人を見る目
生きづらさのメリット
あなたは自分が人を見る目があると思いますか?
僕は結構あると思っている。
そういう奴に限って人を見る目がないという事態は往々にして起こる訳だけれど、もう何年もマネージャーをやっている中で、結構多くの人から言われたことなので、あながち間違ってはいないのではないか、と自分では思っている(もちろん過剰な自信は持たないように気をつけている)。
これは営業経験が長いことも関係しているかもしれない。
幼少期の家庭環境もきっと関係しているだろう。
僕は人の感情の機微を読み取る能力がたぶん人よりも高くて(HSP的傾向を持っていて)、それは生きづらさに繋がっている訳であるが、人を見る目という点においてはとても役立っているように思う。
そしてそれはマネジメントにも活かすことができる。
今日はそんな話をしていく。
付かず離れず
人を見る目は対上司にも対部下にも役に立つ。
ミドルマネージャーにとっては必要不可欠な資質(スキル)であるように思う。
ただ上司は変えられないので(ここで言う変えられないというのは、上司は上司なので自分の影響力を及ぼすことが難しいという意味である)、本質を見抜きながら、どの程度の距離間で接していくか、ということに使われることになる。
僕はあまり尊敬すべき上司というものに出会ったことがないので、その結果、付かず離れずの距離を保つことになるわけである。
自分の目よりも立場や地位を優先することは望ましいのか?
昭和世代のマネージャー達と僕が違うと思うのはこの部分で、自分の目で見た人物評が良好でない上司に対して、僕はある程度距離を空けるのに対し、彼ら(彼女ら)はその感情を押し殺して距離を詰めようとする。
それは僕からすれば、自分の視点よりも立場や地位を優先することを意味する(そしてそれは好ましいことではない)訳だけれど、彼ら(彼女ら)はそうは思っておらず(そこまで真剣に考えておらず)、「上司というのはそういうものだ」と割り切っているように見える。
それは組織人として望ましい態度である、というのが通説で、僕はそこに疑問を持っているのだ。
建前の時代は終わった
もちろん何でもかんでも逆らったり、距離を取ったりするのは子供のやることであって、それが望ましいことではないことは僕だって十分に理解している。
ただ、時代は変わってきているのではないか、というのがここからの話となる。
建前の時代は終わり、本音の時代になった。
それは何もSNSの普及とかそういう話ではない(もちろんそれも関係しているだろうが)。
単純に嘘くさいものへの猜疑心が強くなってきているのだ。
共感できない物語にNOと思う世代が増えてきているのだ。
そしてそれはある種「難しい時代」である、という話繋がっていく。
バランスを是正しませんか?
地位や肩書みたいなもので、相手を評価するのは簡単である。
でも当然ながら、同じ地位にいても優秀な人もいればポンコツもいる。
それを今までは同じように扱ってきたわけだ。
でも、「それでいいのだろうか?」と僕は思うのである。
もちろん程度問題ではある。
ある程度の不一致は仕方ないだろう。
ただ「そのバランスはもう少し是正すべきなのでは?」というのが今回の話の「人を見る目」に繋がってくるのである。
適切な部下を適切に昇進させる
これは部下を評価する際にも言える。
「部下を昇進させるのが良い上司である」というのは、一部正しくて一部間違っている。
というか、以前はそのバランスが偏っていたのだ。
僕は「昇進させるのに値する部下を適切に昇進させるのが良い上司である」と考えている。
そしてそこには「人を見る目」が不可欠なのだ。
人を見る目がない人の自己増殖
組織内に明らかに不適切な管理職が存在するのは、この文化が関係していると僕は思っている。
「人を見る目がない上司が、人を見る目がない部下を昇進させる」「それが繰り返される」「人を見る目がない人が組織に増え、人を見る目がある人を排除しようとする(本当は能力がないことがバレるとマズいので)」
そんな感じである。
厭世観の広がりを防ぐために
「評価者教育」という話がようやく広まってきたけれど、これは一朝一夕で身に付くものではない。
もう少し嫌な話をすると、スキルでどうこうできるものではない、と僕は思っている。
それはある種の才能であるのだ。
評価を適切にできる能力も加味して、管理職に登用すべきなのである。
そうしなければ、厭世観みたいなものが拡がってしまう。
「どうせ要領の良い奴だけが昇進するんでしょ?(裏側の顔なんてわかる訳ないでしょ?)」というムードが社内に漂うことになってしまう。
これは望ましいことではないし、確実に組織を弱体化させていく。
僕だってバイアスに塗れている。けれど…
世の中には本当に色々な人がいる。
変な人も多い。
ただそれは表面だけを見ていても気づかないものであるのだ。
というか、多くの人はそれに気づけないのだ、と僕は思う。
もちろんそこには主観が入っていて、僕の感覚だってバイアス塗れのものではある。
でもさ、と僕は思うのだ。
「もう少し適切なバランスにはできるのでは?」と。
人間不信になってからがマネージャーのスタート
人の嫌な面を見るのは誰だって嫌である。
でも、そこに踏み込まなければ、管理者としての職責を果たしているとは言えないと僕は思う。
そうやって人間不信になっていく訳で、そこからがマネジメントのスタートでもあるとも言える。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
元々人間があまり好きでなかった僕は、マネージャーになってからより一層その傾向が強くなりました。
マネジメントという仕事は否が応でも人間の嫌な部分を目にすることになります。
それに耐えられず、目を背けてしまう人には高いパフォーマンスを出すことができません。
ただ同時に、人間の善性みたいなものを時に感じることがあるから不思議なものです。
絶望して、人間不信になりながらも、人間を信じていきましょう。