話せばわかる
嫌いという感情を薄めることはできる
嫌いな部下が多くて悩んでいる人はいないだろうか?
僕はそうだった。
特にマネージャーに成り立ての頃は、部下に対して「何でこんなこともできないのか!」「もう少し言い方とかあるだろ?」みたいなことを常に思っていた。
ただ今になって思うのは、「もう少しやりようはあったのでは?」ということである。
ここで言う「やりよう」というのは、「対話」のことを指す。
もう少し対話を重ねていたら、部下がなぜそのような状況にあるのかということを知ることができたはずで、そうすれば理解も深まっていたのではないか(解決はしなかったかもしれないけれど)、と思うのである。
そして、理解ができるようになれば、「嫌い」という感情を薄くすることはできる(到底好きにはならないが)。
今日はそんな反省を踏まえた話をしていく。
第一印象をチューニングする
僕は人を初見で判断しがちで、それはいけないよなと思いつつ、でも結局は第一印象通りになることが多いから「嫌い認定」をしてしまう、そしてその認定が覆ることはない、という人間観を持っている。
それは普通に生活していく上ではとても有用なスキルであるけれど、マネージャーという仕事においては少しだけチューニングをする必要があるのだ、ということに最近になってようやく気付いた。
当たり前の話であるが、元々が偏屈である僕が「嫌いではない人」は、世の中にはほとんどいない訳で、そういう人達と仕事をするのがデフォルトである環境において、嫌い嫌い言っていても成果は上がらないし、精神衛生上も良くないので、今回のテーマみたいな方法を身に付けたのである。
行動の論理的背景を知る
それが「相手を知る」ということである。
対話を通じて、なぜそのような(僕が嫌いな)振る舞いをするのか、という論理的背景を知ること。
それが大事なのだと思っている。
もちろんだからと言って、その論理が納得できる訳ではないし、「それなら仕方ないよね」とまでは到底思えない。
「そういう考え方から来ているのね」「そういう考え方の元に行動しているのね」ということをただ理解するだけである。
嫌いという感情を分解し、論理に変える
これは論理演算式(コード)みたいなものを知るようなイメージに似ている。
ある入力があって、それに対する重み付けがそれぞれの価値観に基づいてされた結果出てくる出力。
その数式を理解する、そんな感じである。
(数学が好きな人は違うのかもしれないけれど)論理演算式そのものが好きとか嫌いとか思う人は少ないだろう。
それと同じで、部下そのものを判断するのではなく、その背景にある数式みたいなものを考えると、その人を嫌う度合いを下げることができるのである。
何だか理屈っぽいけれど、「嫌い」というのは感情に基づくもの(ある種本能的でどうしようもないもの)なので、それを分解して論理的(理性的)に考えてみると、僕の場合はそれを緩和することができるのである。
価値観とは重み付けのことである
いつも書いていることだけれど、働いている理由はそれぞれ違う。
それを価値観と呼ぶ。
でも同時に価値観が違うからと言って、すんなりと「そうですか。じゃあ(やる気がなくてもor何でもいい)仕方がないですね」とはならない訳で、その価値観のことを「重み付け」というものに置き換えることで。僕はその人を理解しようとしているのである。
人間のコードを書き換えることはできない(特に大人は不可能だ)ので、「共感」は無理でも、「理解する」ことはできると思うのである。
閾値を調整する
その為には、「嫌い」と言って避けるのではなく、その対象と交わることが重要なのだと思っている。
もちろん嫌いなのでできるだけ接したくはないのだけれど、分析をする為に必要だから仕方ない、と割り切るようなイメージである。
適切な表現ではないかもしれないけれど、「研究対象」として見る、そんな感じである。
今回の文脈に沿って書くなら、コードがバグっているかのように僕らは嫌いな人に対して思ってしまいがちなのだけれど、そうではなく、「元々そういうコードなのだ」ということを理解することが大事なのだと思っている。
相手の「重み付け」を理解し、望ましい出力が出るように、入力を調整したり、閾値を変えたりすればいい。
そんな感じである。
嫌いなことに変わりはないけれど…
よくモノの本には「部下を好きになれ」みたいなことが書いてあるけれど、少なくとも僕には無理である。
そんなに「できた人間」ではない。
それよりは、(酷い話ではあるけれど)嫌いな相手をある種のAIだとみなして、その振る舞いを生む論理式は何であるのかを理解する為に対話をする、方が僕としては仕事がし易い、そんな風に(割り切って)考えている。
以前の僕と違うのは、内部のコードを知ろうとするかどうか、だけである。
出てくる出力が嫌いなことには変わりない。
でも、その理屈がわかれば、「嫌い」という感情を(論理によって)薄めることができる。
僕はそうやってチームマネジメントを行っている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
部下育成において、「良い所を見つけなさい」というのはよく言われることですが、実際にはそれ以上に「嫌な所」に目が行ってしまう訳で、その度に「自分はなんて卑しい人間なのだ」と自己嫌悪に陥ることを繰り返しています。
その過程の中で見つけたのが、今回の話です。
非常に理屈っぽいなと後から読んでも思いますが、嫌いな人が多い僕はこうでもしないとマネジメントという仕事を続けていけません。
あまり参考にはならないかもしれませんが、こんなダメな奴もいるんだと笑って頂けたら幸いです。