシです。

自分に正直に仕事をしていきましょう。