「マネージャーに向いていない」と思ったら…

UnsplashAnthony Tranが撮影した写真

定期的かつ恒常的に起こる発作

昇進してマネージャーになってから数か月経つと、「自分はマネージャーに向いていない…」と思う瞬間が訪れるようになる。

そして先に残酷なことを言っておくと、これはその後も定期的(かつ恒常的)に起こる現象である。

僕は7年ほどマネージャーをやっているけれど、未だにマネージャーには向いていないと思い続けている。

でも一方で、「オレよりも向いていない奴は多い(まだマシ)」とも思うのである。

今日はそんな悩みを抱えている方へのアドバイス的なことを書いてみようと思う。

参考になればありがたい。

それでは始めていこう。

一人何役?

現代のマネージャーの仕事は多岐にわたる。

というか、「こんなことまでオレの仕事なの?」と思うようなことが頻繁に起きるくらい、本当に色々な仕事をマネージャーはやっていると思う(皆さま本当にお疲れ様です)。

たぶん昔はマネージャーの仕事はマネージャー業務だけだったのだろうと思う。

でも、現代はそうではない。

人事的な要素、カウンセラー的な要素、教育的な要素、占い師的な要素、保健室的な要素、裁判官的な要素、警察的な要素、教師的な要素、親的な要素、兄貴的な要素、などなど、本当に何でもありである。

相談できる人もいない

僕の職場では、ここに「コストカット(人員削減)」的な要素が加わってくる。

人員が削減される中でも、業務量が増えることはあれ、減ることはない。

そして、それを理解してくれるような上司もいない。

「とにかくやれ!」という言葉の中で、マネージャーは1人悶々と悩みを抱えることになる。

もしかしたら以前であれば、同じ職場に同じような悩みを抱えるマネージャーがいたこともあったのかもしれない。

そして残業で遅くなり、残った2人の課長同士で飲みに行く、そこで悩みを開示し合うなんてことがあったのだろうと思う。

でも、現代はそれも難しい。

コロナもそうだけれど、そもそも同じような立場の人がコストカットでいなくなってしまったからだ。

お値段据え置き(笑)!

愚痴にはなってしまうが、この1年で僕は管理すべき部下の数が2倍となり、業務量は体感で言うと、1.5倍くらいになっている。

でも、その理解者はいない。

そして給与は据え置き特価!

素晴らしき日本社会。

そりゃマネージャーを辞めたくもなるよな。

石の上にも三年

プレーヤー時代の充実感を思い出して、「マネージャーでなくてプロフェッショナルでやっていこう!」と思う人も多いと思う(僕もそうだった)。

専門職としてある程度自分の裁量の中で仕事ができる、というのはとても魅力的に見える。

でもちょっと待って欲しい。

それはもう少しマネージャーを経験してからでも遅くはない。

石の上にも三年、という言葉がある。

これは現代の速いビジネス環境に必ずしも適合した言葉ではないとは思うけれど、ことマネージャー業務に関して言うと、3年くらいはやってみた方がいいのかなと僕は思っている。

それは(以前にも書いたことだけれど)、マネージャーは1年くらい経ってからが「本番」だからである。

魑魅魍魎との戯れ

「本番」というのは、「ドロドロした人間関係を味わう」という意味である。

それまでの期間の大変さは業務に関することであって、経験を経た僕からすると、それらはそんなに大した話ではない。

もっと言うと、自分の力である程度克服可能なものである。

でも、人間関係はそうはいかない。

魑魅魍魎みたいな人達と否応なしに絡まなければならなくなるのが、マネージャーの仕事の本当に大変なところである。

それは6か月、1年、2年、3年くらいの周期で、どんどん闇深くなってくる。

それを味わうまではマネージャーを続けた方がいい。

振り回されながらでも自分でいられるという自信

それはなぜか?

一言で言うと、「キャパシティが上がるから」である。

自分の度量(器)みたいなものが1サイズ上がる。

その利点は、「大抵のことは大したことがないと思えるようになる」ことである。

僕がプレーヤー時代と大きく変わったのはこの部分である。

「自分でコントロールできないものが世の中にはあって、それは如何ともしがたいことであるけれど、それでも自分は何とかその中でやっていくことができる」という自信。

これはマネジメントを経験しなければ得られなかったものである。

慢性的な胃の痛み。So What?

渦中にいる人(僕もそうだ)は、そんなこと言っていられないとは思う。

疲労でベッドに倒れ込むものの、胃が痛みすぎて毎朝4時に目が覚めてしまう、常に寝不足の状態のまま、仕事の悩みは休日であってもエンドレスに頭にこびりついている、そんな状態だと思う(これは僕の現在の症状だ)。

それでも、である。

平らかな境地

本当の仏教徒の方には笑われそうだけれど、僕はマネージャーを経験したことで「プチ解脱」をすることができたような気がする。

些事に囚われない。

平らかな境地。

それはそれまでの自分が如何に仕事というものに縛られていたかということとの対比でもある。

それを手に入れてからプロフェッショナルとしての道に進めばいい。

見える景色が変わるはずだから。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

マネージャーを経験することは人生に似ている。

なんてことを名言のように言ってみて、あながち冗談でもないかなと思いました。

不条理なことに振り回されると、人は優しくなります。

優しくなければ、生きていく資格はありません。

フィリップ・マーロウみたいにはなれそうにありませんが、僕はマネージャーを経験したことで少しは近づけたような気がします。

めげずに続けていきましょう。