「そんなつもりじゃなかった」は通用しない

ハラスメントは受け手の問題?

マネージャーをやっておられる方であれば、何かしらの「ハラスメント研修」を受講されたことがあるだろう。

その際によく言われるのが、「ハラスメントとは受け手がどう感じるかが問題である」ということである。

要は、「そんなつもりじゃなかったというのは通用しない」のである。

これはマネジメントを行う上で、様々な問題を引き起こしている(と僕は思う)。

もちろんハラスメントは論外だ(そして未だにこの辺の線引きを全くわかっていない人達は多い)。

ただ、それによってシュリンクし過ぎるのも「なんだかな…」という感じである。

今日は、そんな環境下でどのように振舞うべきなのか、について書いていく。

小火と大火事

結論から言えば、「関係性を構築する」しかない、と僕は考えている。

人間同士(それも赤の他人)が仕事をする以上、どうやったってすれ違いや誤解は生じる。

その時にそれがボヤで留まるのか、大火事になるのかは、普段の関係性の良好度合いによって異なる。

僕はそんな風に考えている。

関係性を構築する為に

もちろん、全ての落とし穴に嵌らないように、忍び足で仕事をしていく、という選択肢もあると思う。

ただ、それはそれで「言うべきことを言えない」という別の問題が生じるのも事実である。

ある程度言いたいことを言えるように、でもリスクヘッジもしながら、という観点から考えると、この「関係性を構築する」というのが現実的な落としどころであると僕は考えている。

そして、「関係性を構築する」ためには「対話」が必要である。

それも「対話の繰り返し」が。

会話と対話

周りのマネージャーを見ていると、彼ら(彼女ら)は「対話量」が物凄く少ないように感じる。

もちろん「会話」はしていると思う。

でもそれは仕事上の関係性を維持した(上下関係的な)「会話」であるように感じるのだ。

業務連絡・報告・相談、のようなものは「会話」である。

「対話」というのは、考え方や価値観まで踏み込んだものである。

それをやり取りすること。

人となりを知ること(知ってもらうこと)。

それが必要なのである。

鎧と演技と建前と

これは「鎧を脱ぐ」という行為とも関係してくる。

どうやったってマネージャーというのは「こうあるべきである」みたいな鎧を身に纏ってしまいがちで、そんなに完璧ではないのに完璧なフリをしてしまうものだ。

それを「演技」だと知ってもらうこと。

「建前」だとわかってもらうこと。

それが対話なのだ。

飲み会に誘ったってハラスメント

たぶん一時代前であれば、これは居酒屋で行われていたのだと思う。

無礼講とまではいかなくても、「素の自分」を晒す為にアルコールの力を借りて、それを為していたのだと思う。

しかしながら、コロナウイルスによって(というか元々潜在的に好ましいものと思われていなかったのだろう)、この文化は死滅しつつある。

それこそ、上司が部下を飲みに誘うだけで「ハラスメントだ」と言われる時代である。

かといって、前々からアポイントを取るのもなんか違う。

そんな時代にどのように「対話」をするのか。

それが(ずっと言っているけれど)「1on1」である。

ルーティンとしての1on1

「1on1」を長くやっている僕からすると、これはもう半強制的にスケジュールに組み込んでやってしまうのが良いと思う。

何も話題がなくても、沈黙が続いても、取り敢えず定期的に話すようにする。

この繰り返しをしていると、時々話が深く展開する場面が訪れる。

そこでそれぞれが自己開示を行う

そうやって関係性を深めていくのだ。

部下としてではなく人間として扱う

その時に大事なのは、部下として扱うのではなく、人間として扱うということである。

「何を当たり前なことを?」と思われる方もいるかもしれない。

ただ、これができるマネージャーはとても少ない

未だにマネージャーは上、メンバーは下、と思っているマネージャーは腐るほどいる。

実際に口に出すことは流石になくなってきたが、それでも言葉の端々や行動にそれが現れている人が殆どである。

マネージャーなんてただの役職名

再三言うように、マネージャーというのはただの職務名に過ぎない。

上でも偉くもない。

「そういう仕事」なだけである。

これを本心から理解できていないからハラスメントというものが生じるのだと思う。

中間領域の人間関係

上手く言えないのだけれど、職場の人間関係が面倒くさいのは、全くの他人ではなく、家族でもない、「中間領域の人間関係」を維持していかなければならない点だと僕は思っている。

ここにハラスメントの芽がある。

関係性がどうなってもいいのであれば、そして継続的でないのであれば、ハラスメント的なものを受けた時にすぐに対処してしまえばいいのだけれど、そうすると関係性が悪化して、でもその後も仕事をしなければならないから面倒くさいのである。

そのような関係性を無意識的にマネージャー側は「利用」して、ハラスメント行為を行う。

「オレは偉い」という謎のマウンティングや、自己承認欲求がきっとあるのだろう。

そんなものはすぐに捨て去ってしまった方が良い。

マネージャーが偉いなんていうのは、昭和の遺物に過ぎないのだ。

人間同士の対話を

同じ地平に立って、人間同士の対話をする。

これで大抵の誤解は解けるはずだし、好きにはなれなくても「まあそういう考えなんですね」ということは理解し合えると思う。

少なくとも一方的な「そんなつもりじゃなかった」というようなダサいことを言わなくて済むようになるはずである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

「マネージャーが偉い」というのは、「男は仕事、女は家庭」くらい古臭い考え方であると僕は思っています。

現代において、後者を大っぴらに言う人は流石に殆ど見かけなくなりましたが、前者はまだまだ多い、いやむしろ多数派と言ってもいいくらいです。

これは「部下=モノ(所有物)」という概念と近いのですが、それも時代遅れです(これについてはまたどこかで書くつもりです)。

日本代表が「○○(監督名)ジャパン」と呼ばれるのも、この辺の意識が関係しているような気がしています。

マネージャーというのは、ただの仕事です。

それを意識せずとも仕事ができるくらい体に沁み込ませていきましょう。